カラダとは何か

カラダのリアリティー、一般には知られていない。ないことにされていること、、その一部だけご紹介。

〜編集、追記中、、現在のところブログからの抜粋がメイン。。その他全体像や世界観も記述する予定です。(2018/06/22)〜


この体、無償の愛。

 

フィジカル、肉体。、この肉体。

 

 

 

それは?

 

制限、限界。境界、硬い、歪み。

 

 

 

 

。。それが、フィジカル、、逃れたい!

 

 

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それが、実は、無償の愛。だったとしたら?
せかいは、逆転してしまう!?









そんな、ことを思いました。










人に触れること、
閉じ込めて、変えてしまうこと、その恐れ。





あるいは、制限され、逃げ場のない、牢獄。
そいういう、肉体。







そういったイメージ、
そういった体験、、
本当は、その存在は?
この肉体は、








わたしの(バイオダイナミクスの)先生は言われました。
フィジカル(肉体)は、コンパッション(無償の愛)だ。と。




どういうことなのだろう?
肉体とは、病変や歪みや制限、と聞かされてきたし、
そう体験してきた。


それが、無償の愛?
それで、人の体に触れてもいいの??











フィジカル。














**






この腕の中、手の中にある、肉体は、モノは、なんなのだろう?






**






そんな、疑問は、
疑問のまま、クラスは終わり、
質問することもなかった。






フィジカル(肉体)は、コンパッション(慈愛)。。







あるとき、あるセッションで、、
人に触れていた時、、


完全に違う次元、肉体が消え去り、、、何もないところに行きました。
そして、体は分解し、粒子となり、消える。
クライアント様は、死んで、生まれた。というコメントをされました。


そういう、次元の中で、、。
私の脳裏によぎったことは、
これは、この肉体は、この肉体を構成する、、、
地球だ。





この原材料となった物質は、地球からやってきた。
私が触れているこの体。
私のこの体。これは、マザーアース。









地球だ。














生まれ出ずる。
そのおおもと。





この世に、形として存在させてくれる、
聖なるマザー。その物質。体。










インカネーション。
輪廻。



受肉。













そこには、肉体として、現れた。
このマザーアース、地球の慈愛。
それが、体、、。







触れられる、体。

 

 


新しい右手

 

昨日まで、バイオダイナミクスのトレーニングに行ってきました。

 

すごかったです。

 

 

 

 

新しい右腕をいただきました。

 

 

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新しい右手。















透明で、赤ちゃんみたい。
って、クラスメイトと握手するといわれました。


すごいー、こんなことが起こるとは。





この右手、
大切に使わせていただきます。







**










クラスの二日目に、
僕はデモのモデルとして、先生の施術を受けることができました。

それは、過去に帰る施術。

むかーし、むかし。
『幼少期、たぶん、、7歳くらい。』
『右腕に何かがあった。たぶん知らないって言うと思うけど。』
。。まったく覚えがありません。

(もしかしたら、過去生(??)なんて、冗談か本気かわかりませんが、そんなことを
おっしゃってました。。)


「ふむ、、腕が短くなってきた。。」
(もちろん、物理的な腕に変化があるわけではありませんが、もっと違う次元のレベルの体を見ています。)
「なにかがあった。もしかしたら、ピッチャー?」何て言いながら、、。


「うえ〜。。気持ちが悪い、、。うぇ〜〜〜。。」
って言いながら、(アメリカ人なので英語)僕の腕を施術してくれました。
長い時間をかけて。

腕を解放し。

。。「何か」がいたのでしょうか?


