プロフィール


岡田 邦宏(おかだ くにひろ)

1976年 大阪生まれ

・米国Rolf Institute 認定ロルファー

・ロルフムーブメント認定プラクティショナー 

・オステオパシー・バイオダイナミクス、バイオエナジェティック

 

20歳前後の大学2年間を一人で引きこもり(※)世界は終わった、、と。大学中退。2000年12月に神戸からフェリーで出港し、バックパッカーとして上海〜希望峰(南アフリカ)まで陸路で3年間の旅に出る。とくにチベット、インドでの出会い、アジアの国々にはリアルがあったし祈りがあった。ボディー・マインド・スピリットに関心を持つようになる。

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帰国後、施術をはじめ、、心理、身体、エネルギーワークまでさまざまな世界を渡り歩く。トラウマ解放ワーク(←解放ワークは注意しないと危ない。)をきっかけにまた動けなくなる、、派遣で働く以外はうずくまって過ごす。あと1年、、2年後は望んでも生きられないな、と実感していた。体がそうだったのだ。ソマティックエクスペリエンスやロルフィング、、イールドワーク、、そしてついにオステオパシーのバイオダイナミクス、バイオエナジェティックに出会う。バイオエナジェティック・オステオパシーを9年かけて(現在は8年目)学んでいる。全ての根幹にあるのがバイオエナジェティックの世界。オステオパシーの植物療法セミナーをきっかけに植物の世界にも興味を持ちフラワーエッセンスやチンキを作ったりもしてます。


(※)引きこもり、とは。。誰とも話さず、ただ冷たいベッドの上で寝ているだけ。後に神経系のトラウマ状態「フリーズ」状態だったと知る。フツーのひとの”寝ている”で想像される状態ではなく、”うごけない”のだ。止まっているように見えても、神経系はアクセル全開のブレーキ全開、異常なエネルギー状態で活性化している状態です。トラウマ解放ワークは、(その場は良くても)多くの場合この活性化状態をさらに高めて異常なエネルギーを追加していく再トラウマ化をしています。ご注意ください。必要なのは、解放ではなく統合です。解放と同時に”統合”が起こらなければならない。本当の回復とは劇的なことを引き起こしたり何かをわかろうとすることではなく、静かに気がつかないところで癒えていくものです。

 

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※プロフィール写真は、2023年10月のエッセンスを巡る旅に出たところ今とは変わってしまったらしく、ゼンゼン違和感しかないのでまた撮り直して載せることにしてます。(「施術の風景」ページにはいっぱい写真載ってますけど。)

 


 月と太陽と大地、そのように。

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たぶん、人が生きるということと、自然の有り様は、リンクしている。人は”自分の”(都合の)ためには生きられない、、自然界があって、我々を生かす存在がある。太陽とは何なのか?月と太陽と大地、そのように。

 

◆ 略歴

1996年 大学入学

2年間の引きこもり後、休学、退学。

無感覚。自分がどこにいるのかわからない感覚。

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その後、2年ほどプログラマーとして働く。

2000年 12月 出国 神戸から新鑑真号で上海へ

帰る日を決めない海外旅行へ 上海~喜望峰(南アフリカ)間を旅行する。

初めての海外、3年間を過ごす。

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自分の身体には力があった。必要とあれば大概のことには適応できる。
こころと身体に興味を持ち始める。

2003年 11月 帰国

整体師として働く。

ほぐしてもすぐ元に戻ること、通い続け依存し続けなければならないことを観察する。

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体はなかなかほぐれるものでもないし、、ほぐれたとしてもすぐに戻る。
体の理論が知りたい!のちに、アメリカに渡りロルフィングに出会う。身体の統合、体には理論がある。

