カラダとは何か

カラダのリアリティー、、。ここでは一般的な話ではなく、体の姿とそれに紐づくリアリティについて、お話ししましょう。(※詳細な解剖学をベースにした解説は「ロルフィングの観点と解決策」ページへどうぞ。)



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祈り

 

たった一つの細胞のバランスが

整うとき、それは

世界を変える一滴となるかもしれない。

 

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そのつみかさね、
いつか、
世界のバランスがかわるかもしれない、
そんなワーク。


それが
バイオダイナミクスです。
だと思っています。


その思いを、胸にワークをしている
仲間がいます。


。。


バランス、
そこから、
広がっていく、
なにか。

そこに、力がある。


祈り。


、、


ココで言う
『祈り』って、
願い事、のお願いとは
まったくちがいます。


こうなれ、
という
意図は全く入っていません。


。。


普通に使われているお願い、祈り
それは、人間の作った世界での
お話し。コントロールの世界です。


。。


バイオダイナミクスの世界
そこで、静けさに至ります。


その深い世界、、
そこでは、


静けさがあり、
その静けさ自体に
ちからがあります。

癒しの力、
ご縁の力、
命を生かす力。


治療の際、
この世界から、深い世界に、、
バランスをとり、いりぐち
その静けさへの入り口から、
そこへ到達し、
、、変容が起こる、、
そのとき、
その入り口から、
静けさが、、光が、、熱が、、放射してきます。


それは、
世界の裏側の裏側、
背景を、、とおり、
広がっていく。。
そこに、力が秘められている。


量子の世界?


時間と空間を超えた、
バランスの波及。


。。


祈り、、。


言葉のない祈り、
意図のない祈り、
なにもない祈り。

 


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この体、無償の愛。

 

フィジカル、肉体。、この肉体。

 

それは? 

制限、限界。境界、硬い、歪み。

 

。。それが、フィジカル、、逃れたい! 

 

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それが、実は、無償の愛。だったとしたら?
せかいは、逆転してしまう!?


そんな、ことを思いました。

人に触れること、
閉じ込めて、変えてしまうこと、その恐れ。

あるいは、制限され、逃げ場のない、牢獄。
そいういう、肉体。



そういったイメージ、
そういった体験、、
本当は、その存在は?
この肉体は、




わたしの(バイオダイナミクスの)先生は言われました。
フィジカル(肉体)は、コンパッション(無償の愛)だ。と。




どういうことなのだろう?
肉体とは、病変や歪みや制限、と聞かされてきたし、
そう体験してきた。


それが、無償の愛?
それで、人の体に触れてもいいの??


フィジカル。





**


この腕の中、手の中にある、肉体は、モノは、なんなのだろう?


**


そんな、疑問は、
疑問のまま、クラスは終わり、
質問することもなかった。


フィジカル(肉体)は、コンパッション(慈愛)。。



あるとき、あるセッションで、、
人に触れていた時、、


完全に違う次元、肉体が消え去り、、、何もないところに行きました。
そして、体は分解し、粒子となり、消える。
クライアント様は、死んで、生まれた。というコメントをされました。


そういう、次元の中で、、。
私の脳裏によぎったことは、
これは、この肉体は、この肉体を構成する、、、
地球だ。

この原材料となった物質は、地球からやってきた。
私が触れているこの体。
私のこの体。これは、マザーアース。


地球だ。





生まれ出ずる。
そのおおもと。

この世に、形として存在させてくれる、
聖なるマザー。その物質。体。

インカネーション。
輪廻。



受肉。




そこには、肉体として、現れた。
このマザーアース、地球の慈愛。
それが、体、、。



触れられる、体。

 


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変容

 

なにかしらないけれど、

いつしか、変わっている。

だれも、それには気がつかない。

 

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過去の呪縛からの解放 そして、 光の放射の現れ、、。
そのひとの、透明な胸のうち。



密度の薄い光の世界、
そこで起こること。


**


僕のはなしをちょっと、させてください。
ちょっと、個人的なこと、
それは、公開するつもりのないこと。


しないほうが、
いいこと、もある。
だけど、シェアすることで
皆に役に立つこと
もあるでしょう。


そんなに、
秘密を公開するわけではなく、
あるプロセスについて、
こういうことが、ある。


(いま思ってそうな、
タイソウなことではないですよー。)


**


せじゅつのこと、
せかいかんのこと、


個人的なこと、
それは、
胸に秘めておくこと
の方がいいこと。

それは、
秘密で、
力を与えてくれる。


ネイティヴアメリカンの話でも、
自分の守り神のことは、
誰にも話さない秘密、
、、。

というようなことが
聞いたような、
あったような、、。


あるとき、
講義の録音を聴いていて、
僕はどういう施術をしていきたいのか、
自分のボディワーカー(?)として、
ロルファー(?)として、の道は?

、、。

ひとにふれ、
ひととであい、
そこで起こる変容について。


どういう、ふうに生きて(?)いくのか、
相対していくのか、
そこにいるのか。


。。


バイオダイナミクスのトレーニング中、
僕がモデルとしてデモを受けた時、、。


。。やっぱり、
何が起きたかは、ナイショ。



でも、抽象てきにこういうこと。


腕が粉々に、
過去に折れた、
ぐじゃぐしゃに、、


それは、遡って、
幼い頃?9歳?
、、。
いや、もしかしたら、
今生ではないかも。
、、。

おえ〜、、おぇ〜、、。
吐きそう、、。
きもちがわるい、、
こんなにすごいのは
めったにないな。。


そういって、解放がおこり、
そして、
ミッドラインから、
熱と光が放射し始める。


そして、
ひとまとまりの体に、
統合される。


世界の中の世界、
過去の中の過去、


命の光といやし、
ただ、理由のない、光。

過去の闇と、怨念、
わけもなく、縛るもの。


解放と、統合。
変容、、

変身ではなく、本質、本当の姿。
背景にある、ミッドライン、光。


ささえているもの、
つねにそこにあるもの、


それが、消え、
それが、現れてくる


。。


そういう治療、
そういう変容、


、、


世界は層になっている。


密度の薄い光の世界、
そこで起こること。


密度の濃い、個体の世界、
この物理世界。


わかる=人の理解、評価、
そこに、現れる前の段階の、
、、光の世界。

なにかしらないけれど、
いつしか、変わっている。
だれも、それには気がつかない。
そして、それは、
伝播する。気がつかれない、
光の道。


そういう世界でやっている人がいる、
そういう世界を、胸に、知らずに抱いている、
そういうひとも、たくさん、
じつは、クライアントさまとして、
お会いしている、気がします。


ロルフィングのシリーズの最後には。
そういうふうに、感じることがあります。
ひとりのひととして、
ただの、個性を超えた、個の内にある、
静けさとほんとうのこと。


(おっと、はなしが逸れた)


。。


過去の呪縛からの解放
そして、


光の放射の現れ、、。
そのひとの、透明な胸のうち。


そういうのが、
だれしも、
やっていることだと
思います。


(意味わからん、、かな?)


