バイオダイナミクス・オステオパシーやバイオエナジェティック・オステオパシーではこんな言葉がある。
「春になったら花が咲く、そうさせるものは何なのか?」
それと同じ力が我々の体には働いている、何処かからやって来て、我々を生かす力。
春になったら花を咲かせる力、それと同じ力が働きかけ我々は生かされている。
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その力(生命の働き、体に備わる自己治癒力)で治療するというのが、本来のオステオパシー。失われた源流のオステオパシー、それを現代に復活させたのがバイオダイナミクス・オステオパシー。
そして、バイオエナジェティック・オステオパシー。
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こんにちは。今日の1ページ、開いてみました。 (写真は、「聖なる知恵の言葉」という本の178ページ。)
みんなのために、という”意図”で開いてみたページ、たまたま開いたページ。
自分のは後で開いてみる。
と、自分のために後で開いてみてもハートに入ってこない。(しっくりこない。)
自分にとっても今日の1ページはこれだな。
春が巡るのと同じように、希望も必ず戻ってくるのね、なるほどー。🧐
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意図の使い方、ただ本を開くのではなく、"みんなのためのガイド"、とか、"今日の1ページ"、という意図の使い方は、その場に起こることが起こるように、「場の設定をする」、という感じかしら?
(場の設定がなければ、起こることが起こらない。何も起こらない。)
場の設定をしたら、あとは全て手放して、場の設定をしたという意識も手放して、もう何も望まない。そして、"偶然に"、ページが開かれる。
施術も同じ。
それは、人間の意図で何かを変えたりプロセスを歪めたりしない、人間が介入しない、起こることに介入しない、意図の使い方。
起こることは起こり、起こらないことは起こらない。治るものは治るし、治らないものは治らない。
ただ自然のままに。
人の想いや都合で歪められたものが、自然の流れに戻るとき、奇跡が起こるかもしれないし、治らないことが自然なのなら治らない。
人間の意図から離れ、自然界に帰るとき、 感情の混沌から自由になる。次の世界にスムーズに移行する。
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(つまり、人間の介入はしない。自然界を見てみると一目瞭然、人間の介入はその場は良くても矛盾を生み出し混沌と破壊を生み出してしまう。人間の意図は使えない。自然界の法則、生命の働きに従うのみ。)
バイオエナジェティック・オステオパシーとは、
自然界の秩序に従い、施術者は透明な存在であること。春になったら花を咲かせるその力に、生命の働きに従うこと。
バイオエナジェティックの治癒力
”バイオエナジェティック・オステオパシー”について、文字や言葉では表現することはとてもできませんので、比喩やファンタジーで描写してみましょう。
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バイオエナジェティック・オステオパシーはわたしのロルフィングでも使われている手法です。
世界はレイヤーでできている?
密度の違う層をなすかのように
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・理論理屈、早いレート
・感情、1分に2〜3回のレート
・メンタル、、100秒に1回のレート
ここまでが個性のパーソナリティーの世界、コントロールの効く世界、思考で捉えられる世界。 そこから先の
・スティルネス。レートのない世界、一定の流れ、知覚が変わる、初めは暗く何も見えない、怖いと感じる。エゴはコントロールを失う。離れたがる、抜け出そうといろんなトリックを使う。エゴから離れ暗闇に入っていく、、しっている。赤ちゃんがやってきた世界、死ぬと帰っていく世界、、知覚が変わり見えてくる、そこには光もあり動きもある。ダイナミックスティルネス。ここから治療は始まる。
スティルネスの先、、健全、永遠、、。
エゴの外側の世界、
ことばが変わる、声が変わる、感覚が変わる、知らない世界、思考の外側にある考えで捉えられない世界。
われわれは同時に全てを生きている
いま、どこでいきるか
立ち位置は?
より粗い密度、では繊細な領域は見えない。
密度の薄いレートのゆっくりな世界からは
より粗い世界をすべて見ることができる
ダイナミックスティルネス
そこから全てを扱える
感情も、、すべて
歪み、問題、傷、、それらはすべてパーソナリティーの領域にある。
それらは
ダイナミックスティルネスから扱える
永遠には、
健全には、
ダイナミックスティルネスには、
癒す力がある
オーシャン
選択
どちらの世界に?
