カラダの地図

わたしのワークの基盤になっているカラダの見方、回復すること、本来の姿、あり方などについての(私の個人的な解釈ですが、)世界観をお話しします。(※ロルフィングの世界観ではありません。私が学びを深めてきた、もっと根源的なカラダの世界観です。)


自然界の法則とエネルギー

ネイティブアメリカンは、物質としての自然界の背景に、スピリットを感じていたという。もっとも繊細な感覚で知覚できる世界があるのだろうか?

 

近代社会の方法論と、自然界の原理で導かれる癒し

子供の心は、いつ失われたのか?

 人間の本来の姿が、純粋で、エッセンス(直感、、?)が”わたし”を導いてくれる。本当の姿、エッセンスというのは、なんだったのか?それは、大人になるに従い、曇り、、隠れて消えてしまっていくとしたら、その原点は、赤ちゃんのすがた、にあるとしたら。笑顔、あり方、他者との関係性(笑顔)、、。光を放射するかのように、周りも笑顔にしていく。その姿が、我々の本質であるとしたら、それは、いつ失われてしまったのでしょうか?

 たとえば、この近代社会において、人間は、、社会生活を始めると共に、たとえば、学校に入る、、子供はその純粋なこころを、保つことはなく、徐々に、監視と管理で、大人の姿になっていく、教育。他者との関係性、学校の先生、、どれもが本来の人の姿、とはかけ離れた存在であり、そこに整形されていく人々。

 本来の姿って、人間はどんな姿が、調和した存在だったのだろうか?(最近は、ネイティブ・アメリカンの本や世界観に影響されていたりするので、こんなことを考えます。)大地と切り離されてしまっている、、ということ。回復には、再び大地に帰ること、という話がこの社会で生きてきたひととしては、ピンと来ています。

 大地に帰るとは?大地、、地球と自然と調和し、生かされているという感覚。その背景にある、物質レベルではない、何かの知覚。現実としてのスピリチュアル、生かされている感覚。その物質とスピリチュアルの二元性をリアルに知覚し生きていた人々。ネイティブ・アメリカン。

 失われたものは、なんだったのか?近代社会において、この物質しか見えない世界において、循環や感謝は見えず、個人の資産の確保と補償、、それが自然界からは歪に矛盾してもう成り立たなくなっていても、見えない。

 本当に、その背景には物質以前の何か大切なものがあるとしたら?それは、自然界を通して見えてくる、超自然界、、の原則。子供の頃は、そんなものに、生きていた。

 物質と損得と個人の資産、補償の社会のルールしか見えない世界で、この人の本来の姿としてのエッセンスを回復しようとしても無理じゃあないか?大地に帰る、自然に帰る、ということに生き延びるキーがあるとしたら、その見えない、本質を再び見つけることができるかもしれない。

 その一つの方法は、施術を通して、、再びそのエッセンス、自然と超自然、マザーアースと星々、、大きな流れの循環の中に生きること、、そんなことを再び明らかにしていくことができるのではないか。そして、ロルフィングの10回のシリーズを通して、あたらしい世界にシフトしていくことを、その期間を作ることができるのではないか。

 インナーチャイルドは決して傷つかない。というあるオステオパスの言葉がある。子供の頃、赤ちゃんの頃、からその生命の光、我々のエッセンスである、本質は、全く傷付いてはいません。その生命の本質の光があるとしたら、それを傷つけることは何者にもできない、、大人になるに従って何が起こってきたのか?それは、その生命の本質の光の周りに、人間の理論、理屈、社会のルール、さまざまな物理的、感情的な衝撃、、それらが、傷や歪みとして光の周りに存在している、その傷や歪みを解消したとき、光は外の世界に広がってこれる。消えたと思っていた光は、実は隠れていただけ。また、光は放射し始める、それが、周りの他者を癒していく。そんな世界観です。

 

エネルギーという言葉

 問題の解消、傷の癒やし、歪みの解消、、わたしの施術の根幹にある世界観の中では、ひとをただの物質としてだけは捉えません。物質としての肉体はもちろん、もっと「エネルギー的な体」も扱っています。”エネルギー”といっても、いろいろエネルギーワークは世にはあると思いますが、そういった類のエネルギーワーク、というのとは違います。なにか特別な力があって、施術者が不思議なエネルギーを流すことによって体の痛みを治す、ということはしません。そういう世界観ではないので、エネルギーワークではないといいます。

 では、物質としての肉体だけではなく、エネルギー的にも体を見ている、とはどういうことでしょうか?簡単に説明しますと、物質としての肉体とは、この日常の社会生活の中でみなさんが触れていて当たり前に使っている世界ですね。固いとか柔らかいとか。五感を通して知覚しています。その日常の知覚レベルで肉体を扱っているときに、物質的な肉体を扱っている、というとしたら、エネルギー的に体を扱っている、というときは、もっと繊細な知覚レベルを使っている、ということです。