。。

 


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新しい右手

 

昨日まで、バイオダイナミクスのトレーニングに行ってきました。

すごかったです。

 

新しい右腕をいただきました。

 

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新しい右手。


透明で、赤ちゃんみたい。
って、クラスメイトと握手するといわれました。


すごいー、こんなことが起こるとは。


この右手、
大切に使わせていただきます。




**


クラスの二日目に、
僕はデモのモデルとして、先生の施術を受けることができました。

それは、過去に帰る施術。

むかーし、むかし。
『幼少期、たぶん、、7歳くらい。』
『右腕に何かがあった。たぶん知らないって言うと思うけど。』
。。まったく覚えがありません。

(もしかしたら、過去生(??)なんて、冗談か本気かわかりませんが、そんなことを
おっしゃってました。。)


「ふむ、、腕が短くなってきた。。」
(もちろん、物理的な腕に変化があるわけではありませんが、もっと違う次元のレベルの体を見ています。)
「なにかがあった。もしかしたら、ピッチャー?」何て言いながら、、。


「うえ〜。。気持ちが悪い、、。うぇ〜〜〜。。」
って言いながら、(アメリカ人なので英語)僕の腕を施術してくれました。
長い時間をかけて。

腕を解放し。

。。「何か」がいたのでしょうか?


受け手の僕としては、ただ、骨をぎゅーっとされている感じ、
ただ、きもちいな。くらい。


「まだ、この辺に何かあるな?」
と、肩のあたりを触れられて、、、


そして、右腕の解放が終わったのか、、
ハートや喉のあたりを触れられて、、


そこで、記憶はなくなって、
たぶん意識状態が変わりました。
意識が戻って、気がつくと
。。

「喉のあたりが開いて、ハートと腕が繋がった。」
というあたりで、意識が戻りました。


ハート〜喉〜腕、、。
無償の愛、スピリチュアルな創造性、そして、表現。
(ハート、喉、腕、、はそのように表されたりします。)


そこがつながり、、
この人は、奉仕をする。



**


起き上がってみると、世界がクリアだ。
腕が、、右腕の肘から先が、ちがう。
あたらしい。うまれかわっている。

あたらしいいのち、
そんざいがちがう。





。。




そして、しばらくして、
授業で聞いたことが思い出された。




(簡単にいうと、、。)
この世界のさらに深い領域、、3つの層のその先。
無意識の領域。そこに個人を分け隔てる境界はない、皆に共通の領域。


そこを、、進む。
治癒の領域。その先に進む、完全な健全。その源。
そして、通常は、この世界に帰ってくる。
しかし、まれに、
こちら側に戻ってくるのではなく、、
その先を通り抜けて、、このここが分裂した、我(エゴ)による、フィルターを通り抜けた。
純粋な、クリアな世界に至ることがある。
フィルターのない世界。


授業で聞いた世界。
そのデモセッションから帰ってきたとき
そんな、感覚でした。




**





右手が新しくなった。
透明で、、。


この手で、何ができるのだろう?



イノセントな、手。
奉仕の手。無償の愛。


そんな手をいただいた。
そんなことが、この世界で、この私に起こるなんて。。




**




クラスメイトに何人か触れてもらったところ、
すごい〜。って、感覚だったらしい。
イノセント、新しくなった。



しかし、、しばらくして、、
いろいろなもの、が、くっついてしまってくるような、、
ちょっとずつ、硬くなっていく。




失われてしまう。




再び友人に触れてもらったところ、
「あ、変わってる。」
あー、あ。
せっかくの手が。。



翌朝、目がさめると。
手が、あの手になっている。
イノセントな新しい手。


、、、。



1日を過ごすうちに、硬くなっていく。
触れるその時々で、違う様相を持つ手。



そんなことを繰り返すうち
あることに気がついた。


自身のミッドライン(中心軸)
につながって。
ハートにつながる。


すると、次元が変わります。
あたふた、している次元、
損得勘定の次元、競い合い蹴落とす次元、
いつも切羽詰まって、ギリギリで、何もわからず追い立てられている次元、、
そういったものから、景色が変わり。
静かになり、
周りがゆっくりになる。そして、少し暗くなる。
。。しばらくすると、光を感じる。
胸の中心。ハート。



いくつか、解放が起こり、その静けさの中に到達する。
静かになり、次元が変わる。




ふー、ここだ。



そして、右手で、
左手を触ってみる。


ああ!




透明で、きれいだ。
いつもの手とは違う。




すごいー。





何も遮らない、透明な手。
癒し手の手をいただきました。

 


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万物があるがままの姿で存在すること

 

昨日カフェで見せてもらった本「子どもたちに贈る12章(真弓定夫)」

そのなかで、こんな一節があります。

 

『老子は自然を「自ら然り(おのずからしかり)」と読み、万物があるがままの姿で存在することが最も大切であると説いています。老子はまた「無為自然」とも言い、自然に人が手を加えないことが望ましいとも言っています。』

 

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万物があるがままの姿で存在すること。
自然に人が手を加えないことが望ましい。



カフェのオーナーさんとお話ししていて、
木曜日は滋養のある質素なご飯を提供しようか、と思ってるらしいです。
健康的で、そして、本来の命の活力を持つような。


最近、野菜を見に行ってきたらしいです。
自然農で育てられた野菜。有機野菜ではなく、です。

そこには、すごい力があったらしいです。
ぜんぜん違う!



それが、大切。




自然であること、
そこには、そこにこそ、力があります。




**



これって、バイオダイナミクスを取り入れた
私のロルフィングの根幹と似ています。


人の手を加えず、万物があるがままの姿であること。
自然であること。

そのとき、体にはポーテンシーと呼ばれる
命の活力が発揮されています。




それが、私のロルフィングで目指すところです。

 


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MAY THE FORCE BE WITH YOU.(フォースと共にあれ。)

 

植物療法とバイオジェン、

MAY THE FORCE BE WITH YOU..

