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防波堤

あ〜、もったいない。。

 

 

 

ただしこの道路は防潮のために城壁のような構造物になっていて、左側が海ながら、渚というものは封殺されてしまっていた。

私がかねて話できいていたこの有家付近の浜はこうではなかった。弓なり形のうつくしい長汀が遠浅の有明海を白く縁どっていて、水際で砂をすくうと、アサリが砂ほどの数でとれたといわれる。昭和四十年代のはじめごろまでそうであった。

 

-晩年は島原半島の有家あたりで住もうかな。

 

と、本気でおもった。

 

山から流れてくる細流が、海とのさかいで海水にまじり、生物が育つのに適当な条件をつくっている。アサリが多いのもそれであり、アオサとよばれる青海苔もふんだんにとれた。この水を好んでタコの稚魚も無数に泳いでいるといったぐあいで、浜にさえゆけば朝夕のおかずがらくらくととれた。縄文時代からつづいている人の暮らしの基本的なものは浜が提供してくれたのである。

 

ただし、何年かに一度は海岸ぞいの家々の床を潮が浸してしまうということがあるが、それでもひとびとは渚ちかくに住むという古代的形態をすてなかった。

 

が、いまは何年かに一度の潮の来襲をふせぐというただ一つの目的のえきために、他の多くの益をすててしまった。

 

うみぎわ防潮堤兼道路の左手は海であるとはいえ、多少の海際はある。そこはろくに潮も流れないために永年の廃棄物が腐敗し、くろぐろとした泥のようなものになっている。むろん、アサリもおらねば、タコの稚魚も泳いでいない。

 

このあたりは、有家から西有家へ、次いで北有馬から南有馬へといったように、順次、有ということばのつく地名がある。さきに通った海は、有明である。

 

「あり」

 

というのは、記紀や万葉の語感では「ずっと居つづけている」という意味がこめられているように思える。夜が明けても月が空に居つづけるためにありあけであり、また『万葉集』第八十七の「ありつつも君をばなび待たむ打ち靡くわが黒髪に霜の置くまでに」(このままで君を待とう、わが黒髪に霜が置くまでも)に使われている「あり」も、単に存在するという意味以上に、「常に」「このまま」という持続の力がこめられていことだまる。有家や有馬の有は、言霊として持続への祈りをふくんだ地名のようにおもわれる。

 

 

 

あ〜、ひととして

生きられたなら

 

 

 

。。