大地の再生と体の再生

バイオエナジェティックの手法、体の世界は「大地の再生」の世界ととても似ています。施術の説明のために、、自然界の再生と体の再生について。


対処療法ではない治癒の力、体の進化、体の再生。

 

バイオエナジェティックの手法による体の再生、進化、、対処療法ではなく、治癒が起こり、再生していく様子は、矢野智徳さんの「大地の再生」 の世界と非常によく似ているように思います。

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対処療法ではない 治癒について、 わかりやすく伝えるために ”大地の再生”の例が わかりやすいかな、と思います。 矢野智徳さんの、大地の再生講座、 映画なら「杜人」 ご存知でしょうか?

 

 

脈(空気と水の流れ)を繋げる、フロー(流れ)が治療する

 

人間の力など自然の力には到底及ばない、無限の流れとあらゆる要素の関係性、関わり合い循環している。人間(施術者)が治療するのではなく、自然が自ら(クライアントさまの体がその治癒力で)癒していくのが再生。

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”大地の再生”でのわたしの印象は 一番基本的なことは、 ”人間のやりたいこと”を やるのではなく 流れを、脈(空気と水の流れ)をみる 途切れた、詰まった、脈を再び繋げる すると、 人間のできること、力を使うことなど 比較にならないほど、 自然界に満ちるエネルギー(あらゆる生き物の関係性、そして環境、、風水土、、木々、、) が、治癒を始め、治癒を続け、メンテナンスし、さらに、先に進んでいく、、調和へ。 再生へ。 ** ここで大切なことは 人間の意図を入れないこと、 人間の想像、人間の力、を入れないこと。 ここには誤解が常に起こる場所でもある。 創造の力、 それは、間違えて使ったり 間違えた理解のもと使ってしまうと 大変なことになるの。 この話題に関しては いつかまた別の機会に。 **

 

挑まないこと、自然の道に従うこと、沿うこと。自然の助けを借りる。

 

大変なこと、硬いもの、問題に挑むのではなく、そこにはすでにスキマがあり癒しの通り道が存在する。それをみつけ、それに助けてもらう。人間(施術者)がやりたいことをやってしまうと調和を乱す、、と、それに対して自然界は対処しバランスを取り戻さなければならない、余計な負荷をかけてしまう。癒しの道がスムーズに進むためには、自然界の流れを尊重し、従うこと。自然の治癒の力を尊重すること。自分(人間の欲求、要求)を消すこと。

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たとえば、 印象に残っているのは ”挑まない”、こと。 脈(空気と水の流れ)が途切れ 不活性になってくると、 それを補うかのように、 ツル植物が木を覆ったり(水と空気の流れを助ける) 藪が生まれてきたりする。 こうやって 自然はバランスを取り戻そうと 脈の繋がりを取り戻そうと する。 ここで 人の助けが役に立ち 必要とされている 脈を繋げる。 水と空気の流れ、 渦の流れ、、。 それを 通すとき 藪を切り、 水と風の通り道をつける、 しかし、 ここで、 人間の意図、人間のやりたいことを やってしまうと、 不調和になり、 さらにその介入に対して 自然は働きかけなければならない。 バランスを取るために、 正しい脈をつけるために。 つまり、いらんことしいに なっては 余計なこと そこに余計な負荷をかけている。 人間のやりたいこと ではなく 脈を読み、 自然に従い、自然に沿う 自然の助けを借りる、 がんばらない!

 

人間の力、人間の意図など敵わない、桁違いの自然界の力の現れ。創造の力、我々を生かす力。

 

体に流れる力、我々を生かす力、生命力とはなんなのだろう?