2006年 出国 ロルフィングとの出会い、心身の流出体験

二度目の旅、アメリカへ渡りネイティブアメリカンのアメリカ大陸横断ウォークに参加。

チベットの聖地、カイラス山にいく。心身が流出、、その後、現在まで回復のプロセスはつづく。

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大陸横断ウォークSACRED RUN2006(西海岸のアルカトラズ島〜ワシントンD.C.まで歩く。アルカトラズ島はもともとネイティブアメリカンの聖地、白人に監獄として使われた元刑務所の島。ウォーク、歩くことはネイティブアメリカンにとって祈りそのもの。)その途上、参加者の一人から借りた書籍を読み身体統合の理論に惹かれる。これがロルフィングとの出会いとなる。

アメリカのウォークを途中で離脱し、チベットのカイラスを目指す。1ヶ月以上毎日つづく激しい下痢と食欲不振の中、インド〜パキスタン〜ウイグル〜チベットに入り、カイラス(チベットの山。標高5500mの峠を含む周囲を4日間ほどかけ一周する道がある)を徒歩で1周するが旅程で体力を消耗しバンコクまで辿り着くが入院。チフスと診断される。歩けないほど痩せ、それまで積み上げてきた身体の中の枠組みがすべて流れ出ていってしまったかのような感覚、自分の存在が流れ出て行ってしまったような感覚の中に取り残される。

以降、抜け殻のようなどんよりとした感覚の中で過ごすことになる。ここが身体(わたし)本来の力への探求のはじまりとなった。

それまで処世術として身につけていた身体をガチガチに固めて世を耐えていた身体からこのとき中身が全て流れ出て行ってしまった。寄る辺のない無防備でどんよりとした日々。努力でどうのではなく身体がそうだったのだ。どうやって中身を、新たな枠組みを再び、頑丈に、鉄壁に作りあげていくか。この世に対抗していくか。

しかし、そうはならなかった。柔軟に、リソースを育て、自分に優しく、いつでも大丈夫な状態に帰って来られるregiliency・柔軟な身体・神経系、自己調整の力。身体の本来の力を発揮できること。それに近づいて行く道。

2007年 帰国

ロルフィング ベーシック10シリーズを受ける。

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強圧の持続圧、痛い!!めちゃめちゃ痛い。強い持続圧で皮膚をスライドさせ、筋膜を物理的に伸ばす手法。服を脱ぎ下着にならねばならなかった。(※ロルフィングの学校で習う手技が強い持続圧のため、国内のほとんどのロルファー(施術者)はこの手法を使います。)

※わたしはロルフィングの学校卒業の後バイオエナジェティック・オステオパシーを学びその手法を使います。
軽く触れるだけ、服を着たまま受けられます。

2008年 ロルフィング、トレーニング Unit1 アメリカ

2008年度の京都トレーニングに申し込むがキャンセル。当時の自分にはあり得ない選択だったが、アメリカで学ぶことを選択する。

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日本ではたまに認定コースが開催されます。過去4〜5回ほど開催されています。順調に行けば、1年半、5百万円弱で資格を取れます。結構な額、、。私は働きながらすべてをここにかけることになりました。

京都トレーニングをキャンセルし、アメリカを選択した理由は、、。1年半後、「はい、あなたは今からロルファー(施術者)です。」といわれたところで何ができるだろう?人に施術し、世界を渡っていくことなんでできるのだろうかしら??と思い、「アメリカに行けば、そうとう大変だろう。数年間を過ごすことで何者かになっているかもしれない。」と、アメリカを選択しました。

結局、ロルファーに認定されるまでに6年半の期間がかかりました。

2009年 ロルフィング、トレーニング Unit2 アメリカ

エネルギー的なアプローチにちょっとだけ触れる。

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Unit 1の時もそうでしたが、英語が思った以上にできない。。全然わからん。旅行英語でなんとかなるかと思ってましたが、初めは10%もわからない。大変でした。Unit 1,Unit 2ともに辞めると本気で何度か考え、口に出そうと決意したことがそれぞれ一度ずつ。ですが、このUnit 2の先生はレイ・マッコル。エネルギー的なバックグラウンドを持つ講師で、わたしはやりやすかった。なぜか、(のちにわかるようになるのですが)軽く触れるだけ、というアプローチをときどき、自然に行っていました。なんとなく、でしたが。Unit 2では生徒同士で10シリーズを交換セッションしていくプロセスがあります。相手の生徒にも、そのアプローチはよかったと言ってもらえました。