受け手の僕としては、ただ、骨をぎゅーっとされている感じ、
ただ、きもちいな。くらい。


「まだ、この辺に何かあるな?」
と、肩のあたりを触れられて、、、


そして、右腕の解放が終わったのか、、
ハートや喉のあたりを触れられて、、


そこで、記憶はなくなって、
たぶん意識状態が変わりました。
意識が戻って、気がつくと
。。

「喉のあたりが開いて、ハートと腕が繋がった。」
というあたりで、意識が戻りました。


ハート〜喉〜腕、、。
無償の愛、スピリチュアルな創造性、そして、表現。
(ハート、喉、腕、、はそのように表されたりします。)


そこがつながり、、
この人は、奉仕をする。






**










起き上がってみると、世界がクリアだ。
腕が、、右腕の肘から先が、ちがう。
あたらしい。うまれかわっている。

あたらしいいのち、
そんざいがちがう。








。。




そして、しばらくして、
授業で聞いたことが思い出された。




(簡単にいうと、、。)
この世界のさらに深い領域、、3つの層のその先。
無意識の領域。そこに個人を分け隔てる境界はない、皆に共通の領域。


そこを、、進む。
治癒の領域。その先に進む、完全な健全。その源。
そして、通常は、この世界に帰ってくる。
しかし、まれに、
こちら側に戻ってくるのではなく、、
その先を通り抜けて、、このここが分裂した、我(エゴ)による、フィルターを通り抜けた。
純粋な、クリアな世界に至ることがある。
フィルターのない世界。


授業で聞いた世界。
そのデモセッションから帰ってきたとき
そんな、感覚でした。







**








右手が新しくなった。
透明で、、。





この手で、何ができるのだろう?






イノセントな、手。
奉仕の手。無償の愛。


そんな手をいただいた。
そんなことが、この世界で、この私に起こるなんて。。




**




クラスメイトに何人か触れてもらったところ、
すごい〜。って、感覚だったらしい。
イノセント、新しくなった。



しかし、、しばらくして、、
いろいろなもの、が、くっついてしまってくるような、、
ちょっとずつ、硬くなっていく。




失われてしまう。







再び友人に触れてもらったところ、
「あ、変わってる。」
あー、あ。
せっかくの手が。。






翌朝、目がさめると。
手が、あの手になっている。
イノセントな新しい手。





、、、。






1日を過ごすうちに、硬くなっていく。
触れるその時々で、違う様相を持つ手。



そんなことを繰り返すうち
あることに気がついた。





自身のミッドライン(中心軸)
につながって。
ハートにつながる。





すると、次元が変わります。
あたふた、している次元、
損得勘定の次元、競い合い蹴落とす次元、
いつも切羽詰まって、ギリギリで、何もわからず追い立てられている次元、、
そういったものから、景色が変わり。
静かになり、
周りがゆっくりになる。そして、少し暗くなる。
。。しばらくすると、光を感じる。
胸の中心。ハート。



いくつか、解放が起こり、その静けさの中に到達する。
静かになり、次元が変わる。







ふー、ここだ。






そして、右手で、
左手を触ってみる。


ああ!







透明で、きれいだ。
いつもの手とは違う。







すごいー。











何も遮らない、透明な手。
癒し手の手をいただきました。

 

 


万物があるがままの姿で存在すること

 

昨日カフェで見せてもらった本「子どもたちに贈る12章(真弓定夫)」

そのなかで、こんな一節があります。

 

 

 

『老子は自然を「自ら然り(おのずからしかり)」と読み、万物があるがままの姿で存在することが最も大切であると説いています。老子はまた「無為自然」とも言い、自然に人が手を加えないことが望ましいとも言っています。』

 

 

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万物があるがままの姿で存在すること。
自然に人が手を加えないことが望ましい。



カフェのオーナーさんとお話ししていて、
木曜日は滋養のある質素なご飯を提供しようか、と思ってるらしいです。
健康的で、そして、本来の命の活力を持つような。


最近、野菜を見に行ってきたらしいです。
自然農で育てられた野菜。有機野菜ではなく、です。

そこには、すごい力があったらしいです。
ぜんぜん違う!



