感情の扱い方について

もっとも多くの方が興味を持っていて、しかも、扱い方を間違えているモノではないでしょうか?いくつかのテーマについて書いてみようと思います。


感情の体

カラダの地図」のページで少し説明しましたが、日常レベルの知覚状態で感知する”普通の”体がありますが、さらに繊細な知覚状態で感知するもっと繊細なエネルギー的な(※)カラダがあります。(※エネルギーワークでいうところの”エネルギー”ではない。「カラダの地図」ページの「エネルギーという言葉」を参照ください。)それにはいくつかの段階があるのですが、感情に対応するカラダというものがあります。

 現代人はこの領域に最も多くの病変があるといわれます。この領域がクリアに綺麗になってくると、感情的にも軽やかになってきます。

 

感情は人を引きつける!

 感情は、人を強烈に惹きつけます。どうしたって、気になる(!)でしょう?

 これは厄介なところで、注意が必要です。ここに関わるためには、前提とする”あり方”のようなものがあるのですが、知らずに関わりを持つと、結構大変です。 

 

エネルギーの奪い合い

 吸った吸われたの関係性である感情の領域、この領域で人とやり取りをすると、エネルギーの奪い合いをしているというのが、感情の一つの特性です。人を惹きつけ、吸い取る、、枯渇したら、、吸いにいく、、吸われる人と吸う人のパワーバランスでこの社会は成り立ってますね。たとえば、怒る、とか、悲しむ、あるいは、自分の苦しみを訴える、とか。その対象からエネルギーを吸い取る、吸い取られる。吸い取られる役回りのひとは、吸い取る人のターゲットにされている。そして、それはこの社会の地位的なパワーバランスの中で成り立っていたりして、権威や立場や正しい/間違っている、などで、吸い取ったりします。使えない人とか、できない人、のような立場にしておいて、吸い取る。などなど。社会不適合者とか、あなたが悪い、などと思わせて、、などなど。興味を引きつけておいて、吸い取る。感情へのアプローチですね。世の経済活動の多くはここでやり取りされてますね。そうではない、やりとり、というのがあります。それは、のちほど。

 

感情に距離はない

 この吸った吸われた、の感情の領域には距離がありません。ずーっと、そのことが頭をめぐり、離れない。どうしても考え続けてしまう、怒り、恨み、あるいは、こうなってほしいという願い(欲望)、、疲弊しているのに、離れられない。感情とはそういった、時間と距離のない、しかも、吸い込み続けようとする、特性があります。

 

感情にポジティブ/デガティブの差はない

感情、そこにポジティブ/デガティブの差はありません。エネルギー的に見ればどちらも密度の濃いものです。恩を感じるとか、思いに応える、とか、良くなってほしい(!)とか、それらも独特のエネルギーを持った密度の濃いもので、直に対応してしまうとごっそりエネルギーもっていかれたり、なにか質感がうつってしまったりします。そのレベルではとても相手にはできません。その時は自分のありようが大切です。

 

自分の感情の傷と反応する

 感情の領域、このエネルギーのカラダには現代人は傷が多いと言います。それは、過去の物理的、感情的な衝撃によるものだったり、あるいは、麻酔などの薬の影響だったり、環境の毒素の影響だったり。。本来は透明でサラサラな液体なのが、よどんだり、歪んだり、乾燥したり、ドロドロしたり、、さまざまに影響を抱えていたりします。それを、解消できていくと、ベースとなる感情の反応に振り回されなくなります。

 相手の感情が、自分の中の病変や傷と反応する。というのは、皆さんも経験していると思います。感情の密度に焦点を合わせてしまうと、反応が起きてしまったり、移ってきたり、、そこを通して相手からエネルギーを吸われたりします。

 ちょっと油断していると、ごっそり持って行かれたり。人と会ったり、街に出て、そのあとぐっと疲れてしまう。ちょっとした相手の一言、それで、ごそっと、持っていく、なんてことはよくありますよね。

 

感情は、執着。

 感情は、執着。自分が生き延びるために過去に作った生存のためのパターンだったりします。これは変容のプロセスで太陽神経叢からハートへ移行していくときに、ずーっとテーマになってくるかもしれませんが、それ(感情)で、自分を保ってきた方策、この世に対して自分を守っていたり、居場所を確保するために使ってきたこと、そのひっかかるための”何か”を、その感情の領域に持って(無意識のうちに)生き延びてきた。それに気がつくかもしれません。それが、手放せるか、、?

 

手放すということ

 世に一般に言われることとして、”手放す”、、というワードが溢れてますが、それって、できますか?まあ、そんな簡単にはいきませんよね。何が必要か、それには、大前提となる、自己のあり方のようなものがシフトしていく、体の変容が必要だと個人的には思っています。そのための、リソース(十分な資源)というか、サポートがないと、そんな”手放す”なんてことできそうにありません。なぜなら、それで生き延びてきたからです。それを手放す、離れるためには、それなしで生きていくことが、できるように何かシフトが起こっていなければなりません、と思ってます。

 

大鳳神経叢からハートへのシフト

 その手放せるための状態というのは、「カラダの地図」ページに少し書きましたように、太陽神経叢からハートへの体の変容、自己のために生きるという時代から、他者への奉仕、地球に立つ人、というエネルギーの変換が起こる時にあるように思います。(もちろん、いつもいつも完全に、というわけには生きませんが、だんだんとわかってくる。)

