わからないということ

施術者として、施術するということは、、”わからないところ”に居続けること。


3つの物理的方法」ページで手技療法の3つのタイプを書きました。その3つ目の方法、バランス点で私は主に施術をしています。そこで施術をする、ということは、どういうことか?といいますと、、

 

「何が起こっているのかわからない」です。

 

つまりこれはどういうことかと言いますと、施術者として分けわからずにテキトーに施術をしているのではなくって、その体が変化する場所、バランス点で待っている、、ということをしています。そのバランス点は、物理的な身体感覚により、知覚して、、つねに、その点から外れないように、体の変化が起こる場所、たとえばニュートラルな場所、を、逃さないように、サポートし続けるように、乱さないように、、つねに、そこで待っている、、その状態を保持します。それには、身体感覚による知覚が必要です。

 

そのバランス点で、体が変容する。しかし、そのニュートラルになった体の内で、何が起こっているのか。。それを全て把握しているわけではありません。把握できるのは、ごく一部です。なぜなら、体は命のリズム流れ法則で動いています。血流、組織、筋肉、水、骨、、あらゆるものが、あらゆるレベル、、細胞や分子原子レベル、、もっと極小のレベルにまで、、変化や代謝、、酸素や栄養など、、まで、その内側では動いて遮るもののない純粋な流れの方向に向かっています。それが、ニュートラルな場所、バランス点の場所です。

 

ですので、それを施術者の健在意識で全て知覚する、などというのは無理です。圧倒的で無数ですので。

 

体が何をしているのかは、わからない。わかることは、そのうちで、施術者に必要として知らされる、その場を保持するため、次の展開に、導かれるための、必要な情報だけです。しかも、それは、施術者が見つけに行くのではなく、(施術者の意図を使うのではなく)体から知らされるものです。(施術者が意図を向けて何かを知ろうとかやろうとかしてしまうと、体はそれとは違う命のリズムと流れで進もうとしているのに、邪魔されてしまいますので、体は本来の作業とは別にそれに対応しなければならない。体には負担です。)

 

と、いうわけで、施術者は、相手の体のことを把握しているのではなく(!)、その無数のわからない変化、わからない状態の中、ただ待つ、その状態を、邪魔せず、体が進むべき方向に進む状態を、保持するのみです。

 

だから、施術者は、「何もしていない」のです。(でも、治ってほしいし、よくなってほしい、、そのエゴがどうしてもでてきますので、そこに行かないように、、ただ、無私の状態、謙虚であることを、、。いつもこれがテーマです。一生の学びになっていきますね。。)

 

だから、施術者が相手をお見通し、とか、相手の何かがわかる、とか、コントロールできる、とか、そういうことは、全くないのです。バイオダイナミクスの学びとバイオエナジェティックのアプローチで施術している限りは。バイオダイナミクスって、そういうものなのです。なにもしない、なにもできない。ただ、待っている。無私で、、謙虚であること。

 

そうなんですよー。

 

わかろうとする、とか、見ようとする、、と、変化を止めてしまう。邪魔してしまう。なにもしないこと。何もできないこと、だれでもないこと。それが、施術者です。