治療の際は、
選択する
シフトは
意図ではできない
コントロールではできない
そちらに意識を置く、
シンクロする
しずけさに
いつのまにか
はいっている
星が見える
なにもしない
治療が起こる
軽く、触れる。
HEALTH、の手でHEALTHだけを見る。
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場が変わる、、。
しずか、音が変わる、
密度が変わる
やがて、健全の光が
隙間から射してくる。
いつもは、それを辿って
原因に到達し、
全てが含まれ
治療が始まる
しかし、はいらない。
見ない。
見ない。
見ない。
覗き込まない、
見ない。
見ない。
空間が変わる、
存在が変わる
人が消える
何かが起こっている
混乱と、解消、、 しかし、 見ない。
見ない。
見ない。
なにも、しない。
空間が変わる
健全しか見えない
部分は消える
存在は消える
何かが起こっている
何かが震えている
何かが巻き起こっている
解消が起こっている
見ない、 見ない、 見ない、
全体が包まれている
甘い蜂蜜、透明に光
リキッドライト、液の光が
健全の光と共に
リキッドライト
液の光が
苦悩の隙間に入ってくる
隙間から
解消が起こる、溶けて、燃え尽きていく
健全に包まれる
リキッドライト
液の光
空間が満ちている
また、何かが起こっている
永遠の外へ
外へ、、
外へ、、
しかし、もう
ここにはいられない
じゃまになる
ひろがり通り抜けていく
わたしはもうひつようない
はなれる
わたしはじゃまになる
はなれる
なにかがはじまりつづいている
もうかかわれない
ひろがり、ひろがり、ひろがり、
その神秘は
みることはできない
しんぴをちょくしはできない
いつかしることになるだろう。
おわる。
なにもしていない。
からだがかわっている
バイオダイナミクス。
〜 変容 〜
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知ってました?
サナギの中身は一旦ドロドロに溶けてしまうんですって、そして変容が起こり蝶になる。
変容とは、過去のものが去り、新しいものになる、、というものでもないように最近思います。過去も新しいもない、、時間がなくなり、全く別のもの、、姿も機能も違う、別物に次元を超えて存在が変わる。しかし、その組成は、わたし。遺伝子は変わってはいない。別物だけど別のものではない、、それは、次元が変わったということ。
そんな次元を超えるような変容が起こるのが、生命の進む道なんです。これとこれを組み合わせてこれになる、と言う計算をするのは人間の頭、理論、理屈、、。しかし、これとこれとこれから次元を超えた変化を起こすのが生命の力。
〜 施術者の手は、介入しない 〜
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施術者の手は、意図を持たない。透明である。
全ては通り抜けていく。
外側(施術者)から内側(カラダ)に情報を入れない。
生命力があるのは内側(カラダ)の中心軸、、問題が解消されると生命力が広がってくる。放射していくように広がってくる。手はそれを邪魔しない、透明であること。
施術者の手
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からだを「モノ」として、みると物質の集合。科学的に物理的に”検証可能でわかるもの”とは、検証する”機器”で捉えられる物質。
機器で捉えられない精妙な物質的現象はとらえられないので(=科学的ではないので)、事実ではない。
(あるのに、検出できないものは、”ない”としか言えない。)
科学技術が進歩し粗いものしか捉えられなかった機器が、より繊細な物質まで捉えられるようになると、なかったとされるものが、(それは、”ある”と改訂される。)”発見”される。より精妙なレベルの世界。
施術者の手は、その機器で捉えられない精妙な現象まで知覚し、施術している。それがバイオエナジェティック・オステオパシー。
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治癒をもたらすのは、体に流れる生命力。
その流れを繋げ、邪魔しない。”邪魔しない”とは、完全に体の治癒力の流れに従うこと。施術者は、なにも意図を混ぜない、道筋を変えない!こと。それが、バイオエナジェティックの一番の特徴であり、大切にしていることです。
理論や理屈、ここを正したら治るのにな、、と頭で知っていても、”それを当てはめることが適切ではない”ということを知覚できることが、施術者の”能力”であり、治すための力をふるうことでは決してない。
つまり、施術者には”何もできない”ということが、最も大切な原理。体を治癒するのは、体に流れる生命の力。
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問題ではなく、”健全を見つける”のが施術者の仕事。
痛みや歪みを見つけてそれを治そうとする、というのがほとんどのあらゆるジャンルの施術や治療でしょう。しかし、問題や歪みを”治そうとする”というのは”人間(施術者)”のやることであり、真実(=健全、生命力の働き、自然界の秩序)とは矛盾を孕んでいます。
自然界を見てみたらわかること、人間の介入は(その場は良くても、いずれ)矛盾と破壊をもたらす。 ”健全に従う”とはつまり、自然界の秩序(=春になったら花が咲く、そうさせるもの。=我々を生かす力)に完全に従うということ。
われわれバイオエナジェティックの施術者は、問題を治そうとはせず、、問題の中には必ず健全(=生命力の働き、フロー(流れ))がありますので、健全を見つけます。そして、その健全から働きかけることで、体の神秘の治癒力が発揮されるのを目にするのです。
〜 ”介入しない「手」”で、どうやって施術できるのか? 〜
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施術者は外側にいる。生命力は内側(受けての体の中)にある。
外側から覗き込んだり、”こうしよう”治そう、などとしてしまうと、”情報”が外から内側に入っていってしまう。それは、”圧迫”。生命の光を押し込んでしまう。それは、逆。
生命の力が治癒をするのならば、それは、内側から外側に広がっていく方向。なので、施術者は”意図”を使えない。できることは、バランス点を探すこと、それは、美しさ(=健全、生命力、静けさ)そこで精妙な超繊細なバランスを取っていると、、治癒が広がり、生命力がフロー(流れ)はじめる。
自然界の秩序に倣い、従う。