そして、このとき、初めて知ったのですが、クラニオセイクラル・バイオダイナミクス(※)というアプローチがあること。それは、頭蓋に軽く触れるだけの手技、不思議で静かで、とても印象的でした。のちにこれが「バイオエナジェティック・オステオパシー」へと繋がっていきます。

(※ただし、のちに知ることになるのですが、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスはバイオダイナミクス・オステオパシーの9年の過程のうち3年ほどで辞めた生徒により広められたものであり、一部が抜き取られたものでした。バイオダイナミクス・オステオパシーでは本来9年の過程のうち、7年目で本質が伝えられるので、クラニオセイクラルは本質の抜け落ちた施術だったのです。)

2010年 12月 最終トレーニング Unit3 ブラジル

抱えるトラウマが多く、不合格。心理療法士でもあった講師から人とのコミュニケーションが難しいことを指摘され、トラウマワーク(ソマティック・エクスペリエンス(SE))を受けることを勧められる。

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条件付き合格、つまりは不合格。最終認定の条件は、モデルクライアント2人にベーシック10シリーズを施術しレポート提出すること。簡単なようで、トラウマによるフリーズ状態のわたしには、日常では部屋の外に出ることもできず大変な難しいプロセスとなった。この時から合格認定まで3年以上かかった。

すべての人が持つ「自己調整能力」に目を向けるきっかけとなり、後のロルフィングワークに影響を与えることになる。
ブラジルまで行く選択をした意味はこれだったか。

最終トレーニングは終了したが、施術者として人と相対することが出来るまでの条件付き認定とされた。当時は人としゃべる事が難しく、話そうとすると首が絞まる、目が痛い、言葉がでてこない。という状態だった。目の前で人が自由におしゃべりをしているのを目の当たりにすると、その能力に衝撃を受けていた。すごい。と。

このときから完全な認定まで3年3ヶ月の年月を必要とした。

2011年 2月 ソマティック・エクスペリエンス(SE)のセッションを受け始める

2年半の間、仕事以外ではSEのセッションルームだけが唯一の世界との関わりとなる。動けない。家の中でうずくまって過ごす。

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少しずつ少しずつ回復していく。急激な変化は身体に統合されないことを知る。
本当の変化とは、静かに、少しずつひっそりと起こります。

身体の変化とはどういうことか、変化のプロセスを知ること。自分のからだで学びました。派手に急激にわかりやすい変化とは失われやすく、逆効果となることが多い。
今の自分のワークに通じる人の身体の可能性、リソースの重要性、世の中一般では否とされる大切なことを学ぶ大切な期間だった。 

※ソマティックエクスペリエンス(SE)は体からアプローチするトラウマワークで、神経系にアプローチするワークです。簡単にいうと、トークセラピーなのですがトークの内容や過去の傷や思い感情などに焦点を当てません。体に残ったトラウマは、大脳(=思考や感情を司る脳)ではなく、身体感覚を司る”脳幹”に残っています。(=つまり、言葉や理解では届かない。)トークセラピーなのですが、話の内容ではなく身体感覚にフォーカスするワークです。

※SEでは、ほーんのちょっとずつちょっとずつ、、解放は少しであればあるほどいいとされます。ですので、一般的な解放ワークとされるものは、わたしからしたら信じられない、、やりすぎ!やればやるほど、どんどん調子を崩していきます。そして、それがやめられないポイントは、解放ワークはそのときは解放されたような感じがするんです。しかし、徐々に背景でよけいにトラウマのエネルギーが増えていきます。

※SEでは、科学的に『トラウマとは出来事にはなく、神経系を巡る未解放のエネルギーである』と定義づけされています。出来事にはないのです。いくら思い出を修正したり考え方を変えても、届かない。出来事にはないんですから。その出来事を修正したり癒そうとするのではなく、体にのこったエネルギーを解消していく、、。動物として、逃げる/戦うで活性化した神経系のエネルギーが、フリーズして解放し損ねた時にトラウマ化します。そのエネルギーを少しずつ解放していくこと。一気にやると反動がくる、ので、ほーんのすこーしずつがポイントです。

