スピリチュアルって?
バイオエナジェティック・オステオパシーはスピリチュアルな『サイエンス』と言えるかもしれません。スピ系ではなく、自然界を真摯に観察した末に、眼には直接見えない自然界の摂理に従うことを、知った人のことです。
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春になったら花が咲くことを、水が高いところから低いところへ流れることを。自然界の摂理に従った時に調和が生まれ、自然と(、、施術者がコントロールするのではなく、)体に備わる生命の力が働き始めること、そして、私たちの本来の姿、治癒の力、が現れ働き始める。内側にある、、完全であることを知る。ワタシ(我、エゴ)がやるのではなく、内側にある生命の真実に従うこと。バイオエナジェティック・オステオパシーで(72時間以内に施術したとき)切断された指がくっついたのは、施術者やパワーによるものではなく、体に備わる治癒力が働いた結果です。治癒力が働くのは、自然の摂理に完全に従ったときです。
スピ系とスピリチュアルは別ですよね。😃
スピリチュアルとは、チカラを欲したりやりたいようにやる不思議なチカラを持つことではありません。謙虚であること、自分は何もできないことを受け入れ、ただ自然の摂理に従うことを学んだ人のことです。
見えない世界ってあるのかしら?
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2023年の10月くらい、イギリスのグラストンベリーにあるとある小さな小さな教会へ。敷地に一歩入るなりぶわーっと、下から上に?あるいは上から下に?流れるような感覚が。ボクは何か見えるとか不思議な力があるとかという経験はないのですが、このときだけ、その場のエネルギー??を肌感覚で物理的な知覚として感覚してました。自分の何に関係するのだろう?前世とかあったならそんなもんなのかしら??🤔そこではもうインドに旅立つ時間だったのでもう時間がない!急いで自作のフラワーエッセンスのような感じで場のエネルギーを転写するような(つもりで)エッセンスを作ってきました。(感覚の鋭い人にみてもらうと、ちゃんとできているようです。😑)本当はそこでゆっくり時間をかけて過ごすとよかったのかしら、また行きたい。
見えない世界はあるのかしら?
天使とかいたりして?でも、そんなん知らん。わからんので。しかし、ひとは物理的な肉体以上の存在であることは、確かです。肉体に触れると、肉体を感じられるでしょう。そして、肉体を通り抜けて広がる液的なフィールドがある。それは、2〜3回/1分のレートを持っている、触れて知覚できる物理的な呼吸のような動き。そして、さらに広くて薄い密度のフィールドがある。それは1回/100秒のレートを持っている。こちらも触れて物理的に知覚できる呼吸のようなサイクルの動き。そして、その先に、密度のない、、無・空の世界がある。そのように、わたしたちは同時に異なるレイヤーの世界を生きていて、その存在を内包している。根源は、レートのない世界、生命の世界にある。我々の本質、我々を生かす力。それが、バイオエナジェティック・オステオパシーの知覚している世界。スピ系と違うのは、想像やイメージは使わず、物理的な五感を通した知覚のできるリアルな世界であること。※スピリチュアルなものでも、すごい良いものもあると思います、が、判断難しいので、ご注意を。。
ここに不定愁訴が治っちゃう、理由がある。
医者に行っても治らない、何が原因かもわからない。ただ、自律神経失調、、。とだけ。物理的な体しかみないのなら、わからない世界。たとえば、そもそも、物理的な肉体と液的なフィールドが何らかの衝撃や感情的であれ物理的であれあるいはワクチンなどの介入や人間の意図的な介入などで中心軸からズレていたら、そりゃうまく生命の働きは機能しない。それが、中心軸に戻ってきて、それぞれの呼吸が調和し出した時、体の機能は働きだす。閉ざされていた自己治癒力、自己調整能力が動きだす。そして、治癒が起こる。調和が起こる、そのとき、思いもしなかったことまで、変容していく。ラクになる、それが、本来の姿、誰にも何もいらんことされていない、何の意図もエゴも介入しないもともとのまっさらな姿。自然な姿。それが、バイオエナジェティック・オステオパシーを使ったロルフィングの目指すところです。
でも、スピリチュアルは好きだけど、スピ系はやっぱりちょっとニガテ。😑そのワケは、、。
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このあいだ、スピ系でこのひといいかも?と思うひとの1dayの講座にでてみたんです。(スピ系の講座は数年ぶり。)やっぱり違うな〜、そのひとはいいのですけど、なんかちがうわ〜。とモヤモヤ。と、一方で、すごい惹かれる。それもヘン。
その人のワークはけっこう太陽神経叢をよく使っていた、ハート(チャクラ)ではなく。太陽神経叢を使うのは危ないので、うーん、というのはあったんだけど、その時はとくに悪いとも思わずワークをやったりもしました。あとはシンボルのイメージを使うワークも。バイオエナジェティックの世界では、イメージによるワークはまあまあ高次のレベルを使えはするけれど、ソース(源)の次元から見ると随分低次です。なのでバイオエナジェティックでは決してイメージは使わない。でも、そのワークも悪くなく、よかった。
次の日、すごい調子良いし、何か今までずーっとあった体の違和感が消えてたりして、すげー、と思ったり。で、すごい惹かれていたんだけど。なーんか、おかしい。おかしいわけではないんだけど、なんかモヤモヤ。
で、なんやろな〜、と考えてたんです。で、昨日は久しぶりに高尾山に登ってきたりしながら。(むちゃ人多かった。平日やのに。)ボクはバイオエナジェティック・オステオパシーの世界観があるから、そこから眺めて見てたんです。なにが、変なんだろう?