 

先日、3泊4日で植物療法のトレーニングに参加してきました。

 

植物療法のこと、いっぱい書こう、書きたいことたくさんあった、、そして、日にちが経ち、今日はなぜか洗濯機を分解した。そして、書くことの内容(時間が経って)を忘れた。

 

結局、MAY THE FORCE BE WITH YOU.ってことなんだ。

 

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わたしにとって、不思議というか、普通の人と違うことで驚きなんですが、
バイオだったり、ロルフィングだったり、体のことだったり、、どうしても切り離せなくって、


たぶん、昔っから、それで(気づかぬうちに)生きてきて、
そこを辿ってここまできた。
っていうことがあります。それを、共有できる人とできない人がいるんだなあ、と
最近知りました。あ〜、そうなんや。と。


それは、何かっていうと。
植物療法でいうところでの、バイオジェン。
スターウォーズでいうところの『MAY THE FORCE BE WITH YOU..』


(スターウォーズ、ちゃんと見たことないんです。DVDでみなくっちゃ!)


それがないと、そこと繋がらないと、
もう、なにしてんのあんた(自分)?ってなる。
だから、ここまできたんでしょ?
って。




さあ、バイオジェンってなんでしょうか。


植物療法のはじまりはじまり〜。



**



今回の植物療法の講座の先生は、
僕のバイオダイナミクスの先生が連れてきた、ティンクチャーを使って治療をするオステオパスの方でした。


ティンクチャーって、何?
僕も全然知らなかったのですが、
こんなやつです。


植物(ハーブですね。)を
アルコールに漬けておいて、その成分を抽出し、
それを摂ることで、病気などを治療する、というやつです。
その抽出した成分を含んだアルコールのやつが、ティンクチャー。


クラスでは、幾つかティンクチャーをつくりました。
レモンバームとか、カレンデュラとか、エキネシア、セントジョーンズワードとか。


ハーブをミキサーにかけて細かくしたり、あるいは、そのまま、、アルコール度数40度以上のクリアなものに漬ける、、ウォッカを用いました。


分量は、このくらいで、、、あれっ!こぼれてもうた。ま、いっか。
だいたいそんくらいで、大丈夫。。


。。思ったより、テキトーでした。


**



クラスで、印象的だったことをいくつか。


・ネイディブアメリカン、シャーマン、受け継ぐこと、つながり、流れ。。もしかしたら、祈り。

クラスの始めの方で、先生のおばあちゃんの写真がスライドに。
おお、なんか雰囲気ある。ネイティブアメリカンみたい、、と思ったら、そのおばあちゃんは100%ネイティブアメリカンの方でした。

あるとき、先生がまだ6歳くらいの頃、、おばあちゃんに連れられて、森の中に。
そこで、ある植物の根っこを食べるように、言われました。。そして、それを摂りました。

おばあちゃんは言いました。「これで、あなたもシャーマンよ。」
と、シャーマンの血を受け継ぐ儀式だったようです。


そして、先生はクラスで、あるティンクチャーを取り出し、
それを皆の水の入ったコップに数滴垂らしました。
もし、シャーマンの流れにつながるのなら、飲みましょう。そうでないのなら、飲まなくてもちろん大丈夫。


それを、みなで飲みました。


そのときの、僕の感覚は、
しばらく、上の方に流れるような、鳥肌が立っていました。
ずーっと。


グループ、その講座に何らかの縁があってやってきた人たち。
そのグループの力というものがあるようです。


これで、あなたもシャーマンですね?


。。


変に思うかもしれませんが、
なんか、古くから伝わるネイティブアメリカンから続く何かに繋がるのは光栄な気持ちがしました。


。。


クラスは続き、、3泊4日でした。
その間、ティンクチャーを作ったり。


三日目でしょうか、作ったティンクチャー、レモンバームを摂って、
施術をしてみよう、ということになりました。
施術と言っても、何かをするわけではなく、
ただ、ティンクチャーを摂った受け手の方を観察する、というものでした。


ティンクチャーを摂るだけで、
体が大きく変わる、ということを皆さん体験されていたようです。


僕の場合は、
摂った直後というより、徐々に、、
変わっていく。。


その後、部屋に帰り、、一人で過ごすうちに、、
平穏な時間を。
何と静かで、平穏なんだろう。


気がつくと、ここ数週間、
痛かった首が治っていました。


僕は、人が多いところが苦手なんですが、
ティンクチャーを摂ってから、
皆かわったようで、グループの雰囲気が変わったようでした。


。。


何がそうさせたのでしょうか??


。。


次の日、あるクラスメイトさんが、(一般の学校で解剖学の先生されている方です。)
質問されました。


「昨日は、すごかったです。レモンバームのティンクチャーを摂っただけで体が随分変わりました。しかし、講座に来る前に自宅で、レモンバームのお茶作って飲んでみたんですが、こんなにすごいことは起こりませんでした。アメリカから持ってきたレモンバームがすごいものだったのでしょうか?」


「いいえ。同じものです。何が違ったのか?、、思い出してみてください。この場で、みなさんで作ったティンクチャー。その皆で作ったフィールドの中、意図の中で作られたティンクチャーだからでしょう。」


。。


クラスの紹介文の中、こんな一文があったと記憶しています。

「植物はそこにいて、奉仕することを待っている。

わたしは、植物のティンクチャーを作る時、たとえば、ゴールデンシールよ、お前は、この殺菌効果を持って、ウィルスをやっつけるのだぞ!と、いう意図を持って作ったりはしません。ゴールデンシールよ、その持っている運命を全うするように、とつくります。

そして、そのティンクチャーの瓶とつながります。」


意図といっても、人間のエゴから作るのではないのですね。
お前の運命を全うするように。


。。


**


講義の中、こんなことも紹介されました。


必要とされる植物は、身近にやってきてくれている。


雑草だ、と排除しようとしていた植物が、解熱の作用を持つものだった。
あるいは、ガンを消す助けをする植物が、やってきてくれていた。
植えた覚えはないのに、どこからか種がやってきて、根付いてしまっていた。


。。


なにが、そうさせたのでしょうか。


。。


そして、植物の効用。


何が、そうさせたのでしょうか。


思わず手を合わせている。そういった存在。
その植物の、、?、、背後にある、存在。


種をそこに落とし、芽吹き、
その効用をもって、そこに奉仕しに来た。


運命を全うする。


ご縁。


それを、そうさせたもの。
その存在は、何というのでしょうか?


