最近、ちょっと風向きが変わってきていることに気がつく。
そして、今朝はふと
何かが終わった、通り抜けた、
世間というかそういうものが、トンネルを抜けて出たような
そんな雰囲気を空気に感じた。
ワタシの場合、
ちょっと前の自分の
文章とかメールとか見てみると、
気持ち悪っ!ってなる。
ワタシ自身ずいぶん
変わってきたのでしょう。
なんだか風向きが?いや、いる場所が?
変わってきている。変わってしまった、って感じ。
なんとなく、ロルフィングやオステオパシーの
ボディワークの活動も
雰囲気が変わってきている。
やってきたこと、
やろうとしていること、対象としていること
興味を持っていたこと、生きることやらうんぬんカンヌン、
その視点や立ち位置のようなものが
全然違う次元にシフトしている。
もう、苦労して、とか、想いが!みたいなところの興味はまったくない。
そういうことではない、全然違うところに、抜けた。
(いや〜、チベット行きたいわ〜。今日チベタンのお坊さんに会ってん。僕の属する世界や〜、日本はちゃうわ〜。)
なんだかクライアントさんの
客層というみたいなものも
変わりつつあるような気がする。
一旦無風地帯を通り抜けることになるのかもしれないな。
そんな、、変化。
ちょっと
チベット行ってこよかな。
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感情の世界から、
植物、、自然界〜超自然界へ。
怨嗟と混沌から、怨念と願望と達成のエゴから、力を行使する存在から、、
そこを抜けた先にある、
光、意味のない世界、自然、神、、。
ひとって変わるものです。
自分のことをぐじゃーっとぐるぐるーっと
執着なんとかしよう、なんとか自分の願望を、自分の願いを、自分の幸せを求めている時と
そこを通り抜けた時
(それは、まなび、ひとそれぞれの道がある。わたしの場合はオステオパシーのバイオダイナミクスとバイオエナジェティックだった。他にも真髄が同じだと思うワークはある。いっぽうで、まねごと、パクリ、概念だけで実践がない、実体験と現実がない(説明だけは似ているが、本当にはそこに繋がっていない。)ワークは山ほどあり、それらは一般の人、まだ通り抜ける前の人を、たくさんワシヅカミにしている。この世の幻想。そこにはまり込む大人たち。子供をみよ。幼い子たちは神様の世界に住んでいる。天使たちと友達のこどもたち。)
そこを去る、
出会う人が変わる。
さようなら。
(いや、なんとなく。別にしばらく東京いる予定です〜。。)