一般的な解放ワークはやりすぎで、その場は解放されたようなスッキリいい感じがするのですが悪化していきます。そして、目標は解放ではなく(それは、プロセスに過ぎない)神経系がフリーズから柔軟な対応力をつけること。日常生活ですぐに一杯一杯になってしまったり、つねに不安やイライラしてたり、という神経系の状態が、安心安全な状態へ常に帰ってこられること。何か出来事があっても一気に活性化したりずーっと不安状態に留まるのではなく、しずかに安心安全に自然と帰ってこられること。哺乳類としての社会性のある状態へと常にいられるような状態になること、です。

2013年 SEの終わりとロルフィングの探求の始まり

SEのセッションを受けることから少しずつ離れ、外の世界と関わり始める。

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様々なワークショップや勉強会に参加するようになり、以降はボディーワークのセッションを受け始める。

身体が整うことは心が整うこと。身体へのアプローチにより自身が少しずつ、着実に変化してきた。振り返ればわかる間違いのない事実。
ボディワーカーとして存在する意義を体感する。

強い持続圧で組織を変形させるのではなく、ほとんど触れるだけの軽いタッチを用いるワークがあることを知る。
⇒内側からの自発的な変化を促す待つタッチへと自身のワークの質が大きく変わっていく。

※私の体感では、この期間に受けた軽く触れるだけのボディワークのほうがトラウマのリリースは安全にしかも早く起きていたような気がしています。それは、SEの理論でもそうですが、トラウマにアプローチするためには十分にリソース(耐性、安心安全な感覚)が育ってきてからやっと少しだけ扱えるものです。ボディワークの場合は、そのリソースがトークセラピーよりもっと安全に十分体を通して作れるような気がしています。 もちろん、病院に通院するほどの精神疾患であれば、ボディワークは受けられず専門外ですので、心理療法さんのSEなどの領域となります。

2014年 3月 すべての条件をクリアし 認定ロルファーとなる

ロルファー認定後もずっと学びを続けています。気がつけば、ロルファー認定からもう10年が経っていました。

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人生二度目の大変な時期、SEを受けていた時代からもう10年も経っていたのですね、最近ホームページを修正してみて気がつきました。当時は一般のクライアントさまに10シリーズをおひとり施術できること、が目標でしたがもう10年。

その後の学びの中で、バイオエナジェティック・オステオパシーに出会い、生命の本質からアプローチできる手法を学ぶ機会に恵まれました。みなさまのお役に立てたらと思っています。

 

 

施術をすること。

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流れが遥か先にまで届くように。

ひとつ、手放す。


ガンガーで
小さなお皿、葉っぱで作ったお皿を
売っている、子供たち。

それには、お花がたくさん盛られていて、
それを、
ガンガーに流す。


手を合わせる。


そのように。


天と地を繋ぎ、
人を天に繋ぐ。
人を地に繋ぐ。

それは
透明だから
人の目には
見えないのかもしれない。



 

◆主なトレーニング暦

2008年 10〜12月 ロルフィング Unit1(ボルダー、アメリカ)
2009年 10〜12月 ロルフィング Unit2(ボルダー、アメリカ)
2010年 10〜12月 ロルフィング Unit3(バハドサヒ、ブラジル)
2010年 10〜12月 ロルフムーブメント(バハドサヒ、ブラジル)