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ここでは、 藪化した 密集にはいどまない、 みただけで、タイヘン。 素人目には、 ここに一点、穴を通せば 空気と水の流れが はじまり、時間と共に 藪化は収まっていく、ようにみえる。 だけど、その一点が とても大変そうなのは 一目瞭然。 ここには、大変なこと 硬いこと、大きすぎることに 挑まないこと。 そのすぐとなり、 そのまわり、 どこか、、。 ”すでに通り道がある。” 向こう側が 少し透けている 隙間がある。 そのすでにある 通り道を たすける。 楽に、調和するように 藪を切る、がんばらない すでにある通り道 たすける。 そして、 あとは、やりすぎない! 周りと調和し、 自然に沿うように。 人間、どうしても もっとやりたい、 風を通すとういう目的!!! をもつ。 やりすぎる。 もう、見ただけで 違和感。 ”人間の通り道” になってしまってる。 獣道、が見本。 真四角で 何も邪魔のない道、 人間の意図、やりたいように やってしまった。 そうではなく、 ”助けがある。” 全部やらない。 完全にしない。 手を入れて、 道筋ができてきたら、 流れが通り始めたら そこで、 やめる。 あとは、風がつづきをやる。 無限の力、無限の時間、、それは 風だけにとどまらず、 さまざまな 想像を超えたような 関わり合いの中で 進んでいく。 鳥が、虫が、微生物が、 水が、空気が、日差しが、 それに参加し 人間の力人間の意図など かなわない 自然界の背景にある 超自然界とも思える 力が働き始める 意図のない力 これこそ 創造の力。 創造の力とは 人間の欲ではない、やりたいことではない 想いや気持ちなどでは とうていない!!! 創造の力とは すでにそこにあり いつも働き助けている それで生かされている。 それが現れてくるように 働きかけるのが 人間の役目、 施術者の役割 決して、思いや気持ち 理論や欲求では ない。 創造の力 自然界の力 その背景にはまるで 超自然界の力が働いているかのよう それを 創造主、神、ひかり 宇宙、 と 人によっては呼ぶのかもしれない。 **

 

無数の関わり合い、人間の頭脳、理論では理解できない。治癒と再生。本来の道に立ち返る。

 

こんな文章をふと思い出す。”現代の人が失ったものは、古い時代の医者の持っていた、謙虚さと自然への畏怖、、我々の失った姿勢が我々の病を増長させているのかもしれない。”

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そのように、 大地の再生のように、 体の再生、体の治療、体の治癒は 行われる。 真実の世界。 理論や理屈を いくら 使ってみたり、決めてみたり 解剖してわかってみたりしても 現実のリアルは その決まり事には収まらない。 無限の要素、 無限の働きの それぞれが無数に 関わり合って、生きている。 そこに 人間の頭、頭脳、感情では 介入できない。 理屈を一つ当てはめる その理屈には足らない要素が 弾かれる、 すると、 不協和音がはじまる、不調和、、 それは、 その場では解決したように、解消し治ったように見えても 時の流れとともに、どこかに矛盾を生み、どこかに症状が現れる。 では、人間がやれることはなんなのか? 施術者の介入、は、なんなのか? 理論理屈の前に、 流れをみること、 調和が起こる、流れをみつけ、 それを繋げる、 詰まった流れを 解消し、流れは拡大し、 本来の道筋を進む、 その流れが、滋養を与え、老廃物、毒を流し 無数のことが、 関係性が、そこではじまり 起こり、癒す。 矛盾は起こらず、 体の治癒は続いていく 大地の再生と 体の再生は 同じ。 空気と水の流れが 大地を自ら癒していくように 代謝と エネルギー的な流れは 体を自ら癒していく それが、バイオエナジェティックの施術。 だから、 フロー(流れ)をみている施術は 対処療法をしているわけではない 腰が痛く癖になっている それを治す、ということにとどまらず もうそれが起こらない方向に 施術は進んでいる。

 

奇跡が起こる。

 

施術をしていて、最近では”何だって起こり得る。奇跡だって起こる。”ということを実感するようになってきました。リアルに、確実に、現実に。その感触がある、しっくりくる。流れを妨げず、流れが生まれ、流れが治療する。だから、施術者、人間として、理論理屈を全て知ってはいなくても、(もちろん知っていることが大きな助けや治療の方向づけになるが。)流れが生み出す治癒の力が現れることで、なんだって起こり得る、正しい方向に進む、治癒に向かう、、。そのように施術はできるのです。それは、古い時代のオステオパス医師がやっていたことなのでしょうか。

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大地の再生で、 一度目の作業で 風と水の流れが始まると 数ヶ月後に、 次の段階に進める、 変化した自然環境は 次の脈を見せる、 それに対して、つまりをとり あらたに脈を繋げる、 奇跡が起こる。 そのように、 施術は一つ一つが途切れて終わっているのではなく 次の段階に進み 次の段階の 施術が 次のシフトを促している。 大地は徐々に癒やされ、 体は徐々に癒やされる。 しかし、 徐々に、、って 結構早い! 大地の再生、 森の再生、って、 すごい長くかかるイメージあるでしょう? 5年、10年、、30年、100年、、。 いや、そんなことない、数日、数週間、 数ヶ月、1年で、 全然変わる。 それは、人間が仕事してるわけではないから。 自然界のエネルギーが仕事してるから。 全ての関わり合いが 全開でそこに参加するから、 変化する。早い。 体も そのように 可能性があるようにおもう。