まず、何度も参加しているであろう参加者の方たちの、質問が。やっぱり自分ジブンジブンなんですね、ハートの領域にシフトしない。エゴのところが増大していっている。なんでやろう?その主催の方はそんなふうに感じないんだけれど?それを通過してハートにそのうち辿り着く、という考え方なのかしら?
あとは、ワークもお話も全体を通して、スティルネス(静寂)の性質にならない。なんやろね、天使やマスターを呼んでワークするみたいな感じだったけど、、うーん、その領域ではなかったような。ずーっと太陽神経叢、感情のレベル、、。イメージワーク、、。本当に高次の存在とワークだったのかしら?謎。
何が違うんだろう?と、昨日高尾山行ってきて、なんだかんだと過ごしていて、、”祈る”というワードに至ったのですが、お願い事ではなく、ただ、手を合わせる、ということ。ただ手を合わせる、というのと、アセンションするための(らしい)自分を変えていくワークとの違い。それなんやな〜、と思った。
やっぱり、”変えよう”よくなろう、良いものに作り変えよう、チカラを使って、というのが、ぜんぜん嫌なんやとおもった。
スティルネスにならん。
すごい惹かれたのも、たぶん、太陽神経叢(エゴ)を使ったからだろう。
手放して、自由になろう。スティルネスに触れよう。
神社にある静けさとか、山や空や海の背景にある静けさ。日本人はすっと手をあわせるような、なにか。
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自然界には秩序がある。春になったら花を咲かせるナニカ。水が流れていく。導く何か。お天道様が見ている、と昔の人は手を合わせていた。自然界の背景にはそれを司るナニカがある。八百万の神、と昔の日本人は手を合わせてきた。
一方、人間のエゴ(我)は近代に入り自然界から離れてきた。人間の意図が、自然界を破壊する。みなさんご存知の通り、そこから苦しみがやってくる。
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必ずしも悪意がなく、ただ良くしようという意図、役に立てようという意図でも、それが、自然界の秩序から外れている時、必ず混沌が生まれる。たとえその場は良くても、いつか矛盾が出てくる。キーとなるのは自然界の秩序。それに沿い、それに従う。完全に従う。
自然界の秩序に従う。我を捨てること、意図を捨てること。正しい意図の使い方がある。
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一方、わたしがスピリチュアルは好きだけど、スピ系がニガテなのは、、エゴ(我)が増大していくから。ただ手を合わせるのではなく、自分のチカラを増大させていこうとするから。
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ただ自然界に手を合わせる、八百万の神に手を合わせる。というのは、何もこちらからの働きかけやこうなれという意図はない。(しかし、ご利益をもらうためとか願い事をするため、となるとそれはおかしなスピ系と一緒。)ただ、手を合わせる、、すると、自分が綺麗になっていく。自然と整いシャンとする。(何かを変えようとか、思い通りになるように、というのとは逆。)わたしはバイオエナジェティック・オステオパシーの世界観を持っているのでそこから説明すると、、。我々は、すべての次元を同時に生きている。つまり、肉体のレベル、感情(液体的な体)のレベル、思考(気体的な体)、そして、Dスティルネス(静けさ、空、無)のレベル。(※自然界の秩序や八百万の神の世界はDスティルネスのレベルに相当する。)つまり、我々の内には神性(Dスティルネス)が、ある。それはつまり、手を合わせている対象の山や星や太陽や月、八百万の神と同じものが、我々の内に存在しているということ。もちろん、エゴの部分である肉体、感情、思考の部分もある。それらすべての次元を同時に生きている。
なぜ、病変に影響されるのか?なぜ、苦しみに巻き込まれるのか?それは、エゴの領域、特に感情の領域に波長が合ってしまって、そこの病変のエネルギーに巻き込まれるから。そして、そこには時間と距離もないし、外界から変なのも入ってくる場所。そこからは、治癒も、癒しも、生命力も発動できない。