それが、大切。




自然であること、
そこには、そこにこそ、力があります。




**



これって、バイオダイナミクスを取り入れた
私のロルフィングの根幹と似ています。


人の手を加えず、万物があるがままの姿であること。
自然であること。

そのとき、体にはポーテンシーと呼ばれる
命の活力が発揮されています。




それが、私のロルフィングで目指すところです。

 

 


MAY THE FORCE BE WITH YOU.(フォースと共にあれ。)

 

植物療法とバイオジェン、

MAY THE FORCE BE WITH YOU..

 

 

先日、3泊4日で植物療法のトレーニングに参加してきました。

 

植物療法のこと、いっぱい書こう、書きたいことたくさんあった、、そして、日にちが経ち、今日はなぜか洗濯機を分解した。そして、書くことの内容(時間が経って)を忘れた。

 

 

 

結局、MAY THE FORCE BE WITH YOU.ってことなんだ。

 

 

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わたしにとって、不思議というか、普通の人と違うことで驚きなんですが、
バイオだったり、ロルフィングだったり、体のことだったり、、どうしても切り離せなくって、

たぶん、昔っから、それで(気づかぬうちに)生きてきて、
そこを辿ってここまできた。
っていうことがあります。それを、共有できる人とできない人がいるんだなあ、と
最近知りました。あ〜、そうなんや。と。


それは、何かっていうと。
植物療法でいうところでの、バイオジェン。
スターウォーズでいうところの『MAY THE FORCE BE WITH YOU..』


(スターウォーズ、ちゃんと見たことないんです。DVDでみなくっちゃ!)




それがないと、そこと繋がらないと、
もう、なにしてんのあんた(自分)?ってなる。
だから、ここまできたんでしょ?
って。






さあ、バイオジェンってなんでしょうか。




植物療法のはじまりはじまり〜。





**





今回の植物療法の講座の先生は、
僕のバイオダイナミクスの先生が連れてきた、ティンクチャーを使って治療をするオステオパスの方でした。


ティンクチャーって、何?
僕も全然知らなかったのですが、
こんなやつです。


植物(ハーブですね。)を
アルコールに漬けておいて、その成分を抽出し、
それを摂ることで、病気などを治療する、というやつです。
その抽出した成分を含んだアルコールのやつが、ティンクチャー。



クラスでは、幾つかティンクチャーをつくりました。
レモンバームとか、カレンデュラとか、エキネシア、セントジョーンズワードとか。



ハーブをミキサーにかけて細かくしたり、あるいは、そのまま、、アルコール度数40度以上のクリアなものに漬ける、、ウォッカを用いました。



分量は、このくらいで、、、あれっ!こぼれてもうた。ま、いっか。
だいたいそんくらいで、大丈夫。。


。。思ったより、テキトーでした。



**





クラスで、印象的だったことをいくつか。


・ネイディブアメリカン、シャーマン、受け継ぐこと、つながり、流れ。。もしかしたら、祈り。

クラスの始めの方で、先生のおばあちゃんの写真がスライドに。
おお、なんか雰囲気ある。ネイティブアメリカンみたい、、と思ったら、そのおばあちゃんは100%ネイティブアメリカンの方でした。

あるとき、先生がまだ6歳くらいの頃、、おばあちゃんに連れられて、森の中に。
そこで、ある植物の根っこを食べるように、言われました。。そして、それを摂りました。

おばあちゃんは言いました。「これで、あなたもシャーマンよ。」
と、シャーマンの血を受け継ぐ儀式だったようです。


そして、先生はクラスで、あるティンクチャーを取り出し、
それを皆の水の入ったコップに数滴垂らしました。
もし、シャーマンの流れにつながるのなら、飲みましょう。そうでないのなら、飲まなくてもちろん大丈夫。


それを、みなで飲みました。


そのときの、僕の感覚は、
しばらく、上の方に流れるような、鳥肌が立っていました。
ずーっと。


グループ、その講座に何らかの縁があってやってきた人たち。
そのグループの力というものがあるようです。



これで、あなたもシャーマンですね?



