”エネルギー”という言葉
わたしはスピ系でも、妄想家でもない。そうはありたくない、です。私のよく使うことば、エネルギー。それは一体なんなのか?スピ系とはどう違うのか。現実のリアルなのか、、。そのお話。

”エネルギー”という言葉

 

エネルギーという「言葉」、もうあんまり使わない。(使うけど。)

なぜかっていうと、

おかしなことになるから。

 

こっちの当たり前の前提が、そちらにはわからないことから

変なことになったら嫌やし。

 

エネルギー、って何かと言うと?

 

その、、不思議な力とか、超能力みたいなもの、ファンタジー、として

受け取るのが普通かもしれませんが、

ボディワークの施術者からすると、

そういう、想像や妄想のことではありません。

 

けど、そういう、妄想や想像のことに

されてしまう、受け取られてしまうことがある、

それは、とても危険なこと、なので、

もう(そういいう「言葉」は)あまり使いたくないな、

と思います。

 

 

では、エネルギー、ってどういうこと?

というと、

 

 

たとえば、、ですけど、

たとえば、草木染めで糸を染める、ということをするとします。

 

現実の、”染め”の行程ですね。

ここにファンタジーや妄想を持ち込むことは、一般的に考えても、ないと思います。

 

その染めの行程で、わたしたち、ボディワーカーの身体感覚世界では、

どのように、その世界が見えているのか?

 

草木から、煮詰めて、染液がつくられます(たぶん)。

それを、加熱して、お湯の中に、

糸を浸して、、まぜたり、くるくるしたりして、、

糸に染液が染み込み着色する行程をします。

 

そのとき、

 

我々ボディワーカーには、そのタイミング、どこで

染液から引き上げるのがよいのか、

が、「わかります」。

 

ちょうど良いタイミングがあります。

それ以上浸し続けても、もう着色しない、ということ、

それ以上浸し続けていると、余分な成分が、着色してしまう、ということ。などなど、

その生命の色を、受け継ぐ時には、

その、ちゃんと、そのタイミングがあるはずです。(だと、思います。)

 

 

それを、一般の科学的なやり方に頼ってみると、、

時間や分量を量って、きっちりその通りにやってみる。

その、時間や秤が頼りになりますよね。

 

しかし、

 

生命を扱う、草木染め、

そこにボディワーカーは、静けさ、、、を見つけています。

感知しています。

それは、生命体だからか、自然とそうやっています。

 

わかるんですね、

 

今がそのタイミング、あ、終わったな、、とか、

あら、、ひと段落したんだけど、、どうも、、なにか、、あと、、この先に、何かありそうだ、、もう少しまつ、、。

 

そこに静けさや、流れを感じているんです。

 

それは、モノ、ではなく、

それは、物質、として、みるだけではなく、

 

その背景に、流れていたり、

佇んでいる、静けさ、が、あるんです。

 

それは、やってみると、

自然と、わかりました。

 

 

。。

 

 

モノができる、ってなんでしょうか?

モノが初めにあったのか?

それとも、それ以前に何かがあって、そのあとにモノが、、物質が形成されていくのか?

 

植物の細胞の、、あるいは植物の葉っぱ、花、、幾何学模様。

それは、何に沿って、できたのか?

 

それ以前、物質以前の何かがあった、それを、感知できる。

物理的な、なにか。

物質以前の物質。つまり、比喩的にいうと、

荒い粒子の物質と、もっと静かな物質。

粗い粒子と、繊細な粒子。

 

見えやすいものと、見えにくいもの。

日常の身体感覚と、生命の根源の近くに行って感覚する身体感覚。

 

 

。。

 

 

あら、、何言ってるんでしょうか?

失礼しました〜。

 

 

つまり、妄想やイメージやファンタジーの中のエネルギー、不思議な力、というのとは全く次元の違う、

リアルの、繊細さの、原理原則の、話なんですわ。

 

 

そこに、妄想やファンタジーや思い込み、

を持ち込まれると、、

おかしなことになる、、。

 

 

おかしなこと、、って、

何かと言いますと、

そこに、感情や、その人の思いや、ひとのせい、や、こうでなければならない、

という、自己中心の、世界にはいって、そこでぐるぐるして、おかしな何かを育ててしまう。

 

そういうことではないんです。

 

『自然と、人間、、共生ではなく、、対等ではない、

人間は自然を利用してきた。

そうではなく、

自然の方が上(!)。自然を敬い、、。』

 

そういうところに、

生きていくこと、というのがあると思います。

 

そこに感じる、

ただ物質としての自然の背後にある、あるいはそのもの、その中にある、

そういうところに感じる、

なにか。日本人として感じる、藍染のなにか、

とか。

 

そこを、理屈や説明、on/offで説明できない、

曖昧なところ。

 

そこを、いう時に、

エネルギーという言葉を使っているだけです。

 

ファンタジーや想像や、個人が主であるときは、

もう、全然違います。

 

自然を敬っている状態で、

話ししたら、

考えていたら、

そんなことにはなるはずがない。