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2013年 8月 ソースポイントセラピー module 1, module 2(大阪)
2013年 10月 クラニオセイクラル・バイオダイナミクス セミナー1A(東京)
2014年 3月 クラニオセイクラル・バイオダイナミクス セミナー1B(ムンバイ、インド)
2014年 3月 ロルフィング・レシピのムーブメントへの理解 part1(東京)
2014年 4月 ロルフィング・知覚、方向付け、リソース(東京)
2014年 5月 ロルフィング・動きの中での脊椎(東京)
2014年 7月 ロルフィング・レシピのムーブメントへの理解 part2(東京)
2014年 9月 ロルフィング・7つの水平構造と筋膜の繋がり、内臓と水平性のサポート(東京)
2014年 9月 クラニオセイクラル・バイオダイナミクス モジュール1(東京)
2014年 9月 クラニオセイクラル・バイオダイナミクス モジュール2(東京)
2014年 11月 ロルフィング・レシピのムーブメントへの理解 part3(東京)
2015年 4月 ロルフィング・呼吸と歩行 Part 2(東京)
2015年 7月 ロルフィング・レシピのムーブメントへの理解 part1(東京)
2015年 8月 ソマティックエクスペリエンス 初級1・2(札幌)
2015年 8月 エナジェティック・内臓ワーク(東京)
2015年 9月 ロルフィング・レシピのムーブメントへの理解 part2(東京)
2015年 11月 ロルフィング・レシピのムーブメントへの理解 part3(東京)
2015年 12月 エナジェティック・オステオパシー1(東京)
2016年 1月 エソテリックヒーリング part1(京都)
2016年 2月 クラニオセイクラル・バイオダイナミクス モジュール3(東京)
2016年 3月 エナジェティック・オステオパシー2(東京)
2016年 3月 ソマティックエクスペリエンス 初級2・3(札幌)
2016年 5月 バイオダイナミクス・オステオパシー フェーズ1(大磯)
2016年 7月 エソテリックヒーリング part2(京都)
2016年 10月 解剖学・骨(東京)
2016年 11月 カウンターストレイン(東京)
2016年 11月 解剖学・筋(東京)
2016年 12月 ブレヒシュミッド胎生学(東京)
2016年 12月 解剖学・神経(東京)
2017年 1月 エナジェティック・カウンターストレイン(伊豆)
2017年 5月 関節のあそび(川崎)
2017年 6月 バイオダイナミクス・オステオパシー フェーズ2(伊豆)
2017年 11月 筋膜リリース(東京)
2018年 1月 子供のためのバイオダイナミクス フェーズ1(川崎)
2018年 6月 オステオパシーのための植物療法1(熱海)
2018年 6月 バイオダイナミクス・オステオパシー フェーズ3(大磯)
2019年 1月 ヒューマン・エナジーフィールド1(藤沢)
2019年 1月 子供のためのバイオダイナミクス フェーズ2(川崎)
2019年 1月 エナジェティック・筋膜リリース(大磯)
2019年 6月 ファウンデーション・オブ・バイオエナジェティック・オステオパシー(大磯)
2019年 6月 バイオダイナミクス・オステオパシー フェーズ4(大磯)
2019年 7月 ジョーンズテクニック1(川崎)
2020年 1月 子供のためのバイオダイナミクス フェーズ3(戸塚)
2020年 1月 ジョーンズテクニック2(川崎)
2021年 4月 ファウンデーションオブバイオエナジェティック・オステオパシー
2021年 6月 バイオダイナミクス・オステオパシー フェーズ5
2021年 8月 ワクチンとコロナ
2022年 1月 マイガッドフィーリング、内臓と免疫
2022年 6月 バイオエナジェティック・オステオパシー コース6
2023年 2月 ファウンデーションオブバイオエナジェティック・オステオパシー
2023年 6月 バイオエナジェティック・オステオパシー コース7
2024年 1月 マイオファシアルリリース(筋膜リリース)

その他、小さな勉強会やセミナーを含め継続して学び続けています。その根幹にあるのはバイオダイナミクスの学びです。

 

2002年、、。3年間のバックパッカー時代、インド。ガンジス河。

バラナシのメインガート、

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2002年当時のインドのバラナシ、ガンガーのそばの安宿に泊まってました。メインガート(河沿いにずーっと続く、河に降りていくための階段?らへん)では物乞いや物売りや、子供たちがいて。葉っぱのお皿(よくできている!)にお花を盛って、真ん中にロウソクがあって(片手で収まるくらいの大きさ)夜、ロウソクに火を灯して河に流す。お祈り。