。。



変に思うかもしれませんが、
なんか、古くから伝わるネイティブアメリカンから続く何かに繋がるのは光栄な気持ちがしました。



。。



クラスは続き、、3泊4日でした。
その間、ティンクチャーを作ったり。


三日目でしょうか、作ったティンクチャー、レモンバームを摂って、
施術をしてみよう、ということになりました。
施術と言っても、何かをするわけではなく、
ただ、ティンクチャーを摂った受け手の方を観察する、というものでした。



ティンクチャーを摂るだけで、
体が大きく変わる、ということを皆さん体験されていたようです。



僕の場合は、
摂った直後というより、徐々に、、
変わっていく。。



その後、部屋に帰り、、一人で過ごすうちに、、
平穏な時間を。
何と静かで、平穏なんだろう。


気がつくと、ここ数週間、
痛かった首が治っていました。



僕は、人が多いところが苦手なんですが、
ティンクチャーを摂ってから、
皆かわったようで、グループの雰囲気が変わったようでした。



。。



何がそうさせたのでしょうか??



。。



次の日、あるクラスメイトさんが、(一般の学校で解剖学の先生されている方です。)
質問されました。


「昨日は、すごかったです。レモンバームのティンクチャーを摂っただけで体が随分変わりました。しかし、講座に来る前に自宅で、レモンバームのお茶作って飲んでみたんですが、こんなにすごいことは起こりませんでした。アメリカから持ってきたレモンバームがすごいものだったのでしょうか?」


「いいえ。同じものです。何が違ったのか?、、思い出してみてください。この場で、みなさんで作ったティンクチャー。その皆で作ったフィールドの中、意図の中で作られたティンクチャーだからでしょう。」



。。



クラスの紹介文の中、こんな一文があったと記憶しています。

「植物はそこにいて、奉仕することを待っている。

わたしは、植物のティンクチャーを作る時、たとえば、ゴールデンシールよ、お前は、この殺菌効果を持って、ウィルスをやっつけるのだぞ!と、いう意図を持って作ったりはしません。ゴールデンシールよ、その持っている運命を全うするように、とつくります。

そして、そのティンクチャーの瓶とつながります。」



意図といっても、人間のエゴから作るのではないのですね。
お前の運命を全うするように。



。。



**




講義の中、こんなことも紹介されました。


必要とされる植物は、身近にやってきてくれている。


雑草だ、と排除しようとしていた植物が、解熱の作用を持つものだった。
あるいは、ガンを消す助けをする植物が、やってきてくれていた。
植えた覚えはないのに、どこからか種がやってきて、根付いてしまっていた。


。。


なにが、そうさせたのでしょうか。


。。



そして、植物の効用。


何が、そうさせたのでしょうか。



思わず手を合わせている。そういった存在。
その植物の、、?、、背後にある、存在。



種をそこに落とし、芽吹き、
その効用をもって、そこに奉仕しに来た。


運命を全うする。


ご縁。


それを、そうさせたもの。
その存在は、何というのでしょうか?




MAY THE FORCE BE WITH YOU..







そういうことのようです。
たぶん、、。






。。




わかりやすくいうと、この人間社会の成り立ち。
得する、損する、、。




でも、その命は、その枠に収まるはずもなく、
その背後に、
何かが太古から繋がり流れている、、。



あなたを私を出逢わせたもの、、。
植物をそこに配置し、奉仕しに来たもの。
その効能を持たせ、私たちをここに学びに来させたもの。



それが、バイオジェンです。









**







バイオダイナミクスでは、それは別の名前で呼ばれますが、
その、植物療法でいうところのバイオジェンと繋がること。



それなしでは、損する、得する、の永遠のループで迷い続けるだけです。
あなたは、本当は、なにを望んでここにきたのか??