MAY THE FORCE BE WITH YOU..


そういうことのようです。
たぶん、、。




。。


わかりやすくいうと、この人間社会の成り立ち。
得する、損する、、。


でも、その命は、その枠に収まるはずもなく、
その背後に、
何かが太古から繋がり流れている、、。


あなたを私を出逢わせたもの、、。
植物をそこに配置し、奉仕しに来たもの。
その効能を持たせ、私たちをここに学びに来させたもの。


それが、バイオジェンです。


**


バイオダイナミクスでは、それは別の名前で呼ばれますが、
その、植物療法でいうところのバイオジェンと繋がること。


それなしでは、損する、得する、の永遠のループで迷い続けるだけです。
あなたは、本当は、なにを望んでここにきたのか??


頭で、考えて、あるいは、知っていることの範囲の中、知覚の中で、
、、そこでわかることなど、エゴの世迷いごとです。
。。その外側で知っていること。


だから、ここに、ここまで来たんでしょう。
静かなところで、そこと繋がります。


そうすれば、わかる範囲の外側で、
わかるということができるかもしれませんね。

 


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バイオダイナミクスなしでの施術はあり得ない

 

2日前まで植物療法の研修で熱海に行ってきました。

 

そこで、、、いろいろ印象的なこと、バイオダイナミクスとロルフィングとわたしのつながりについてなど

思うことがありました。。

 

わたしのロルフィング、、。そして、バイオダイナミクス。

私のロルフィグは一般的なロルフィングとは違う、と思います。何が違うのでしょうか?

 

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いくつか、説明をここで、試みてみようと思います。
そして、植物療法であったこと。


**


わたしにとって、バイオダイナミクスとは
何をするにしても、中心にあるものです。
純粋な存在であり、自身の力の外側にある、中心。


バイオダイナミクスとロルフィングを別のもの、として
捉えることは、ありえません。


わけることのできないもの、です。


バイオダイナミクスとは、その本質とは、
手技ややり方のことでは
ないとおもいます。


**


私の考える
ロルフィングと、バイオダイナミクス。


その例を、見ていただきましょう。


たとえば、コップがテーブルにあり、それを持ち上げます。
はい、どうぞ、やってみてください。


ふつうに、持ち上がり移動できましたね?


さて、次に、
まず、自身のミッドライン(中心軸)を感じます。
探しに行くというより、「中心軸」と問いを持った時にふと注意が向くところ。
そして、できたら、空の中心、地球の中心、を感じ、つながります。

(すこし、背骨がゆらゆらしたり、呼吸が入ってきたり、皮膚がピリピリしたり、、そんな反応が続くかもしれません。)

落ち着いたら、ご自身のハート(心臓あたり、でも、臓器としての心臓ではなく、そこにある、ヨガで言うところのチャクラのような、エネルギーのような、、何か)を感じます。

そして、コップを見ます。焦点を当てるというよりは、気づく、という感じ。
自分のミッドライン、ハートは失われません。そして、そこから、コップを手に取り、持ち上げます。


持ち上げた時、何かが変わっているのがわかりますか?


機械的に、流れ作業で、派遣で働いているような、、
そんな、ところからコップを持ちあげたときと、違いますね?

ミッドライン、ハートからコップを持ち上げた時、
つながりの感覚や、なにか、、シックリくる感覚、、そういう場所から動きが起こる。

それらに、気がつきます。そして、
このとき、何かが、意識で想定していることや気づいていること以外のところにも、いろいろなことが起きているのかもしれない。


。。


私にとっての
ロルフィングとバイオダイナミクスとは、


コップを持ちあげること=ロルフィング。
ミッドラインやハートとつながること=バイオダイナミクス。

ということです。


これらは、分けられるものではありません。


**


さて、では、具体的に私のロルフィングとは何なのか?
一般的な、あるいは、かつて古い時代に私がしていたこととの違いとは?


各回には、ロルフィングのレシピがあり、
各回にやるべきこと、達成すべき目標があります。


たとえば、セッション4〜7では、
4、脚の内側〜骨盤底〜内蔵空間
5、脚〜大腰筋〜背骨
6、脚の背部〜仙骨〜背骨
7、首〜頭蓋〜腕


そして、
10シリーズ全体としてみると、ロルフィングの全体の目標としては、
その人としての「全体性」を取り戻すこと。

これが最大の目標だと思います。


全体性って?
(身体の構造だけではありません。と、私は思います。)


身体構造は
部分としてバラバラではない、
まとまりがあり、全体が連動して動いている。
呼吸が全身に染み渡る。。


感情や、思考のわだかまりや
引き込まれていた渦から抜け出し、その渦のエネルギーは
全体の健全の力に再び帰っていく。


個として、隔離され、洞窟から世界を覗き込むように
淀んだ場所から出てくることを知り、
世界と関わりを持ち出す。
そして、新しい世界に旅立っていく。



それを達成するのが、ロルフィング。
そういうことだと思います。


。。


そして、ロルフィングの最大の魅力は
10回シリーズである、その期間にあると思います。
日常を離れ、体の変化とともに、、
体と、こころと、スピリットと、、世界と、、つながりと対話する。
その期間、ひとはいろいろなことを考えたり気づいたりするようです。

ロルフィングとは、旅のようなものだ。
とわたしは思います。


それは、他のワークにはない魅力ですし、
どんなに素晴らしいワークが他にあったとしても
ロルフィングはずーっと続けていくライフワークだと思います。


。。


だから、私の場合、
構造として、体がまっすぐになればいい、とか
単に動きが楽になればいい、とかとして人をみてはいません。

もちろん、ロルファーとしてロルフィングを提供していますので、
どうしても、その思いはあります。
が、そうしないようにしています。


楽にあること、自然であること。


ひずみが解放され、全体としてまとまっていくにつれ、
その結果が、結局、
重力と調和した状態、つまり、姿勢が良く、よりまっすぐになっていく。


勝手に(まっすぐに、姿勢が良く)なっていくんです。
たぶん、それが、自然の摂理だと思うのですね。
水が高い方から低い方が流れるように、、。
ひとは、自然になると、まっすぐになっていく。