Dスティルネスのレベルにしか治癒も生命力もないので、Dスティルネスに入るしかない。しかし、Dスティルネスはエゴの範囲の外側、神性の領域、そこでは、人間の意図が使えない。意図が使えないとは、要求や欲求は使えない、それがあると神性の領域には入れないのです。だから、意図を捨てる。私には何もできない、というところなのです。正しい意図の使い方は、人間の意図で何かを変えようとか、治そうとか、良くしようとか、助けようとか、一切しないこと。ただ、Dスティルネスを見つけ、それに気がつく、という意図の使い方。
ここで、ひとつこの自然界のルールを紹介しましょう。意図を向けたもの、注意をむけたものに人は影響されます。感情に注意を向けると、その感情のレート(リズム)にシンクロしてしまいます。だから、しんどくなる。(そこに良い悪いの意味づけは無意味で、良いというものでもそのリズムにシンクロする、、良い悪いは振り子、急に反転します。)注意を向けたものに、シンクロしていく。Dスティルネスを見つけ、それに注意を置いていると、、やがてスティルネスに染まっていくように神性の領域に入ります。何かを変えようとするのではなく、自分がスティルネスによって変えられる。神性を見つけることによって、神性に変えられる。神性を見つけることによって、自分の神聖の領域が現れてくる。
八百万の神に手を合わせるのは、願いごとを叶えてもらうためではなく、ただ自分の内側に満ちている神聖の領域に入り、それが満ちて広がっていく、、どこまで広がっていくのか?自分の中心軸から世界に放射していくように。それが、癒す力も病変を解消するエネルギーも持っていますので、感情の領域のモヤモヤも消えていく。祓いと清め。それは、ただ浄化するだけではなく、病変を解消し光に変えていくことでもあります。わたしにとって、バイオエナジェティック・オステオパシーも神道の世界観も非常に近い。祓えと清め。
自然界の秩序のままに、自由に飛び立たせてあげよう。そのとき、ワタシも自由になる。
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手放し自由になる。そこにこうなれという意図は介入できない。
ただ、自然界の秩序に従う。そのとき、思ってもみなかったことまで変容していく。それが、全体性。全てに波及していく。奇跡だって起こる。ほんとに起こるよ。😃
手放すこと。霊性の進化。
バイオエナジェティック・オステオパシーの施術で、人は進化します(と思います。)それは、誰か別の人になるのではなく、今まで保持していた自分のパターン(執着)が消えたとき、もうこだわるものがなく、そのことは、消えた。
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自分のフィールド(肉体、感情の体、思考の体、)にある傷、歪みはエネルギーを保持しています。それは、もともとあった自分のエネルギーではなく、外部から入り込んできた(衝撃として。物理的であれ感情的であれ。)エネルギーでした、それが、パターンを作り執着を作りあなたをそれにはめてきた。
病変(歪み、傷)が解消し消えるとき、外部から入ってきて保持されていたエネルギーは外部に帰っていきます。そのとき、(同時に、学びがあることでしょう、)次の段階への進化、つまり、あなたの奥底に隠れていた生命力、純粋さ、で満ちてきます。エネルギーの振動数は変わります。より精妙に。霊性の進化が起こります。(ような気がする。。)
関西での日々、出張施術、講座、神社巡り、などなど、から帰ってきて、
ボクはもう、知らない人になってしまった。😃
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別のひとに、さっきまでとは違うニンゲンに、
なってしまった?
今日関西から東京に帰ってきて、
施術して、帰宅した。
なんか全然違う。
ふーん、こういうことか。
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たぶん、
あの植物で、わたしのなかのエネルギーは、解消され、変容した。
(ホメオパシー考察?)