頭で、考えて、あるいは、知っていることの範囲の中、知覚の中で、
、、そこでわかることなど、エゴの世迷いごとです。
。。その外側で知っていること。



だから、ここに、ここまで来たんでしょう。
静かなところで、そこと繋がります。



そうすれば、わかる範囲の外側で、
わかるということができるかもしれませんね。




 

 


バイオダイナミクスなしでの施術はあり得ない

 

 

2日前まで植物療法の研修で熱海に行ってきました。

 

 

 

そこで、、、いろいろ印象的なこと、バイオダイナミクスとロルフィングとわたしのつながりについてなど

 

思うことがありました。。

 

 

 

 

わたしのロルフィング、、。そして、バイオダイナミクス。

私のロルフィグは一般的なロルフィングとは違う、と思います。何が違うのでしょうか?

 

 

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いくつか、説明をここで、試みてみようと思います。
そして、植物療法であったこと。





**






わたしにとって、バイオダイナミクスとは
何をするにしても、中心にあるものです。
純粋な存在であり、自身の力の外側にある、中心。


バイオダイナミクスとロルフィングを別のもの、として
捉えることは、ありえません。



わけることのできないもの、です。




バイオダイナミクスとは、その本質とは、
手技ややり方のことでは
ないとおもいます。



**


私の考える
ロルフィングと、バイオダイナミクス。


その例を、見ていただきましょう。


たとえば、コップがテーブルにあり、それを持ち上げます。
はい、どうぞ、やってみてください。


ふつうに、持ち上がり移動できましたね?


さて、次に、
まず、自身のミッドライン(中心軸)を感じます。
探しに行くというより、「中心軸」と問いを持った時にふと注意が向くところ。
そして、できたら、空の中心、地球の中心、を感じ、つながります。

(すこし、背骨がゆらゆらしたり、呼吸が入ってきたり、皮膚がピリピリしたり、、そんな反応が続くかもしれません。)

落ち着いたら、ご自身のハート(心臓あたり、でも、臓器としての心臓ではなく、そこにある、ヨガで言うところのチャクラのような、エネルギーのような、、何か)を感じます。

そして、コップを見ます。焦点を当てるというよりは、気づく、という感じ。
自分のミッドライン、ハートは失われません。そして、そこから、コップを手に取り、持ち上げます。


持ち上げた時、何かが変わっているのがわかりますか?



機械的に、流れ作業で、派遣で働いているような、、
そんな、ところからコップを持ちあげたときと、違いますね?

ミッドライン、ハートからコップを持ち上げた時、
つながりの感覚や、なにか、、シックリくる感覚、、そういう場所から動きが起こる。

それらに、気がつきます。そして、
このとき、何かが、意識で想定していることや気づいていること以外のところにも、いろいろなことが起きているのかもしれない。



。。


私にとっての
ロルフィングとバイオダイナミクスとは、


コップを持ちあげること=ロルフィング。
ミッドラインやハートとつながること=バイオダイナミクス。

ということです。



これらは、分けられるものではありません。




**




さて、では、具体的に私のロルフィングとは何なのか?
一般的な、あるいは、かつて古い時代に私がしていたこととの違いとは?





各回には、ロルフィングのレシピがあり、
各回にやるべきこと、達成すべき目標があります。


たとえば、セッション4〜7では、
4、脚の内側〜骨盤底〜内蔵空間
5、脚〜大腰筋〜背骨
6、脚の背部〜仙骨〜背骨
7、首〜頭蓋〜腕


そして、
10シリーズ全体としてみると、ロルフィングの全体の目標としては、
その人としての「全体性」を取り戻すこと。

これが最大の目標だと思います。




全体性って?
(身体の構造だけではありません。と、私は思います。)