。。


(おっと、話が逸れてきたので、、。)


私のロルフィング分では、具体的にどんな感じで施術しているのか、
その世界観は、といいますと。。


まず、レシピがあり、その回でやることや、起こるべきことは知っています。
それは、無意識の領域で、情報として、、あります。
しかし、実際にセッションが始まる際には、できるだけ、それを忘れ、捨てようとします。

私個人の人としての頭は、ニュートラルになる。

その情報は、そのセッションの空間に漂っていて、自然と影響を与えている。
そんな、イメージでしょうか。


そして、セッションの時には、
「全体性」を見ているのだと思います。

つまり、各回の部分的な目的としての意図は、空間に漂っていて、
私の個人の頭は、ニュートラルで何もない。ことが理想。


その場でやっていることは、全体性をみている。
そして、導かれている。


しかし、完全にニュートラルで何もなしでやっているかというと、
たぶん、そうではなく、どうしても
その回で扱う部分や構造には、どうしても目が行きますし、

直接的、間接的(たとえば、足首を持っていても、間接的に肩に触れることはできます。体は繋がっていますので)に触れるべきところに触れる、ということをしています。

あるいは、そこに触れたいけれど、触れられない、、受け手の体が触れることを望んでいない、ということもあります。
そのときは、触れませんし、扱いません。。が、気にはなります。しかし、そういうときは、ほとんどの場合、他に触れるように導かれたところをワークすると、その影響が波及し、その本来触れるべきところも、変化します。


。。


つまり、私のロルフィングでは、

・常に(部分やレシピや作戦やこうすべきということやしなければということは無視して、)全体性のみを意識してワークをしています。
・しかし、部分や作戦やこうすべき、というレシピは引力を持っていてそこに引っ張られている。

そのバランスで、ロルフィングをしている。


もっと簡単に言うと、
コップを持ちあげる、という動作がその回の目的であった場合、

わたしの意識は、ミッドラインとハートに「全て」向けられている。
そして、そこから導かれること(単に作業のように持ちあげることとは違うこと)をやっているが、
しかし、どうしてもコップを持ちあげるという、設定があるので、その「コップを持ちあげる」動作は自然とされてしまう。

という感じでしょうか。


**


(お、今日も長いな。。)


あと、最後に一つ。

・施術者がやりたいことを、やるとき。
・あるいは、ミッドラインやハートからやらないとき。

何が起こるのか、、。私の考えです。


施術者がやりたいことをやる、決まりごとをやるとき、
このとき、体は望まないことを押し付けられることになります。


基本的な考えとして、治癒や歪みの解放の力は、すでに体の中に内在していて、
施術者が触れる前から始まっている。ということがあります。
施術者は、それに沿うことで、その治癒の力を、歪みを解放する力に加わる、というイメージです。


しかし、そのすでにある体の力を尊重せず、決まりごとをやってしまうと、
体はそれについて、抵抗しなければなりません。余計な負担です。


それは、私の持つイメージでは、たとえば、
添え木を当てて体をまっすぐにする、、。体はまっすぐになるが、添え木は異物。
それをクライアント様はずーっと、つけていくのか?

かりに、それをずーっとつけていくことが受け手と施術者の双方で良しとされることがあるかもしれませんが、
、私の感覚では、
その添え木に対する代償をどこかで負担しなければならない。それは、肉体の痛みなどとしての体の構造のどこか他の部分かもしれないし、もしかしたら、感情や、世界観の歪みとして補填されていくのかもしれない。


それよりも、命の知性に沿うこと。治癒の流れに加わること。
そこで、やることの方が、見た目や満足度を満たすより
私のやる仕事だと思っています。


。。


なので、まとめると、、。


バイオダイナミクスとは、手技の一つではない。

ロルフィングや、クラニオセイクラルや、イールドワークや、整体や、マッサージなどのジャンル分けの一つではなく、
その中心に流れている命の知性、世界の本質の意識、それなしでは、ただの作業になってしまう。。


だから、バイオダイナミクスを学ぶこととは、
全ての真髄に通ずること、
それが、ロルフィングであるかもしれないし、もしかしたら、ダンスやアートや、
家族や人と接すること、日常を生きることの中にあるもの。


それを知るだけで、その人は変わるし救われる、、それは、広がっていく。
そんなことを思ったりします。


それが、私の考えるバイオダイナミクス。

 


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別の名前だったなら、、。私はどう生きていただろう?

 

あのー、こんなこと考えたことあります?
何度かちょいちょい考えたことがあったな〜、と思ったんですが。

 


『別の名前だったなら。』



全然違う名前を、名付けられていたのなら、
ぼくは、どう生きてきただろう?

生まれた時に、、。

きっと、別の人生を歩んでいただろう。

 

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。。


僕って、名前が邦宏(くにひろ)っていうんですね。
でも、もしかしたら太郎(たろう)だったかもしれない。


そのとき、どこで何をしていただろう?

ふと思い浮かんだのは、
どこか、外国で、、ヨーロッパかな、
アーティストなのか、
旅人なのか、、。


強い体を持ち、
周りの目など関係なく、
自由に、生きていたかもしれない。

(ちょっと、岡本太郎っぽく。)


。。


名前は誰がつけたのか?


親がつけた、、。
それもまた運命。

しかし、、


**


僕の名前は、誰かしらんおっさんがつけたらしい。
なんか姓名判断かなんかのおっさん。
両親は「太郎」とつけようかと考えていたらしい。
しらんおっさんの名前はええわ。
とおもって、太郎っていいな、と思ったことがあったのです。


その自由な広がりと明るさ、
力強さ。

そんなものを、ふと連想した。


。。


名前は誰がつけたのか、
名前をつけるということは、、。


**


そこで、昨日の朝の目覚めのはなし。


。。


むかーし、


まだ、布団にうずくまり、
どよーんとして、、人間とのやりとりが全くできなかった時期のこと、、。


『この身体。
もし、ボクではなかったなら、もっと幸せに生きていただろうに、すまんな。』



この身体に入っている、ワタシという存在、
この私が身体に入っている、そのワタシ。
(パソコンで言ったら、OS)
ワタシ=感情、思考、、この生命、、意識、、。

僕が、この(身体という容れ物)の中にいる。

僕ではなく、別のヒト(?)が入っていたら、
この(思考、感情、トラウマ、、。ワタシ)の制限の中、動けないワタシではなく、
自由に快活に、
健全に、
人とやりとりもできて、世界に出ていける、、。


。。


身体とワタシ。

身体とその中に入っているワタシ。
私の意識、私の存在、私の感情、、。


。。


わたし。

 


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傷ってなんでしょうか?