 それは、一般の社会的な言葉で表すのなら、たとえば、”雰囲気”のようなもの、空気読む、とか。それは、しっかりと確実な(固いとか柔らかい、とか)はっきり誰にでも説明できる感覚とは、少し違いますよね?わかる人にはわかるけど、わからない人には通じない、鈍感やね、とかで済ませます。でも、現実に、”ある”じゃないですか?雰囲気、、起こってるとか、悲しんでるとか、明るくて、ハツラツとしている、とか。固いとか柔らかい、とかを知覚する感覚とは少し違う、もっと繊細な感覚ですよね。でも、五感を使って知覚している。知覚レベルの差で、現実を捉えています。

 このように、肉体もさまざまな知覚レベルでその現実を捉えることができます。繊細な領域の知覚、それは、他者と共有しにくかったり、頭での理解ができる範囲の外側にあったりします。ということで、頭で理解しやすかったり他者と共有しやすい”常識”という意味での「物質的な肉体」という言葉に対して、他者と共有しにくい、ある一定以上繊細な知覚領域での現実は「エネルギー的な体」、という呼び方をしています。

 

我々を生かす力=”健全”

 自然界の原理で導かれる癒し、というのがあるとしたら。先の文章で少し触れましたが、われわれの中には、絶対に傷つかない本質がある。生まれたときから、赤ちゃんに表現されている、生命の輝き。

 では、その生命の本質と、傷や歪みとはどういう関係性なのでしょうか? 我々を生かす力=”健全”という名で呼ぶとします。”健全”とは、エネルギー的に体を見た時に、最も繊細なエネルギーであり、それ自体が、癒しの力を持っている、と思ってください。

 

傷や歪みは、なぜ作られたのか?

 我々の本質には、”健全”=我々を生かす力、最も繊細なエネルギー的な体があります。それは、全てを知っている、生命の叡智です。歪みは、傷は、その生命の叡智が我々を守るために、作ったものです。

 物理的、または、感情的に、、体が衝撃を受けたとき、そん衝撃により全体が崩壊しないように、生命の叡智(=”健全”)は、そこにその衝撃のエネルギーを凝縮し、歪みとしてそこに配置した。衝撃が波及して全体が崩壊してしまわないように、一点に衝撃のエネルギーを凝縮して配置し、我々を守っている。

 その歪みがあるおかげで、全体が崩壊しないで済んでいるのです。ですので、そこが歪んでいるから、という理由で、その歪みを取り外したりはしません。全身が崩壊するのを守っているのですから。

 

傷はどう癒されるのか?

 ”健全”により作られた傷や歪みは、解消されるタイミングがやってきたとき、再び”健全”によって癒されます。最も繊細なエネルギー、それ自体に癒しの力があります。いや、むしろ、それにしか癒しは起こりません。ですので、傷や歪みを癒すためには、その健全の力につながる、ということが、自然界の原理に従った癒しの方法であり、表面に現れた歪みや痛みとしての現象の解消ではなく、それがやってきたところ、原因から解消が起こるやりかたです。

 

病変や問題を見つめると、より強化されてしまう。

 病変や問題は誰にでも見つけられる。健全を見つけなさい。という言葉があります。病変や問題に癒す力はありません。歪みや傷、問題に焦点を当てるとき、そこにエネルギーを与えてしまいます。つまり、より拡大して強力になってしまう。なので、一般に見るセラピーや治療は、体の持つ癒しの進む方向と逆のことをしてしまっています。そのときよくても、体の全体のシステムとしては、よりトラウマや衝撃による歪みを強化し、生命の治癒の進む方向を妨げる働きをしてしまう。

 では、”健全”を見つける、とはどういうことでしょうか?

 

”健全”にアクセスする、とは?

 傷や歪みがあったとき、そこに焦点を当てるとき、拡大してしまいます。では、健全にアクセスするとは、どいうことをするのか、なぜ、解消がおこるのか?傷や歪みそれ自体は、病変です。しかし、その出どころは、、”健全”です。なぜなら、健全によって傷や歪みは作られたからです。

 その出所である、健全にアクセスすることで、その健全のエネルギーにつながることで病変は解消できます。健全にアクセスするとは、、さまざまなやり方があると思いますが、それは、施術者の意図で、健全であるべき姿に歪みを元の位置に戻そうとする、ということではありません。それでは施術者の意図、つまり、人間の世界の理論や法則によって、そこでは届かないはるか先にある自然界や生命の叡智の法則の邪魔をしてしまいます。(たとえば、放射能をレベル1まで浴びても大丈夫、などとは人間の勝手な都合により作られた政治的なものであり、自然界や生命の法則では意味のない数値ですね。)

 健全にアクセスする、とは、、自然界の法則、生命の原理のレベルにまで知覚を合わせるということ、そして、そこの法則に従うこと。その繊細なエネルギーのレベルでは、人間の理屈や都合は持ち込めません。

 その原理を簡単に、説明すると、、人間の世界でいうところの”雰囲気”の話で例えてみます。怒ってる雰囲気、悲しんでいる雰囲気、楽しく溌剌とした雰囲気、、その雰囲気を五感で感じ取っていると、それにだんだん自分が変えられていく、、その雰囲気にシンクロしていく。そういうことが起こると思います。施術の世界では、最も繊細な知覚で”健全”にシンクロしていく、というやり方で健全にアクセスすることができます。