 太陽神経叢(チャクラ)とは、有限のエネルギー、自分のために他者からエネルギーを吸い取ってくる、とか、感情と関わりのある領域だといわれます。そして、ハート(チャクラ)は、無限のエネルギー、周りへ放射していく、他者への奉仕、謙虚さ、慈愛。

 この二つのエネルギーは大きな差があって、太陽神経叢はもっと密度の濃い感じ、ハートはより透明です。たとえば、愛、というワードを取っても太陽神経叢の愛情、と、ハートの愛は全く別のものです。

 他者への奉仕、がなぜいいのか?わからない、、というのは太陽神経叢のレベルで捉えようとしているからだと思います。太陽神経叢の愛情や自己の満たし方と、ハートの満たされ方は全く違う質感とエネルギーです。他者への奉仕、謙虚さ、のようなものが、より違う次元で満たされるという感覚を体験するようになる時がきたら、わかるようになるのでしょう。(わたしも行ったり来たりしてますが、すこしずつ。明らかになってきます。)

 

感情の渦から抜け出す

 それがわかってきて、自身の中に何か光がともり透明なエネルギーと繋がりができてくると、自然と感情との関わりや生き方も変わってきます。が、ときには、思いっきり吸われたり、感情の渦に巻き込まれたり、なんかもう、生きる気が無くなってしまったりというときもあります。

 そういうときは、それなりに苦しみの渦に翻弄されたりしますが、だんだんそこからの抜け出し方やどうなっているかにも気づくようになってきます。自身の感情の傷と反応して、どうしても絶対に手放せなかったことに直面する時期が来てたり、、で、その渦中で気がつくのは、だいたい、自分のために生きようとすることと、それではなく、他者のため、、というと誤解があると思いますので、言い直すと、、地球のこの大自然界の調和と循環のなかに参加して、自分もその循環に奉仕する、ということを見失っていたということ。あまりに、その感情が刺激されていたあまりに。

 そこから離れる。その離れ方とは?ハートの透明な繊細なエネルギーに再びシンクロすること。具体的には、この身体感覚で繊細なエネルギーを感知し、そこにいること。すると、シフトが起こる。ほんとに、こんな単純なことで、つながりを再び取り戻せる、という体験をなんどもしています。ただ、そこに感情に引っ張られる、手放せない、という時期はなかなかそうはいきませんが、、その感情の渦にフォーカスするのではなく、ただ、ハートの体の部分に焦点を合わせて知覚している、、ただそれだけで、シフトは起こります。たぶん、ハートにアクセスするためには体の変容がまず起きていることが必要だとは思いますが。

 

変容の過程での、感情の反応

 体の変容が起こる時、、ときには感情が舞い上がることがあります。過去の傷が解消され、解消とともの解放が起こり放出されていく。その解放の起こり方はさまざまで、時には熱として放出されたり、涙とか、ときには笑いとか、、そして時には感情として出ていく。そのとき、それは不純物で異物が出ていくという現象ですので、その放出されていく、、やがて過ぎ去り消えていくもの、というただのプロセスをたどるということ。その過ぎゆくものを掴みに行ったり、分析したり、思いを理解しようとかは、しないことです。掴みにいくと、せっかく出て行こうとしているものを取り戻してしまいます。ただ過ぎゆくもの、、その過程で学びやプロセスすることはあると思いますが。

 

ハートで変容する

 そのプロセスを通過する時、大切なことは感情にフォーカスしないということです。感情は舞い上がり、、やがて過ぎ去っていく。その過程での居場所は、ハートです。ただハートの透明なところにいる。その感覚にいること。すると、いつかその混沌はハートで変容が起こり、次の段階にシフトしていく。

 

ハートというワード

 ※ここまで”ハート”というワードを使いましたが、先入観などで誤解があってはいけませんので簡単に説明しますが、それは、感情ではなくハートチャクラ、繊細で透明なエネルギーのことで、身体感覚で感知することです。

 ハートというと、あったかいとかやさしいとか、そう行った先入観があるかもしれませんが、ハートは透明なエネルギー、、時には冷たいと感じたり冷静とか大事にされていないとか感じられたりすることもあるでしょう。何かに引き寄せられたり執着されたりするようなエネルギーではないです。

 

ハートのありよう

 感情は難しく、知らずに対応してしまうと大変だといいました。感情のレベルで感情に対応はできません。ハートのレベルであることです。では、ハートのありようとはどんなものでしょうか?

 感情のレベル、太陽神経叢というのは、ひとたいひと、個人のレベルです。ひとたいひと、吸った吸われたの関係性で世の中の多くは回っていますね。ここでは、とても個人は太刀打ちできません。

 ハートのレベルとは、、いろんな側面があると思いますが、ひとつは個人ではなく、大きなつながりの中で生かされているという感覚、ネイティブアメリカンの世界の、地球とつながり創造主に生かされ、世界のスピリットと関わり、全てのつながりの中で生かされ循環の中で生きているという感覚、そういったものかもしれません。ハートのエネルギーは、天と地につながり循環している。

 そのつながりのなかで、感情に対応する、あるいは、素通りして、、。でも感情への対応は難しく、、。ただ、吸った吸われた、、状態の時、自分のために生きるのか、他者への奉仕に生きるのか、その選択には大きな力があるように思います。だからボディワークやってますし、それが自分にとってもとても助けになっています。

 たまにあっ、しまった!ごっそり持って行かれた〜、ということもありますが、だんだんわかってきますし、少しずつでも進んでいくつもりです。ボディワークに出会ってよかった、オステオパシーのバイオダイナミクスに出会ってよかった、と思ってます。

 

 

 

 

 

〜つづく〜