身体構造は
部分としてバラバラではない、
まとまりがあり、全体が連動して動いている。
呼吸が全身に染み渡る。。


感情や、思考のわだかまりや
引き込まれていた渦から抜け出し、その渦のエネルギーは
全体の健全の力に再び帰っていく。


個として、隔離され、洞窟から世界を覗き込むように
淀んだ場所から出てくることを知り、
世界と関わりを持ち出す。
そして、新しい世界に旅立っていく。




それを達成するのが、ロルフィング。
そういうことだと思います。



。。



そして、ロルフィングの最大の魅力は
10回シリーズである、その期間にあると思います。
日常を離れ、体の変化とともに、、
体と、こころと、スピリットと、、世界と、、つながりと対話する。
その期間、ひとはいろいろなことを考えたり気づいたりするようです。

ロルフィングとは、旅のようなものだ。
とわたしは思います。


それは、他のワークにはない魅力ですし、
どんなに素晴らしいワークが他にあったとしても
ロルフィングはずーっと続けていくライフワークだと思います。



。。



だから、私の場合、
構造として、体がまっすぐになればいい、とか
単に動きが楽になればいい、とかとして人をみてはいません。

もちろん、ロルファーとしてロルフィングを提供していますので、
どうしても、その思いはあります。
が、そうしないようにしています。


楽にあること、自然であること。


ひずみが解放され、全体としてまとまっていくにつれ、
その結果が、結局、
重力と調和した状態、つまり、姿勢が良く、よりまっすぐになっていく。


勝手に(まっすぐに、姿勢が良く)なっていくんです。
たぶん、それが、自然の摂理だと思うのですね。
水が高い方から低い方が流れるように、、。
ひとは、自然になると、まっすぐになっていく。



。。




(おっと、話が逸れてきたので、、。)




私のロルフィング分では、具体的にどんな感じで施術しているのか、
その世界観は、といいますと。。





まず、レシピがあり、その回でやることや、起こるべきことは知っています。
それは、無意識の領域で、情報として、、あります。
しかし、実際にセッションが始まる際には、できるだけ、それを忘れ、捨てようとします。

私個人の人としての頭は、ニュートラルになる。

その情報は、そのセッションの空間に漂っていて、自然と影響を与えている。
そんな、イメージでしょうか。




そして、セッションの時には、
「全体性」を見ているのだと思います。

つまり、各回の部分的な目的としての意図は、空間に漂っていて、
私の個人の頭は、ニュートラルで何もない。ことが理想。


その場でやっていることは、全体性をみている。
そして、導かれている。


しかし、完全にニュートラルで何もなしでやっているかというと、
たぶん、そうではなく、どうしても
その回で扱う部分や構造には、どうしても目が行きますし、

直接的、間接的(たとえば、足首を持っていても、間接的に肩に触れることはできます。体は繋がっていますので)に触れるべきところに触れる、ということをしています。

あるいは、そこに触れたいけれど、触れられない、、受け手の体が触れることを望んでいない、ということもあります。
そのときは、触れませんし、扱いません。。が、気にはなります。しかし、そういうときは、ほとんどの場合、他に触れるように導かれたところをワークすると、その影響が波及し、その本来触れるべきところも、変化します。



。。



つまり、私のロルフィングでは、

・常に(部分やレシピや作戦やこうすべきということやしなければということは無視して、)全体性のみを意識してワークをしています。
・しかし、部分や作戦やこうすべき、というレシピは引力を持っていてそこに引っ張られている。

そのバランスで、ロルフィングをしている。



もっと簡単に言うと、
コップを持ちあげる、という動作がその回の目的であった場合、

わたしの意識は、ミッドラインとハートに「全て」向けられている。
そして、そこから導かれること(単に作業のように持ちあげることとは違うこと)をやっているが、
しかし、どうしてもコップを持ちあげるという、設定があるので、その「コップを持ちあげる」動作は自然とされてしまう。

という感じでしょうか。






**






(お、今日も長いな。。)