 

21年ぶり、再びのバラナシ、ガンジス河。

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2023年10月、21年ぶり。エッセンスを作る旅に行ってきました。
21年前の当時はスマホなんてなかったし、もちろんSNSも存在してませんでしたが、今は動画なんて撮れちゃいますね。

 

けっこう好きな本

 『旅をする木』星野道夫

旅をする「本」と思って買ったら「木」でした。アラスカの原野を撮った写真家の短編集で、たまたま開いたところを読んだりしてました。24歳の時、初めての海外旅行へ持っていった本。アテのない3年間の旅行に出るきっかけともなった本です。

 

『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹

ストーリーはあまり覚えてないかもですが。。印象的なのは「井戸」、「羊男」、「間宮中尉」。

井戸の深さと闇。どこに繋がっているのでしょうか?そこに降りていくこと。

羊男のたたずまい。好きです。 間宮中尉。井戸の底で焼き尽くされた自己。

そこから抜け殻のように生きたとのことですが、本当はそこが純粋な生命の力に触れる場所。

純化のきっかけ。ギフトなのだと思います。

己の培ってきた、作り上げてきた、今まで築き上げてきた枠組みが全て流れ去り、その後に無惨に残されたもの。そこがやっと始まりでした。命の力は身体の奥底に途切れることなく常に流れています。そこに触れること。そのことと自分のボディワークへの姿勢が重なります。

 

『アルケミスト』パウロ・コエーリョ

前兆。宇宙の流れ。これは旅をしていたら特に感じますよね。出会い。

 


出会い

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始まりがあり終わりがある。

ロルフィングとは、
人生のある時期に出会う、

変容のための期間です。

 


”人はその人生のうちで一度は荒野の中に入り、健康的で、幾分は退屈でさえある孤絶を経験するべきだ。自分がまったくの己れ一人の身に依存していることを発見し、しかるのちに自らの真実の、隠されていた力を知るのだ。 ー ジャック・ケルアック ー”

聖なる道をゆくものへ

 

旅をしなさい

贈り物があなたを待っている

旅をしなさい

祝福があなたを待っている

旅をしなさい

母なる大地があなたを見守っている

旅をしなさい

あなたの内なる子供がはなしかけてくる

旅をしなさい

魂の喜びを感じるために

旅をしなさい

母なる地球がいかに美しくはかないかを感じるために

 

あなたの道をいきなさい

あなたの内なる声に従って

あなたの道をいきなさい

あなたの手の中にすべてがある

あなたの道をいきなさい

美しいものに満たされるように

あなたの道をいきなさい

その道は道なき道に新しい道を産むのだから

 

ロルフィングとは人生で一度きりの

旅のようなもの

いつか、旅に出る。

 

では、『どこか』でお会いしましょう。

 

希望峰から見た海と彩雲

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この写真は、希望峰から見た海。3年間の旅のケリをつけるため、アフリカ最南端に向かい到達した場所は、、実は最南端ではなかった。知ってました❓希望峰は最南端ではなく、もう少し西(だったかな)に数時間いくと本当の最南端があるんですって。

写真ではわかりにくいかもしれませんがこのとき海と空の境目に、吉兆のサインである彩雲が出ていました。苦難は純化のきっかけ、真実を見るための鍵だった。

セッションで目指すのはこのような状態で終えること。

太陽は"愛"なんですって⁉️

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このあいだ、植物療法仲間たちと一緒にフラワーエッセンスの要領で太陽のエッセンスを作ってきました。

 