 その最も繊細な領域に達したとき、変容が起こります。その最も繊細な領域、とは、ネイティブアメリカンの世界観でいうところの、物質とその背景にあるスピリット、我々を生かす力。その世界にこの近代社会を通り抜けて到達する、そこには、何も損なわれていない、大自然界が存在している、深く眠り、癒しが起こる。というような感じに似ているでしょうか。

 大地と切り離された人間の近代社会に生きるということは、必然的に自分の中の何かが損なわれるということ。再び大地に帰ること、あるいは、その背景にある何も損なわれていない、健全の世界につながること、それこそが、本当の回復の道だとしたら。こどもには、いつかそこに帰っていくことのできるなにか道標を残しておいてあげたいものです。この人間社会は大変なので。

 


体の世界について

ここから先は、全体的な世界観というより、体についてのもう少し具体的な話しをしましょう。

 

まず、胎生学について

 胎生学とは、受精卵から赤ちゃんに成長していく過程の学問です。一般的には、遺伝子が受精卵が分割して構造を作り出す、という内側から外側に生えてくるような学問ですが、別の方向から捉えた胎生学があります。それは、フロー(流れ、代謝)が構造を作るという考え方です。

 たとえば、中心軸に流れがうまれ、それにそって、構造がつくられる。流れの周りに密度ができて、血管ができる、筋繊維ができる、骨が形成されていく、、など。ブレヒシュミッドの胎生学です。そして、それを研究室の学問として観察していたのではなく、人間に触れて治療をするオステオパシーという医術の世界で身体感覚で知覚していた人がいました。その二つの世界での観察が一致したのです。

 その世界では、まず、スティルネス(静寂)があった。それに沿って、受精卵は分割成長してきた。初めに、スティルネス(静寂)が満ちたスキマがあり、それによって受精卵は分割され体に成長して行った。そのスティルネス=”健全”です。初めに、健全があった。大人になった体にもそのスティルネス(静寂)は存在しています。

 ですので、施術の世界では、そのスティルネス(静寂)にアクセスすることで、健全にアクセスすることができます。

 

代謝が生命エネルギーを循環 させる

 体の治癒において、”代謝”がもっとも重要な要素となります。代謝とは、体の中の液的な流れのことを指し、生命力の源である滋養を供給し、老廃物を排出する身体の機能です。人体の構造は、初めに代謝があり、その流れに沿って形作られてきました。つまり、構造を整えるより先に、代謝の流れをととのえることで、その後自然と構造は整っていく、という治癒の流れがあります。代謝というと、物理的な個々の駅的な流れを指しますが、それらの総和として、あるいは、もっと繊細な知覚をしたときに感知されるエネルギー的な流れとして、フロー(流れ)がある、といいましょう。フローがあるとき、そこには治癒が起こります。なぜなら、生命のエネルギーが供給され、そして、そのフローが不純物を排出する働きもするからです。

 

フロー(流れ)が治療する

 施術の観点から、人体にはフローが存在しています。それが衝撃や歪みにより、流れが妨げられるとき、滋養が行き渡らなかったり老廃物が溜まったり、治癒の妨げになります。そのフローを回復させること、それがわたしの施術の基本になっています。たとえば、骨の中心軸のフローが回復するとき、骨折したさいに途切れたフローが回復することで治りが格段によくなったり早くなったりします。また、指の切断などでくっつくことが難しいと思われていたものも、無事くっついた、という事例もあります。

 施術者が治すのではなく、フローが回復することでフローが治療する。体自身の力で治癒が進んでいくのです。

 

フローから見た体の構造

 フロー(流れ)が治療する。としたら、それはどのように働くのでしょうか?まず、ざっと大まかに見ますと、体の中心軸にはフローがあります。そして、腕や脚、指など全ての中心軸にはフローがあります。これが、歪みや傷など、あるいは麻酔や感情的な汚濁のために滞ったり、乾燥したり、澱んだりするとき、フローが途切れたり止まっていたりします。このフローを回復させることが、人体のもっとも基礎的なアプローチです。

 

体は(意識は)段階的にシフトしていく

 フローが回復していく段階で、体は段階的にシフトしていきます。大まかにいいますと、体の中心軸、そして、カラダの下から頭頂に向かって段階的に整っていきます。とくに、ヨガなどでいうチャクラという観点を借りてきた時に説明すると、ベースチャクラ〜仙骨〜太陽神経叢ー横隔膜ーハート〜喉〜眉間〜頭頂、という順に整っていく方向になります。それが施術において段階的に起こるシフトです。頭頂まで整ってきた時、体の全体としてのあり方、意識と心のあり方も、段階的にシフトしてきたことでしょう。

 この段階的なシフトにおいて、大きく人としてのあり方がシフトしていくときがあります。それが、太陽神経叢→ハートへのシフトです。自己を満たし、やりたいことや感情、認められること(太陽神経叢)から、他者のために、奉仕、謙虚さ、、何かそれまでとは違った世界の見え方、満たされ方が変わり、、この世界との関係性が変わる時期がきます。

 

 

〜つづく〜