ヴィパッサナー瞑想

知覚の訓練という見方もできるかもしれませんが、もうひとつ、トラウマと解消、体の現実のリアルについての補足にもなるかと思います。


私のボディワークの世界観と、ヴィパッサナー瞑想は共通するところがあるように思いますので、ちょっと描いてみましょう。でも、あくまで個人的な解釈なので、それなりに。。

 

ヴィパッサナーのことを知ったのは、、三年間の海外旅行中でした。とくにインドではあちこちで看板を見つけてましたし、なんだろうと思っていました。三年間の旅の終わりの方で、ダラムサラで参加しようとしたのですが、いっぱいだったのか日数がたりなかったのか参加できませんでしたが、日本にもあるという。当時は京都に一つセンターがありました。今では千葉にもあるようです。

 

初めて参加したのはたしか、2004年くらいの京都、その後、インドのレー・ラダック地方の標高5000mくらいのところでも参加したりしたことあります。

 

それは、10日間のコースで、瞑想します。その間、喋ったり書いたり読んだり誰かとコミュニケーションしたりは一切禁止。瞑想のやり方は瞑想のたびにテープでインストラクションがありました。

 

瞑想の方法は、じっと座って動かない。(はじめは、痛くて痛くて、、その痛みとの戦いでした。じっと座ってるって、痛いんですよ。。)そして、身体感覚を観察している、、全ては移ろいゆき、いずれは消えていく、、執着しない。思考や感情が出てきても、それらにとらわれない。平静さを保つ。感覚が消えてゆき、、また次の、、また次の、、。という感じでしょうか。

 

マントラや呼吸法などは一切使いません。別の瞑想法などを混ぜて使うと危険とされていました。その理由は、、誰も説明してくれませんでしたが、いまでは、ボディワークの世界からその理由はわかります。たしかに、混ぜると危険です。

 

その当時はよくわかってませんでしたが、ただ感覚を追っていくだけ、、。しかし、そこには意味がありました。後の学びたちからわかってきたことをいくつかシェアしてみましょうか。大切なことです。

 

ヴィパッサナーの恩恵として、ひとつには、確かに感覚に繊細に知覚することができるようになってきます。はじめは、着ている服が肌に触れる感覚、、というのも分かりませんでした。体表の全面の感覚、知覚できるでしょうか?できないかた、結構多いと思います。(しかし、現実に感覚はあるはずなのですが、それが知覚できないから「ない」、としている。。それはあるのです。しかし、感じられていないだけ。それをナシにしているのが、「スピ系」ページの一般的な方の話でした。知覚できないから「ナシ」にしているのが、世界の大半の現実の見方ですね。)

 

そして、瞑想のインストラクションの中で、出てくるのが(当時は気にもとめていませんでしたが)『感覚が現れては消えていく、、現れては消えていく、、その澱の様に溜まったトラウマの混沌が浮かび上がり、、消えていく、、トラウマの解消のプロセス』というようなインストラクションがあったと思います。

 

トラウマ?

 

当時はわかりませんでしたが、確かに、その様になっていると思います。”トラウマ”とは日本語でいうと”心の傷”みたいな解釈になりますが、英語だと体に残った衝撃、というような意味になると思います。感情のショックだけではなく、フィジカルな衝撃も。

 

そう、この「トラウマ」というところについて、いくつかシェアしておかなければ。と思います。

 


身体感覚を観察するときに、とても注意しておかなければならないことがあります。それを守らないと大変危険です。

 

それは、瞑想のインストラクション的にいうと、『執着しないこと、、変化ないようなら次に移る、、執着せず微笑みを持って次に移っていく。平静であること。』ジッと感覚や感情を見つめ続けないこと。とても大切なことです。

 

感覚にポジティブもネガティブもありません。それは、人間が決めたこと、、。sensation、感覚受容器に入ってきた情報、刺激、、そのものはただの現象であり、ネガティブもポジティブもありません。ネガティブであろうとポジティブであろうと、感覚を見つめ続けないこと。大変重要です。この理由は、2つの世界観から説明できます。ひとつは、神経系のトラウマワークの世界から。もうひとつはボディワークの世界から。

 

神経系のトラウマワーク「ソマティックエクスペリエンス(SE)」の観点から、、感覚をジッと見つめるのは危険です。それは、トラウマの渦に引き込まれる危険が強いから。その感覚を扱えるだけの十分なキャパシティーがまずあることが条件。良い感覚、ポジティブ、、それは、反転します。振り子のように、ジッと見つめていると、、同じ分だけのエネルギーを持ったネガティブなものにいつか反転していきます。振り子。。では、感覚を扱うことのできる条件としての「キャパシティー」が十分にある、、とは?(後ほど話しましょう。)SEではそのキャパシティを作った上で、ネガティブとポジティブの感覚をほんのすこーしずつ行ったり来たりしながら、体に残ったトラウマのエネルギーをすこーしずつ解消していきます。SEのように神経系という体の現実のうちほんの限られた領域からみていると、少し本質から離れ、、なかなか届かない。。という気もしますが、それが今の現段階では最良の方法、という方も中にはいらっしゃると思います。では、ボディワークの世界から見た、感覚や感情の扱いは?

 

ボディワークの世界では、「カラダとは?」ページで書いたように、最も精妙なレベルのカラダが本質としてあり、、何段階かの体があった上で感情の体が液体的な質感として存在します。そして、その密度のある体は本来透明な質感が損なわれ、ドロドロしたり異物が浮いていたり、、。それを知覚しているとします。その異物、、その感覚を、、その感情を、、見つめていると、どうなるか?見つめられることにより、その異物はエネルギーを与えられより拡大していきます。だから危険。では、その異物はどうやって解消されていくのか、、。さらっというと、より繊細なエネルギーの領域からみること、その異物そのものに執着しないで、その出どころである本来のすがた、本質のレベル、最も精妙な領域からみること。すると、(簡略化してますが)その異物は精妙なエネルギーに耐えられず崩壊していく。そんな感じ。つまり、瞑想のインストラクションでいうところの「平静さ」、一番純粋な意識状態からそれを見つめていること、ということでしょうか。荒い領域の意識状態から見ては拡大してしまう。

 

身体感覚をツールとして使ったトラウマの解消。

 


、、。ちょっと言いたいことからずれてしまった気がしますが、要約すると、感覚や感情など異物を凝視すると拡大してしまい混沌が増す。キケン。その異物のある次元から扱うことはできない、では、解消には、最も精妙な領域から見る必要がある。瞑想でいうところの「平静さ」執着しない。。変えようとしない、意図しない(!)

 

ただ、その精妙な世界に、、。