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今日ちょっと施術してる時にふと思ったんですが、たぶん。”医療”って元々何だったんでしょーか?と、最近古い教会に行ったことがあって、、なんかすごかって。そのずっと先の歴史では病院だったらしいとの歴史があるみたいで、だいぶん古い。 巡礼の宿としても機能してたり、巡礼者の疲れを癒やし、病気を治し、、という役割のひと。治療家、がいてたはず。でも、治療家は今のような分業された治療家、医師、みたいな役割とはちょっと違う存在やったんちゃうかしら? どんなひとだったんでしょうか? なんか、イメージ的には、教会やし、そのひとも信仰を持ったひとで、たぶん、神へ祈りを捧げることに生きていたひとが、治療も宿もお世話もしていたんじゃないかしら。信仰心があって、神様へ捧げていて、人々に奉仕していた。 ただシンプルに、 上(神)へのつながりによって、全てが奉仕されていた。 そしたら〜。 ”治療”ってなんだったんだろうか?と、 巡礼者への治療、手当て、薬草、植物による治療はされていただろうし、手技による治療も、もしかしたら、エネルギー療法的なのもやっていただろう。 で、患者さんは、巡礼者は治る。ありがとう、て、誰にいうんだろう?受け取る”人”は、ありがとうを受け取るのだろうか?神に捧げている信仰者、そして巡礼者、、”治療家”は神へ捧げ、人々に奉仕する人。”治療家”はありがとうを、想いを受け取ったりしたろうか?神に捧げている、祈る、奉仕、信仰心をただ行為にしていただけだったかもしれない。信仰心と信仰の道があっただけで、それをしてただけ。 謙虚さ、ハート、奉仕、、。オステオパシーみたいやね。たぶん、手技による治療が起こっていたはず。もちろん、植物療法も。”治療”をしたのはだれ?不思議なこと、奇跡が起こる、人智を超えている治療が起こる。今のバイオと同じ。それをしたのは誰?神への信頼と、感謝。 信仰が、治療。治療は、奉仕は、信仰そのものだった。 山奥に隠遁して、神の世界を歩む?隠遁する必要はない、治療こそが、神の世界を歩むことと同一、信仰だから。いまここで、治療する。奉仕する、それなしに、隠遁は、しないんじゃないかねえ。 原初の医療、治療家は、どういう生き方をしていたのかしら? いまは、医療は、、その役割のものが担い、”治療”する。有資格者にしか”治療”する資格がない、と、言われる。治療する人は、役割を、治す、をやる。治すという結果をださなければならないし、クライアントは満足させられなければならない。治療者は、ひと。ひとが、治す。対価を受け、ありがとうを受け取る。 ネイティブアメリカンの植物療法、の講座でなんかいうてた気がするんですが、 セラピスト(シャーマン?)は、透明であり、誰にも気が付かれないように、自然と一体化している。ありがとうを言われたら失敗や〜、みたいな話。 どこでも、どんな信仰でも、原初は似てたのかもしれんなあ。 と、ふと施術中に 治療は信仰だった。治療は信仰の行為だったとなんかわかって、そのときは確信があったんですわ。知らんけど。 治療家は、信仰者は、、治療される人(患者)をみていたんじゃなくて、神を見ていた。すると、全ての人々が目にはいった、全ての人を見た。すべての人に奉仕することを、神への信仰の行為として行なっていた。 みたいなこと、あったんちゃうかしら、しらんけど。。 (なんかまずいな〜、、こんなこと書かんほうがええんやろうなあ。。) 別に僕なんか宗教があるとかないっすよ、無宗教、という部類っす。だいぶアブナイこと書いてる気がしてきた。。

まちかどのウシ。(バラナシ、インド 2023年10月)

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「では、どこかでお会いしましょう。」

 

 

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昨日の職務質問、あれはあかん。

職務質問、ちょいちょいされがちなんやけど、カバン開けられるのもいややけど、人前でとかもいややけどー、その場を去ればもう忘れる。が、昨日のはあかん。

ポケットの中身出して、ボディーチェックされて。財布の中身やカードまで見られて、、というのは精神と体にダメージ残る。やりすぎやで。

(多摩川にセイタカアワダチソウを取りに行った帰りだったんだけど、くっつき虫(草の種)がいーっぱいズボンにくっついてたの、ボディチェックされるんやったらそのままにしとけばよかったわ。)

