エネルギー

エネルギー、というと敬遠されるかと思いますが、それって何?ということについて。


カラダを”体”として、物理的なものに限定してみると、限りがあり、、一般的な整体やマッサージ、のようなものになるでしょう。

 

で、、施術をしていて、、あるいは、学びを積み重ねていくうちに、だんだんと、繊細に肉体のバランスを扱ったり小さな繊細な解放を促すこともできるようになってきます。すると、そこでは、筋繊維の一本ずつのほぐれやねじれを観察してほどく、というような表現ではなく、そこをより広く捉えた何かしらの流れのようなものを、、身体感覚として知覚していく、という世界に入っていきます。

 

その施術では、限定的な表現に固執していては、会話が成り立たない。。なので、このエネルギーが通った、のような表現になっていく、というのがエネルギーという表現をする理由のひとつ。

 

あと、すごい繊細なバランスや小さな解放を促すようになってくると、そのとき、施術者がバランス感覚や解放の感覚を感じているときにつかう、身体感覚は、通常の日常のレベルのものとは、レベルが違ってきます。それは、この日常社会で会話している方たちの身体感覚のボキャブラリーの範囲では話せない。もっと感覚の質が違いますし、それを物理的な粗いレベルで理解や知覚をしようとするのは自ら限界の中に入ってもがくことになりますのでナンセンス。なので、もっと広くて薄い密度の世界になってきますので、そこでは、エネルギーとか、チャクラ、という形をもった世界の会話や論理、身体感覚のレベルになってその世界を感知することが合理的になってきますし、そこから外れると、(日常のレベルの身体感覚にはじき出されてしまい)知覚がそもそもできなくなってしまいますので、”エネルギー”という世界観も、わたしはアリにするようになっています。

 

ただ、スピ系とスピリチュアルは区別してますし、区別は必要だと思います。

 

誤解がないように、説明しておきますが、エネルギーという世界観を含めて施術をしていても、受けての体のことが何でもお見通しになる、というわけではないです。ぜんぜん、わかりません。それは、肉体のレベルで施術している整体やマッサージのかたが体のことをお見通しなどできない、というのと同じようなものかな。

 

わからない、のに施術ができるのはナゼ?それは、後ほどご説明しましょう。