 

Lesion=リージョン、 傷、病変、問題。

この「リージョンとは何か」の捉え方って、大事だと思います。

 

 

どうやって、リージョン(傷、歪み、病変、問題)は できるのか?

 

リージョン(傷、問題、歪み、病変)は、

HEALTH(完全な健全)によって作られます。

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HEALTHとは、
完全な健全。透明な光、おおもと。いのち。
もしかしたら、神と呼ぶかもしれないし、
グレートスピリットと呼ぶかもしれない。


我々がやってきたところ。
我々の真の姿。
魂よりももっと純粋な透明。


。。



何か衝撃や侵略を受けた時、
それは、物理的にしろ、感情的にしろ。

この体は、崩壊してしまうかもしれない
その衝撃を、一点に集約して、保持する。
リージョンとして、歪みを作り出し、
全体を守る。全体として一つ。


健全が、私たちを守るために、
リージョンを作って、そこに衝撃のエネルギーを保持しています。


これが、傷の成り立ち。


。。


そのリージョンは、全体を保持するために
HEALTHによって作られた。

そして、今、もう必要がなくなり
解放される準備ができているものは、
解放が可能。


解放のやり方とは?
その前に、我々の存在とは何か。

 

 

我々の存在とは、なにか?

 

我々の

その真の姿は、HEALTH(健全)。

 

透明な光、汚れのない光。

赤ちゃんのような。

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トラウマのない生まれたばかりの
赤ちゃんは光そのものだという。


透明な光、あるいは、暗闇。
そこは、個性のない領域。


その上に、いろいろな荒い不純物(?)が
覆いかぶさっている。
個性、、。
思考、感情、肉体。3つのフィールド。


エネルギー的に言うと、
メンタル(思考)、アストラル(感情)、エーテル(肉体の原型)。


そこに、リージョンがあると、
健全の光は、遮られ、
その滋養の光は、吸われてしまう。
リージョンを保持するために。



我々は、本来透明な光の存在、
そこに個性が覆いかぶさっている。


リージョンを解消し、
透明な命の光が現れ、
全身を照らすように、
それが、一つの目標(?)かもしれません。

いや、

再び健全につながり、
そして、その存在は、
なにをするのかどうなるのか。

伺い知ることのない領域。



あなたは、
本来、光の存在。



かも。




**



リージョンをどう解放するのか?
その前に、リージョンと健全の性質とは。

 

 

リージョンと健全の性質とは、

 

リージョンとは、

歪み、病変。

 

とても、注意を引く力が強く

粒子が粗く、引き寄せる。

感情を、掻立てる。

 

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現代人の多くは、
アストラル(感情)のフィールドに
リージョンを多く持っているらしい。


病変、問題、
注意を引き、
、、そこに引っ張られることは、
リージョンにエネルギーを与えてしまう。

そこに執着するということは、
リージョンにエネルギーを与え、
強化していく。


思い当たるでしょう?


なぜ、そこに注意を惹かれるのか?
我=エゴ、は
個性の外側の領域は、こわい。
コントロールを失うから。
個性の領域に、執着し、
リージョンにエネルギーを与えようとする。


わかっていても、
なかなか離れられない、
よくあることでしょう?


。。


アストラル(感情)は、
時間と空間がないという。


あのことを思い浮かべては、
繰り返し、、
その場に移行する。
そして、再び、傷つけられたり、傷ついたり。
永遠に、その場面を繰り返す。


そこから、離れることは、
できますか?
何かを諦めなければ、ならないかもしれない。
プライドや、言いぶんや。守ることや、攻撃すること。
を。


。。



HEALTH(健全)とは、
個性の領域の外側、
わからない。ところ。
頭では、理解したりすることのできないところ。

そこは、
頭が働くと、はじき出されてしまう領域にある。

そこで働くのは、
あたまではなく、
ハートだという。


そして、一見矛盾するようだが
フィジカル(肉体)は、
コンパッション(慈愛)だ
という。



健全とは、
いろいろな表現をするが、
あるところでは、透明な光。
それ自体で、癒しの力があり、
どこからかやってきて、
我々を生かす生命の源の力。



それが、我々の真の姿。
だと、いう。



。。


あと、これは、
友人から又聞きで聞いたことで、
先生から直接きいたことではないのだが、

魂について、

輪廻転生、
カルマを解消し、
生まれ変わり続ける。

我々は、
カルマを、過去の清算を
永遠に続けている。。?

その魂こそが、
我々か?


いや、違うらしい。


魂とは、
我々の本性=HEALTHに
くっついてきた、ものらしい。


又聞きだけど。
そう聞くと、
ちょっと考え方が変わりそう。
わたし、とは。


魂、その背景の本性は、
HELATHだという。




**



傷(リージョン)は、悪か?
その前に、リージョンの解消のやり方を。

 

 

リージョンの解消のやり方とは、

 

リージョン、問題、歪み、傷、、

それらを作り出したのは、健全だといいました。

 

リージョンを、

再び健全につながることができれば、 解消できます。

 

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どうやって?


健全があり、リージョンがある。
この関係性、、。
もうひとつ、あります。
それが、フォルクラム。

健全がリージョンを作り出し、
そのリージョンを、保持しているのが、
フォルクラム。

それは、リージョンと健全をつなぐもの、
健全への入り口、
光が、静けさが、
そこにはあります。


フォルクラムはどこ?
=静けさは、どこ?


問いを持った時、
探すのではなく、
気づかされる静けさ。

頭ではなく、ハートで。



その静けさにつながり続けていると、、
健全からの、静けさが広がり、
あるとき、リージョンはその姿を
保持しきれなくなり、
崩壊し、解消されます。



。。

 

 

あなたは、何を見つめているのか?

 

リージョン(問題、傷、歪み)を見ていては、

解決しない。

エネルギーを与え強化してしまう。

 

エゴを放棄すること。

 

あなたの本性は、健全。

健全には、癒しの力がある。

 

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健全につながること、
静けさを、光に、つながること。


何につながるのか、
あなたの本性は、
なんなのか?


