恨みから赦しへ

うらむこと、ゆるすこと。


〜編集中〜

たしか「カラダとは?」ページで書いたように思うのですが、この世界の構成のあるひとつの見方。感情の領域、と、それより密度の薄い、自然界、超自然界。密度の薄い領域、静かなところ、静けさ、、スペース。そこに癒しはあります。

 

一方、感情の領域は、注意しなければなりません。ドロドロしたり、、相手の感情、世界に漂う感情、、そういったものと反応しますし、混沌となって冒されていきます(!)そして、そこには強力な存在も棲むという。悪霊の類です。

 

ご自身が力を求めない限り、その類と契約し自らの内に入れてしまう許可を出さない限り大丈夫とのことです。

 

ハート、癒し、奉仕、愛。そちらにいること。

 

その類の存在は、その波長の領域繊細な愛の領域には入っては来られない。影響は受けない。しかし、その類の存在は、悪なのか。それらは、どこからやってきたのか、そのおおもとは?それは、愛だったはず。憎しみなのか、裏切りなのか、、その想い、アストラルの存在として、そこに縛られている存在(?)。それらもまた、元の愛の存在に昇華していくことができるという。しかし、それはそのもの自身の選択。その道を、そのスペースを開いておく。

 

そこに、愛はあるか?施術者自身は、ハートにいるのか。

 

もう、そこでやっていくしかないのだから。

 

恨みに対して恨みで、力に対して力で、意図に対して意図で、、対応していくと、双方エネルギーが高まり、混沌としてくる。混乱。。そこに、道はない。ひどい状況。。それを隠れたところから、操作している。。

 

 

こないだ、蟲師っていうアニメみました。大体の作品は綺麗で、思うところあります。しかし、たしか続章の19話「泥の草」をみました。気持ち悪かった。。そういうことです。

 

 

思い、記憶。解釈と、感情。。おお、、。

 

それは恐ろしいところ。個人の思い、解釈。それは、内に閉じこもった、個人の内面世界。それが、外に通じていない時、、、。自然界、、もっと根源的な、、透明で風通しの良い、、世界と交流している時、その内側の世界は、外側と繋がり、、愛と呼応していきている。

 

個人の内側の、恨みの世界、感情の世界、記憶の世界に、棲む時。それは閉じた世界。。混乱。何者かに利用され操作されやすい。

 

感情に感情を、思いに想いを、操作に操作を、、力を、、。。全てを捨てる。大切なものを手放す、、無理な、、生きる意味ほどのものを、、捨てた。それくらいしないと、その感情に取り込まれた状態からは出てこられないかもしれない。お祓い受けるとかは、ありなのかな。

 

でも、それでも祓った後にまたその契約をしてしまうのか、、ご自身の選択。赦しとは。本当はどうしたかったのか?人のせいにしてまで、生きる意味で何をしたかったのか?捨てて捨てて、、本当に大切なものを捨てた。

 

そこに、感謝があった。

 

 

人はそういう風にできていると思いたい。それが、ダイナミックスティルネス(静けさ)、この体のうちに流れている。