※ホメオパシーにもいろんな考え方やアプローチ、流派があるようで、全然違うモノもあるみたいです。
二日間のホメオパシーの講座に出てみて、一日目の終わる頃にもらったレメディーを摂ってみた。反応とプロセス、「あ、ほんまやー」と思いました。
それまでは、ちゃんとホメオパシー摂ったこともなく、効果や恩恵の経験もなかったので、ほぼ初めて。
プロセスの波はひと段落したのは一時間後くらいだったかな。その後ニ日間は、講座や施術やよく眠れなかったりで疲れたー、と思ってましたが、どうやらまだプロセスの続きだったのか、今朝からむっちゃスッキリしてます。
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初日のホメオパシーの印象では、文字通り捉えれば、症状を取ることを目的にしてる感じ。病気の人から全ての症状を取り去れば、健康になる。
そういうアプローチ、表面的にみれば、その説明だけでは、ウチがやってるバイオエナジェティック・オステオパシーの世界観とは違って、浅すぎる?
バイオエナジェティック・オステオパシーでは、症状を何とかしようとはせず、その原因に到達し、解消する。すると症状(のエネルギー)はカラダのシステムから"排出"され、消えていく。症状を取り去ることにフォーカスしていたら、原因は残るので、解消しない。
と、ここでホメオパシーの方針とは矛盾してしまった??
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と、二日目の講座、朝のおさらいの時間。あるワードが光る!
病気≠病人。『病の表現方法』、それは肉体、感情、精神に現れる、みたいな感じ。
病の表現方法?では、症状として表現しているモノが、背景にある。
見えている表層の表れとしての症状たち、それを表現している何かがもっと深いレイヤー(層)にある。
それはナニ?
バイオエナジェティック・オステオパシーでは、表層の症状たち(肉体、感情、精神)のその原因へと辿っていく、深いレイヤーへ、そして、それらを表現している原因のあるレイヤーへと辿り着く。
そこに美がある。生命力の源に接するフォルクラム(点)がある。それが、原因。
原因とは、問題でも混沌でもなく、生命力そのものの分霊である。
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ホメオパシーでは?症状を支えているモノは、ナニ?
前日に摂ったレメディー、そのとき摂ったのはある植物。毒あります。
人間の考えるイメージ、印象は、暗く、霧のような、そして呪っている。ジメジメした感情。ドロドロドロ。。
でも、そのことに対して効く、解消するチカラを持っている。
まあまあの言われようやね。😑
その症状を表現しているその背景には、そのレメディー(ここではその植物)のエネルギーがある。
それはつまり
このワタシというシステムにいくつかの症状として表現し、実はその奥深くでずーっと今までワタシを支え続けてきてくれていた、ある植物がいた。ということ。
それはバイオエナジェティック・オステオパシーでいうところの原因(美、生命力)の性質。
症状から原因に到達する。内側から解消が起こり、症状とともに排出されていく。
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レメディーの植物の様子や印象は、重要みたいなのだけど、それは人間のイメージ。ただそこでとどまってはいられない。イメージや思考は、結構次元(レイヤー)の粗いまだまだ表層のレイヤー。
たぶん、ホメオパシーをすごい人生とともに歩くように使っているようなホメオパスは、そこでとどまっておらず、植物や鉱物などのそのレメディーの存在の感情的思考的レイヤーのその先の、密度のなくなる、存在の根源に接するところまで知覚して使っていくのでしょう。
このレメディーは、こういうものという感情や思考の先にある知覚。Divine のレイヤーまで行くのでしょう。きっと。😃
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なんでそういうこと言うかというと、ひとつにはそのモノの本当の存在は頭や感情ではとらえらない、その外側にあるのですね。バイオエナジェティック・オステオパシーでは、だからエゴが使えない。ワタシのエゴ(思考や感情)ではコントロールのできないわからないところにあるモノ。
だから、イメージや想像は使えない。物理的な身体感覚で捉えるしかない。しかし、見えない世界、わからない世界にあるモノ。。
五感を通して五感では捉えられないモノを捉えるのが、バイオエナジェティック・オステオパシー。🙂
。。
レメディーの植物、感情や思考のレイヤーを超え、イメージや知識を超え、密度のないところにまで到達する。そこに原因として、美として、その植物がいる。
知らんけど。
**
地球上に『全ての病に対応するレメディーがある。』
われわれは地球で生まれ、そのカラダの材料は地球からもらって(借りてる)いる。
全て、この地球にある全ての存在のエネルギーを内側に持っている。
ということは、全ての病(のもと)を私たちは既に持っている?
それが表現されるとき、病気になる。そして、それを、治すレメディー、つまりその病の原因と同じエネルギーを持つ植物や鉱物など、が必ずある。
では、なぜ、あるとき病として表現されるのか?病気になるのか?それを治すとは、いったいどういうことなのか?
病になるとは、どう言う意味があるのでしょうか?
分らんよね〜。😑
マニアックですなー。二日間終えての講座の体験でしたわ。(たぶん、考え方はまた変わって行くと思うけど。)