ちょっと、
振る舞いや志向がかわるかもしれません。


そして、
アストラルには、
時間と空間がないと
いいました。


あなたが変わること、
あなたが癒されることは、
あの人も、変え、癒していきます。

いつのまにか、
あの人の振る舞いも、
変わっていたりします。




。。




**



あと、いっこ
なんか言おうと思ってたんだけどな〜。
と、振り返ると、

傷(リージョン)は、悪か?

 

 

傷(リージョン)は、悪か?

 

リージョンは、全体を保持し、

我々を守っています。

 

それを、とり去ろう、

というのは、

バランスを壊すこと。

 

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準備ができ、導かれるものを
解消する、
それは、頭や理論ではなく、
ハートの世界。


**


リージョンは、フォルクラム(健全につながる入り口)のサイン。
静けさにつながる、入り口を
教えてくれる。


そのつながりのまたその先に、
健全があります。




つながり、
すべてはつながっている。

ALL MY RELATIONS.

その話は、またの機会に。

 


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トラウマ、からだとこころ。

 

過去に受けた衝撃、それは、カラダに溜まります。

そのときその瞬間に対処し続けている、、

 

一見すると、普通に見えて、

実は、全力で危機に対処し続けているひと

過去の出来事に対応し続けている。

 

日々の日常と同時に、全力で逃げている/戦っている。

それ以上の、凍りつきの、、負荷の中で生きている。

誰にも気がつかれない、神経系を回り続ける重荷。

 

同じ社会を生きる、、自由な人と、凍りついた人。。凍りついた人は、自由で楽なひとたちから、、なんでアイツは、、と見られる、あるいは、自分で自分をそう思っている。。そういう性格だと、、。うごけない。。実は、重荷を背負っている、、平等ではない、、何かの衝撃を抱えた人。。ひとより、ずっと頑張っている、耐えている、、苦しい日々を自由でラクな人と同じ社会で生きている。。

 

体から世界は変わる

 

人間は、現実を生きている。

しかし、それは、平等に同じではない。

 

人それぞれに違う現実を生きています。

なぜうまく振る舞えないのか、 なぜ、優劣をつけられるのか?

  

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あのひとと、このひと、、
背負っている重荷が違います。

それは、心の問題とか、考え方の問題とか、
では、ありません。

カラダから、、世界は変わります。


**


先日、とあるカフェで
とある人が、
すごい勢いで話してはりました。


たぶん、緊張しいの方で、
人付き合いはニガテ。
そして、本当は話をしたいとは思ってもいない、
話題を無理やり話して場を埋める、、埋めまくる!


うわ〜、フィールドがすごいことなってる、
活性化しまくり、危機モードの活性化状態。


そんなに、あわてんで良いんやで。
そんなに、頑張らなくても良いんやで。
そんなに、フリをしなくてもいいんやで。
自然体で、いいんやで。


ナチュラルな、会話。
ナチュラルな、間合い。
尊重している、間合い。


。。


すごいあわててる、
つねに、いっぱいいっぱいになってしまう。


僕も昔はそうだった。
いや、
それより、ひどかった。


それよりひどくなると、
ぼーっとしてきます。うごけない。


。。


うまく話せない、
うまくやり取りできない、

つまらない奴と思われてる、
暗い奴だと、思われている。

そういう、性格だ、
と、思われている。
と、自分でも思っている。


そういう感じ?


でも、実はそれは、ちがう!
完全に、ちがう。


性格でもなんでもなくって、
ただ、そういう、「体」なのだ。
ということ。


『そういう、風にできてる。
。。いつか、人間になりたい。』



そう思っていた時期が、
結構長かった。
いつしか、気がつけば、そんなことも忘れてたけど。。
いま、久しぶりに、
そういうこと、あったなあ、と思い出した。


。。


性格とか、関係なくって、
体が、神経系が、ただ、そういう(危機的)状態で
凍りついている、だけ。


それは、誰のせいか?
、、誰のせい、、何の出来事のせい、、というのは、
「解決には」全く関係がない、



そういう、衝撃が、過去にあって、
それが、うまく解放されず、
体の中に、溜まっている、
そのエネルギーが、体の中を「常に」駆けめぐっている。


。。


なんか、そういう状態で、
今を生きている方を見ると、
そういうことについて、
説明をしたい、と思う気持ちがある。


だって、解決可能だから。


。。

 

神経系、重荷を背負う仕組みとは。

 

動物は、生き残るために3つの戦略をもっています。

「逃げる/戦う/死んだふりする」

 

「逃げる/戦う」とき、トラウマ化しません。

「死んだふりする」とき、トラウマ化する可能性があります。

 

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※詳しい解説は「トラウマワーク」ページをご覧ください。


【危機に瀕したとき(敵と出会ったとき)の神経系のエネルギーの高さ】


動物は、敵に出会ったとき、「逃げるか戦うか」します。
交感神経は高まり、興奮状態になります。パワーが出ます。

→神経系の中を巡るエネルギーは、どんどん高まります。

敵から生還した時に
この高まったエネルギーが、全て消費されているかどうかが、
トラウマ化するかどうかを決定します。


**


①逃げ切ったり、戦いに勝ったとき、、トラウマ化しない。

神経系を巡るエネルギーは、戦いや逃避に全て消費され、、神経系は、、落ち着きを取り戻します。
→体に未解決のエネルギーは、ありません。神経系は危機モードではなく、低い負荷エネルギー状態です。平和な状態です。
→健康な落ち着きを取り戻しています。
→仲間の元に戻り、元気に自由に、、コミュニケーションとって社会生活をします。


**


②逃げ切れない、もうだめだ、、。の場合、トラウマ化する可能性がある。

必死に逃げたけど、もう、だめだ、追いつかれる。。すると、動物の最後の生き残りの戦略を発動させます。
→突然、気絶します。死んだふり、、だらんとした弛緩した体。
→だらんとした弛緩した体、、あるいは、カチカチに固まった体、、一見静かに見えますが、神経系を巡るエネルギーは「超」高い。限界値を越して、振り切れています。必死にゼーゼー逃げていたときより、さらに高い活性化状態で固まっています。


