バイオダイナミクスの世界観

私のロルフィングの基本的な姿勢はバイオダイナミクスに影響を受けています。


既に癒しがあり、 治療家は、そこに参加させてもらう。

大切なことは、 受け手のシステムの中に、新たに治療を「作り出そう」とするのではなく、それ(治療のプロセス)は既にある。 既に始まっている、ということ。 治療家は、そこに参加させてもらう、、何かをこちら(施術者)の意思で「やろう」とする余地はない。

 

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治療家として、治すのではなく、参加させてもらう。


既にあるもの、既にある、既に始まっている、進んでいる、、癒しのプロセスに、参加させてもらう。


バイオダイナミクスとその他の施術が大きく違うところが、ここ。


施術者が、治療を起こすのではなく、新たに何かの癒しを生み出すのではなく、
癒しのプロセスは既にそこにあり、既にはじまっている。

それは、命の力、その人の体のシステムに備わっている癒しの力
それが、どんなにひどくみえても、かならず癒しは始まっている。
怪我をしたら、傷口が自然と塞がるように、、ひとに備わっているもの。


すでに、しずかに、かすかに、、始まっている、
背景にある癒しのプロセス。
そこに治療家は参加させてもらう。


できることは、ただそれだけ、そこには癒しの神秘。命の神秘、
この世界の神秘があり、それを学ばせてもらっているのが、バイオダイナミクス。


我々治療家は、どんな姿勢でクライアントさまと接しているのか。
・治療家が治そうとしているのか、それとも、
・治療家はそこに既にある癒しのプロセスに参加させてもらうのか、、

その差で治療の本質が変わってきます。


・前者は、治るし改善するしパフォーマンスも上がるかもしれない、受け手もわかりやすく、認められやすい。しかし、表層の治療。

・後者は、治療が、受け手の深いシステムの中で続き、本当の治療となる。受け手にとってはときに認識しづらく、よくわからない、ということもある。

もしかしたら、何年も経った頃にその結果が差として見えるかもしれない。


うちの母なんかがその例です。本人は気づいていませんが、圧倒的に改善している。そして、それは明らかにバイオダイナミクスの施術なしにはその方向に進まなかったでしょう。それが、たまに帰省すると(期間をあけて観察できるためか)よく見えます。


わたしは、どちらを取るのか。 もちろん、後者、バイオダイナミクスの道です。

 

 

病変や歪みなど「問題」にフォーカスするのではなく、『健全』にアクセスします。

 

原因は悪ではなく、健全の源なのです。

 

歪みとは、痛みとは、問題とは、、健全によって作り出されたもの。

私たちを守るために。。

 

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病変や歪みなど「問題」にフォーカスするのではなく、『健全』にアクセスします。


症状として見えるもの、、問題や痛みや、、その出所はどこか?

問題の出処、、それは、「健全」への入り口です。


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問題、歪み、、それらは敵か?

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バイオダイナミクスでは、原因とは『完全な健全』、それは癒しの源、と捉えます。


原因は悪ではなく、健全の源なのです。

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たとえば、車に衝突されたとします。そのとき、物理学的には身体はバラバラになってしまうほどの衝撃なのだそうです。。その衝突の瞬間、、身体は、、その健全の力は、、歪みを作り出し、そこに衝突のエネルギーを集中させて吸収します。体全体としての、、生命システムを守るために。。


歪みとは、痛みとは、問題とは、、健全によって作り出されたものなのです。私たちを守るために。。


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その歪みや問題がもう必要なくなった時、、それを解放し、治療の力を導くのが施術者の仕事です。

その原因へ、、歪みを作り出した健全へ、、そこに再びつながることで、癒しを導きます。


健全への入り口を見つけるのが、我々施術家の仕事であり、
あとは内在(或いは、偏在)する健全の力がその仕事をします。

 

 

人間の本質の探求と、治療は一体である。

 

わたしは、20歳前後の二年間を何もない完全な引きこもり時代として過ごし、そこから人間と世界の本質、真実、真理への探求が始まりました。そして、紆余曲折をへてバイオダイナミクスに辿り着き、そこで、、『ない』とされていた深淵な世界を見せてもらっています。

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昔は星野道夫さんのエッセイを、最近は志村ふくみ(染色家)さんのエッセイを読むことが好きです。

その背景に流れるもの、や、古い時代の日本の風景や、慎ましさ、間合い、、それは、バイオダイナミクスの世界観。。


機織りや染色、演劇や慎ましい生活の中や四季の移ろいや食、あるいは絵画や神社の空気感、、そんなものと共通するようです。


それらは、そのエッセンス(本質)は純化していくと共通していくのでしょう。


それが治療の世界ではバイオダイナミクスだと思います。



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人間の、世界の、、本質を極めようとする時たどり着くところ、、

それは、治療の極みと同じところなのだと思っています。



。。



バイオダイナミクスの道はいくつかあるようです。


治療の道を極めた時に、人間の本質にたどり着く。


人間の本質を極めた時に、本当の治療にたどり着く。



どちらの道をゆくのか、、。同じこと。
どちらかを行っているようで、もう一方にも乗っているようで、、。

 

 

何かを流し込んだりしない、治療の力はクライアントの中心から外側へ広がって行く。

 

何か出来事が起き、、病変が作られたとき。そして、その瞬間から、体のシステムの中では治療のプロセスが始まります。

 

『体は常に健全に向かい続けるようにできている。』

 

施術者がクライアントと出会った時、既に受け手の中のシステムでは治療のプロセスは進んでいます。どんなにひどく見えようとも、かすかであろうとも、、生きているということは、その背後で健全が働いているということ。

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治療家が治療をする、とき、施術者が新しく何か治療を起こす、などということは(できませんが) その自然に内側で進んでいる治療の力を阻害します。 そのとき、新しく施術者の意図で入ってきた流れに対して、リアクションをしなければならない。 受け手のシステムは余計に疲弊し、見せかけの治療となってしまいます。

本当の治療とは、体の中で進んでいるプロセスを邪魔せず、 それに参加させてもらう、ことだと思っています。 その時、施術者の『手』は何かをしよう、入れようという濃い手ではなく、

透明な手、、。

受け手を邪魔しない、その命の流れは受け手の中心から呼吸のように外側に広がってくる。 その流れを妨げず、、内側からの何かをそのまま通り抜けさせる。 受け手の治癒のプロセスが自然と進んでいく。。

そんな手が必要です。

 

 

 

量子の世界(二重スリットの実験)

観察者の態度、見方によって、実験結果が変わってしまう。

ボディワークの世界では当たり前のことです、どうやって身体を見ているのか。。