スピ系について

いわゆる、スピリチュアルと、スピ系の違い、世の中にありがちなスピ系と、わたしの世界観との違いなど、、について、さらっと。


体のことをやっていくうち、カラダとは肉体、フィジカルに限定されているのでしょうか。そりゃそうです。カラダとは肉体、この存在とは、肉体。フィジカルの地上に、フィジカルの私が存在する。私たちはどこからやってきてどこへ向かうのか、死んだら終わり。この人生を楽しむ。

 

しかし、この世界観では、この現実世界を生きていくのは難しい。この世界に存在するのは、難しい。

 

それが、現実。では、わたしは、どのようにこの世界を見ているのか、スピリチャルとは?スピ系とは?何がわたしのとちがうのか、描いてみようかと思います。

 

 

もともと、わたしはスピ系とかスピリチュアルとか、宗教とか、そういうものはキケンだと思っていましたし、今でも区別は必要だと思っています。

 

日本では、私が海外に三年間ほどバックパッカーとして旅に出るまでの間に、カルト教団のテロがあったり、むちゃくちゃな支配と暴力が怒ったりしてましたから。宗教=キケン、というのが一般の方の考え方だったと思います。いまでも、そうなのでしょうか。

 

わたしのとって、それが少し変わり始めたのが、2000年の終わりから三年間の旅に出たことだったかもしれません。なぜなら、海外の国々では宗教は生活に根ざしていて、手を合わせたり祈ったり、巡礼に出たり、ということがふつーだったから。それはいつのまにかそういうもの、としての認識になっていたと思います。

 

そして、体験として最も分かりやすかったのは、旅の中での出会いです。このバスを一本乗り遅れなかったら、この道を左に行かなかったら、通りすがりのこの人に道を聞かなかったなら?その後の展開が全く変わります。出会う人、、その先々の友人たちが変わります。働く仕事が変わり、住むところが変わります。運命。そんなものが、直に激しく不思議に感じます。

 

『アルケミスト、パウロ・コエーリョ著』とか、『旅をする木、星野道夫著』とか。そういう、感じです。

 

たぶん、一瞬のすれ違いが、ズレていたら僕は今ここでロルフィングをしていないし、クライアントさんたちもその人生の変容を見ることもなかったでしょう。

 

そんな感じで、何か不思議な力が流れているんだな、なにか、ご縁というのか、個人を超えたところでの縁とか運命の様なもの、それ以外にも何かがあるんだな、という実感を得ていました。

 

宗教とか、スピリチュアルというものにはあまり抵抗がなくなっていました。

 


スピ系とスピリチュアル、、。その差はなんでしょうか。

 

いくつか、スピ系なのかなんなのか、見てきたものもあります。そして、いまはボディワークをしていて、その学びの中で体の現実を、施術の中で実践しています。そこで、この二つの世界を区別するものはなんなのだろうか?と、いうと、、。

 

なんかヘンなものと、リアルで本質に連れて行ってくれるもの。畏怖と感謝と祈り。

その二つを区別するものとは、、まだ、「カラダとは?」「存在とは?」「世界と呼応する」のページで書きそびれていることと同じなのですが、それは、感情とか、意図とか、操作とか、エゴ、とか、そういうところの差です。

 

この二つは明確に区別され、一方は危険で対処が大変であり、破滅的です。一方は、圧倒的で静かで祈りであり、畏怖と本能的に感謝と愛を感じるところです。

 

そして、体の現実をリアルに、扱っていくと、そのリアルは、フィジカルをフィジカルだけととらえなくなってきます。全ては繋がっている、いくつかの精妙なレベル〜荒いレベルにまで、体の現実は存在する。人とは体、でも、感情、でも、思考、でもなく、、全ての全体としての存在と、、して存在し、そして、内側であり外側である存在と呼応して存在している、、のかな、という感じになってきます。それは、概念やイメージではなく、この肉体の感覚、身体感覚を通して知覚するリアルから、認識する実在です。

 

そう、分かりやすくいうと、、あなたが物質が現実だ、と、とらえている様に、私たちボディワーカーはそれ以外の現実も”同じ方法”でとらえているのです。同じ方法、とは、身体感覚により知覚している、ということ。

 


知覚している、といっても、、私が何か特別の能力を持っているのかというと、そういうわけではありません。ただ、繊細な知覚レベルを訓練してきた、というのはあるのかもしれません。そして何より、そこに、その本質の世界に、連れて行ってもらった体験をこの体の細胞に持っている、ということがあるでしょうか。それは、バイオダイナミクスの学びを通して。