**


敵は死体には(病気かもしれないし)興味を失い、去っていくことが多々あります。
敵が去って脅威がなくなったとき、、

→仮死状態の動物は、息を吹き返します。
→その、過程がとても重要。。
 

気絶する直前まで、必死に逃げてきて、神経系は「超」活性化して、振り切れています。高エネルギーが、神経系を、、無限に回り続けている、、焼き切れる、、ほどに。

→野生動物は、凍りつき(死んだふり)から回復するとき、体の中を巡る高エネルギーを解放します。
激しく震えたり、涙を流したり、、。


こちらのyoutube、、しろくまの凍りつきからの回復の動画があります。

(動画の11分40秒くらいから、ヘリコプターで追いかけられ、全力で逃げます→麻酔銃で撃たれます(凍りつき状態)→目がさめるとき、激しく、、身体中を震わせたり、深呼吸をしたりします。)


**


この、高エネルギーが未解放の場合、
常に危機的状況、、が神経系の中に閉じ込められています。


**


【 凍りついた負荷エネルギー】

死んだふり(凍りつき反応)をしているとき、
神経系は振り切れるほどの高負荷エネルギーが回り続けています。

しかし、敵がいなくなれば
動物はやがて気がつき、日常に帰っていきます。

そのとき、激しく震えたり、涙を流したり、手足をバタつかせたり
必ずします。


これは、気絶(死んだふり)するまで全力で逃げていたときに
激しく高まっていた神経系の負荷エネルギーを解放する
ための絶対に必要な動作です。


***


【閉じ込められたトラウマ】

野生動物は、動画のように
激しく震えたり、涙を流したりして、
死んだふりをした時の、高い負荷エネルギーを解放します。

しかし、大脳の発達した人間は、
この負荷エネルギーの解放に失敗することが多々あります。


恥ずかしいから、社会的な振る舞い、
あるいは、麻酔を打たれて手術を受ける、、などなど。

神経系に溜まった負荷エネルギーを 、
人は解放する機会を逸することがあります。

 

トラウマ化された日々

 

この状態で日々を過ごすのは、かなりツライ。。

 

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この状態で日々を過ごすのは、かなりツライ。。


仲間とコミュニケーションをとる哺乳類、、社会生活を営む、、人間、、なのに、自分はいつも危機的状況に置かれている神経系を持っている、、うまくいかない、やり取りできない、会話できない、コミュニケーションをとれない。。分かり合えない。いつも、ひとり。。


。。


未解放のエネルギーをたくさん持っている、トラウマ化された人と、
それほど持っていない、トラウマ化されていない人、、
同じ社会を生きていますが、同じではありません。。よりしんどい世界で、より楽に生きている人たちよりハードルの高い社会を頑張って生きています。だれにも、、本人にも、、気付かない辛さ。


同じ社会を生きる、、自由な人と、凍りついた人。。凍りついた人は、自由で楽なひとたちから、、なんでアイツは、、と見られる、あるいは、自分で自分をそう思っている。。そういう性格だと、、。うごけない。。実は、重荷を背負っている、、平等ではない、、何かの衝撃を抱えた人。。ひとより、ずっと頑張っている、耐えている、、苦しい日々を自由でラクな人と同じ社会で生きている。。


トラウマのない人などいません。
しかし、その程度には大きな差があります。


人には、見えない重荷が
負わされています。
、、しかし、
それは、回復(解放と、統合)が可能です。


※解放だけでは、ダメです。
危険です。。
統合されること、が大切です。
(またの機会に書きましょうか。。)

 

体からのアプローチ、回復は可能

 

過去の出来事に対処し続けていてくれた

あなたの身体。

 

体からのアプローチで、

きっと回復は可能です。

 

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トラウマ。

その対処に使い続けていたエネルギー。
枯渇、、。
それは、解放と統合がおこり、
体を取り戻すとともに、あなたに還ってきます。  


重荷は解放され、
それに使っていたエネルギーは
取り戻され、より自由に、より元気に、
今までより、どんどんよくなっていく。  


体からのアプローチで、
あなたの世界はきっと変わります。


**


トラウマ化され、高い負荷エネルギーを抱えた体を持つひと、
解放と統合に成功し、低い負荷エネルギー状態の体を持つ人、


危機的状況を生きる人と、
自由な社会生活を生きる人、


体の状態は、

あなたの、

世界を変える

可能性が

あります。


**


 

ロルフィング10シリーズでは、

よくクライアント様から、

世界観が変わったとか、

精神的に落ち着いたとか、

ラクになったとか、

お話をいただきます。


 

それは、ロルフィングが

心理的なアプローチをするからではなく、

体が、変わる、、ということ。

それと同時に、解放も統合も

起こっていくということ

があるのだと思います。

 


ロルフィングは姿勢だけでなく、私と娘(9歳)の関わりにも何等かの影響を及ぼしたようです。(M.Y.さま)

 

背中の感覚を取り戻すことで、背中のぬくもりが感じられるようになり、安心感まで得られるようになった。(M.T.さま)

 

体だけでなく、ずっと自分自身を責めていたこと、自分を信じていなかったこと、早く死んでしまいたいと子供の頃から思っていたこと、そういったものが解けていく、、。(E.A.さま)

 

ずいぶん過去のことを思い出していた。 自分が自分の身体にしてきたこと 直接的ではないことも。過去の後悔みたいなものや反省と感謝の念が起きていた。 自分が胎児だったことまで思いが巡った。 生まれなかった子どものことを想っていた。そのあと、大好きな沖縄や八重山諸島の海辺の波打ち際で横たわり足からアタマに波が寄せては返すというイメージに包まれて本当に心地よかった。…。(A.H.さま)

 

しばらくすると、突然身体の奥から無性に足を回したい、手を回したいなどの欲求が出てきて自分の意思とは無関係に身体が動くという何ともいえない不思議なことが起こるのです。…。(H.N.さま)

 

体が私を守ろうとしてくれていたこと、この痛みは私を守る為の痛みだったことが分かって、私は私の体をずっと責めていたのに、そんな私への体からの無条件の愛を感じて、(体と命が別物みたいな言い方ですけど)体の神秘、命の神秘と天の計らいに思わず泣いてしまいました。(E.A.さま)

 

身体の変化に伴っての、、知覚の変化、自分と空間との関係性、居方自体が変化した(「よくなった」という言い方も出来るし、本来在って鈍っていたものを「取り戻した」という言い方も出来るかと思います)ことで、随分と色々なことが楽になったなと思っています。(I.S.さま)

 

表面ではなく、もっと内側の繊細な部分が解放されて行く感覚が凄かったです。長い間固結びしてしまっていた糸を、ゆっくり、そっと解いて貰っているようなイメージでしょうか…。(N.K.さま)