あと、最後に一つ。

・施術者がやりたいことを、やるとき。
・あるいは、ミッドラインやハートからやらないとき。

何が起こるのか、、。私の考えです。



施術者がやりたいことをやる、決まりごとをやるとき、
このとき、体は望まないことを押し付けられることになります。


基本的な考えとして、治癒や歪みの解放の力は、すでに体の中に内在していて、
施術者が触れる前から始まっている。ということがあります。
施術者は、それに沿うことで、その治癒の力を、歪みを解放する力に加わる、というイメージです。


しかし、そのすでにある体の力を尊重せず、決まりごとをやってしまうと、
体はそれについて、抵抗しなければなりません。余計な負担です。


それは、私の持つイメージでは、たとえば、
添え木を当てて体をまっすぐにする、、。体はまっすぐになるが、添え木は異物。
それをクライアント様はずーっと、つけていくのか?

かりに、それをずーっとつけていくことが受け手と施術者の双方で良しとされることがあるかもしれませんが、
、私の感覚では、
その添え木に対する代償をどこかで負担しなければならない。それは、肉体の痛みなどとしての体の構造のどこか他の部分かもしれないし、もしかしたら、感情や、世界観の歪みとして補填されていくのかもしれない。


それよりも、命の知性に沿うこと。治癒の流れに加わること。
そこで、やることの方が、見た目や満足度を満たすより
私のやる仕事だと思っています。






。。








なので、まとめると、、。



バイオダイナミクスとは、手技の一つではない。

ロルフィングや、クラニオセイクラルや、イールドワークや、整体や、マッサージなどのジャンル分けの一つではなく、
その中心に流れている命の知性、世界の本質の意識、それなしでは、ただの作業になってしまう。。


だから、バイオダイナミクスを学ぶこととは、
全ての真髄に通ずること、
それが、ロルフィングであるかもしれないし、もしかしたら、ダンスやアートや、
家族や人と接すること、日常を生きることの中にあるもの。



それを知るだけで、その人は変わるし救われる、、それは、広がっていく。
そんなことを思ったりします。




それが、私の考えるバイオダイナミクス。




 

 


ロルフィングは姿勢だけでなく、私と娘(9歳)の関わりにも何等かの影響を及ぼしたようです。(M.Y.さま)

 

背中の感覚を取り戻すことで、背中のぬくもりが感じられるようになり、安心感まで得られるようになった。(M.T.さま)

 

体だけでなく、ずっと自分自身を責めていたこと、自分を信じていなかったこと、早く死んでしまいたいと子供の頃から思っていたこと、そういったものが解けていく、、。(E.A.さま)

 

ずいぶん過去のことを思い出していた。 自分が自分の身体にしてきたこと 直接的ではないことも。過去の後悔みたいなものや反省と感謝の念が起きていた。 自分が胎児だったことまで思いが巡った。 生まれなかった子どものことを想っていた。そのあと、大好きな沖縄や八重山諸島の海辺の波打ち際で横たわり足からアタマに波が寄せては返すというイメージに包まれて本当に心地よかった。…。(A.H.さま)

 

しばらくすると、突然身体の奥から無性に足を回したい、手を回したいなどの欲求が出てきて自分の意思とは無関係に身体が動くという何ともいえない不思議なことが起こるのです。…。(H.N.さま)

 

体が私を守ろうとしてくれていたこと、この痛みは私を守る為の痛みだったことが分かって、私は私の体をずっと責めていたのに、そんな私への体からの無条件の愛を感じて、(体と命が別物みたいな言い方ですけど)体の神秘、命の神秘と天の計らいに思わず泣いてしまいました。(E.A.さま)

 

身体の変化に伴っての、、知覚の変化、自分と空間との関係性、居方自体が変化した(「よくなった」という言い方も出来るし、本来在って鈍っていたものを「取り戻した」という言い方も出来るかと思います)ことで、随分と色々なことが楽になったなと思っています。(I.S.さま)

 

表面ではなく、もっと内側の繊細な部分が解放されて行く感覚が凄かったです。長い間固結びしてしまっていた糸を、ゆっくり、そっと解いて貰っているようなイメージでしょうか…。(N.K.さま)