これはなんやろ?と思って。介入、侵入、侵略、、あ、侵襲的というやつか。

物理的に、ボディワーカーやから用語でいうと、フルイドに残るね。液の体、感情や代謝を司る体に残る。

これをクリアにせなあかん。

元の本来の姿に戻るように。何かを変えたり追加したり、想いを入れたり、”助けよう”としたりでさらに自分ではないエネルギーを追加されると余計におかしくなるね、これは。元の姿に戻れるように、純粋な自分自身に。追加された、侵襲された、何かが入って来てしまったら、それを出さないと。

外からの侵入、これがトラウマやね。トラウマを見つめても、しょうがない。そこに入って来たエネルギーが外に帰っていくようなやり方が、必要。トラウマをみるのではない。問題をなんとかするのではない、真実の姿に再び帰るためには、余分な情報を外に返す。

扱うべきは”トラウマ”ではない。

では、どこに真実はあるのか?

自分の中心にあって、それは外につながっている、上と下。ソース(根源)と大地(地球)の”愛”。

感情ではない、純粋なエネルギーとしての”愛”、、なのに”愛”というと”愛情”になりがち。

ヴァンデルポストの一節を。『かまきりの讃歌』(あ、ヴァンデルポストの本探してたら江本勝さんの本が出て来た。)

体に、相手に、その存在の中心にあるものにリスペクトがあって、その施術ができるボディーワーカーを見つけると良いと思う。感情ではなく、個性やパーソナリティを相手にするのではなく、その存在の中心にあるもの。

その”液の体”を、クリアにできるワークがあるが、なんか、思ってんけど、アートにもその力があるのではないか?と。ボディーワークの世界だけではなく、たぶん、アートの世界も似ていて、感情に働きかけようとするアートと、根源に働きかける無私のアートがあるように思う。

感情に働きかけるアートは、混乱と混沌をもってくるから、ちゃうやつ。純粋な上と繋がってるアートにその癒しの力があるみたい、ボディーワークの世界と一緒やね。絵や音楽や、、なんか似てる気がするわ。


『ヴァン・デル・ポスト著、かまきりの讃歌』

ボディワーカーの世界から見た”愛”とは。

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愛情と愛の区別はついているだろうか?感情の次元ではない、本質の次元、それは全く違う。文章を一部引用したページはこちらのページ。縦書きじゃないと読みにくいので写真で引用してます。

 

『江本勝、水は答えを知っている』

人間の体の70%は水。水を大切に、、水は全てつながり、反応している。

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海外でもエネルギー的な世界では有名で、みなさんもどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?
水の結晶が言葉や感情、人の態度に反応している。ありがとう、愛、感謝の水は美しい。怒り、執着、の水の結晶は醜く壊れている。

水への尊敬、、”浄化された水と自然界の本来の姿である清い水はちがう。”
水、人間。水としての人間、感応する水。2023年10月、エッセンスの水を巡る旅と意味。

悪とは何か?ターゲットにされたり影響を受けてしまうとは?シンクロすること、共鳴すること、自分がそのレイヤーで、その成長の段階にあること、共鳴せず通り抜けるように、、シフトが起こる。闘わずして勝つ、、。まだ戦う相手をしているうちは未熟。自分の成長の段階とともに、自分の色を示すパターンが変わり、透明に通り抜けていくようになる。まだ反応しているうちは、引き寄せる、、成長し、精妙になっていく。人の成長。向かう先はより繊細な、より透明な、全ての始まりにある光。そこに感情や想いなど何もない、ただ畏怖の念があるのみ。

水にある知性と、進化。我々の存在とは、我々個人では完結しない。頭の理解の範囲の外側にある、水の叡智、体内では多様な腸内細菌と共生している、その遺伝子は人間のもの以上の数と共生している。”わたし”とは、だれか?遺伝子、考え、個性、、そのもっと奥底にある叡智、さらにその先にある生命の光、そんなものがボディーワークの世界観と重なりました。

我々はどこからやって来てどこへいくのか?

 

グラストンベリー・トー、空。夜明け前、月。

ここから、また、さまざまなことが始まりました。