カラダと心について
わたしのロルフィングに来られる方は、姿勢や体の不調だけではなく、心や精神、スピリット、ご自身の生き方のようなものに興味をもって受けに来られる方が多いようです。ロルフィング自体がそのようなものなのだからかもしれません。なんでこの世にやってきてなんでこの世で生きているのか?生きて行くのか?行けるのか?
わたしはそこで立ち止まり、、身動きできなくなり、、そこから出発したのかもしれません。そして、、いろいろやって行くうちに、
初めは行き止まり、、そこから唯一の出口から脱出し、彷徨い歩き、いろいろやっていくうちに、だんだんわかってきたことがあります。それを、ロルフィングやオステオパシーのバイオダイナミクスとして、シェアしています。ここでも文字で少しお話ししてみましょう。(※文字では誤解がつきものだということを了解してください。ご縁のある方はセッションでお会いしましょう。)
感情を表現すること、爆発させること、解放すること。。自由になれるハズ。これは、間違いでした。巷にはそんなワークが溢れてますし、書籍や情報や、一般に流れてくることは、そういった感情の浄化、みたいなことや、感情の解放、のようなこと。それは、うまくはいきません。絶対条件があり、それを欠いた施術やワークは却ってあなたをキズつけます。
↓ つづきを見る
トラウマワークでトラウマの追加をし、却って悪くなる、なんてことが、よくあります。この解放のワークでよくみられるのは、そのときはとても良い感じがする、そのときは解放されたり自由になった感じがする、という傾向です。それは、体に、システムに統合されず、崩壊したり、オーバーヒートしていたりします。長い目で見て、、静かに落ち着いて、、周りに対処し自分としてこの世界にいられるようになって行くのか?統合とは、そのように自分のシステムが健康になっていくことです。トラウマの解放ができるのは、その絶対条件とは”統合”されることにあります。
ちょっと脱線しますが、、わたしの経験を少しシェアしましょう。わたしもむかーしは、そういった解放系のワークを受けたり、これが解放だ〜!と思っていたりした時期がありました。
↓ つづきを見る
そこでは、、部屋の中で叫び続けたり、座布団なんかを殴り続けたり、、時には吐きながら、泣きながら、、限界までやって、、そして、、突然そこには、、自由な空間があった。みたいなことです。そこでは、ちょっと感覚が違う世界で、ぼーっとしながらクリアなような、自分は完全なような、、。これは大袈裟な例かもしれませんが、こういったことは一番やってはいけないこと。これではシステムは崩壊します。大きくふたつ、ここでその理由を説明してみます。
まず一つ目の説明は、神経系からみたトラウマの現実についてです。これは、心理系のトラウマワーク『ソマティックエクスペリエンス』の世界から見た、科学的なお話しです。『トラウマワーク』ページにもっといろいろ書いてますので、ここでは簡単に。
↓ つづきを見る
神経系は、主に3つに分類されます。交感神経と副交感神経があることはよく知られていますが、副交感神経には進化の過程によりさらに二つに分類できます。背側迷走神経と、腹側迷走神経です。この3つの神経系(交感神経、背側迷走神経、腹側迷走神経)が、動物として生命の危機に直面した時に、生き残りをかけた活動を支配します。生き残りの戦略とは、「逃げる/戦う/死んだふり」の3つです。逃げる/戦うの戦略では、エネルギーを使い切りますので体には残りません。しかし、「死んだふり(フリーズ)」の戦略を取った時には、トラウマとしてエネルギーが体に残る可能性があります。死んだふりのメカニズムを簡単に説明すると、危機があり、、逃げる、、逃げる、、交感神経が超活性化、、→逃げきれない、、システムが諦め、、シャットダウン、気絶。
このとき、超活性化している交感神経のエネルギーを解放することなく、さらにその活動を抑え込むために背側迷走神経が超超活性化して、交感神経を押さえ込み、フリーズする。つまり、「超活性化の交感神経+超活性化の背側迷走神経」でシステムを無理矢理に押さえ込んでいるのです。この状態は、すごく焦って走って逃げている状態よりさらにすごいエネルギーで抑え込んでいますので、もー、めっちゃすごいエネルギーが未解放で体の中を巡っています。一見静かに固まっていますが。。アクセル全開+ブレーキ全開、、の状態で焼き切れそうなためシャットダウンしている。。
さて、野生動物は、死んだふりをして、、敵が死んだものは食べないので去って行った時、、現実に復活します。そのとき、何をするか?、、エネルギーの解放をします。涙を流したり、震えたり、、荒い呼吸をしたり、、手足をバタバタさせたり、、。そして、エネルギーを全て解放し切ってから、現実に戻ってきます。しかし、このエネルギーの開放に失敗した時、そのエネルギーは気がつかれないうちに、常に日常生活の背景で回り続けている。普通に生活しているようで、常に危機に直面し続け消耗し続けている状態で生きて行く。これがトラウマを抱えた状態です。では、トラウマを適正に解放する、とはどういうことか?、、。
トラウマの解放が適正にできるのは、2つの視点が必要です。ひとつは、体(神経系)を巡る未解放のエネルギーを解放すること。そして、もうひとつは、体がトラウマを抱えた状態から健全な状態に移行すること。。
「トラウマを抱えた状態」と「健全な状態」との違いはわかりますか?重荷を背負っていない状態とは、どういう状態でしょうか?それは、神経系の観点からみると、『外界の刺激に対して柔軟に対処できる体(神経系)』 という表現ができるでしょう。これは、つまり、、トラウマを抱えた状態=少しの刺激によって過度に過緊張が起きたり、一気にフリーズの状態になってしまう。そして、その高エネルギー状態から、脱活性化して、、日常の安心安全な状態の体になかなか戻ってくることができない、、つまり、安定して柔軟な健康な体(神経系)をもっていない、ということです。
健康な神経系(体)では、少しの刺激、外界の異変や違和感があったとき、どのような反応をするのか。バタン!と音がした、、やばい状態なら、(たとえば虎がいた!)めっちゃ活性化して緊張状態を高めて逃げ出す!、、そして、逃げ切って安全になったら、、徐々に日常の平安な状態の体(神経系)に自然と戻ってこられる。または、バタン!と音がした、、神経系は活性化するが、、コーヒー屋さんでオーダーしたコーヒーをカウンターに準備してる音だった。安全な状態、、なので、、活性化した神経系は通常の安心安全モードに自然と戻ってくる。一方、トラウマを抱えた状態だと、、バタン!と音がした、、一気に神経系は超活性化し、、緊張状態はめっちゃ高まる。あるいは、フリーズ状態になってボーッとしている。その状態からなかなか安心安全モードに帰ってこられず、、常にずっと緊張してたり、ボーッとしてしまっていたり。
そう、トラウマからの回復とは、この安心安全モードに帰ってこられる、、柔軟な神経系を取り戻すこと。哺乳類として、、安心安全な状態で社会活動ができるようになること。そのための、トラウマの解放は、、そこへ至るための一つの手段にすぎません。その手段は、、体からエネルギーを解放すること、、しかし、一気に解放すると、反動がきますので、より悪くなる。ダイエットと一緒。すこしずつ、すこしずつ、、気がついたら、ずいぶん大丈夫になっていた。そのように回復の過程をたどります。
この観点から見ると、大声を出したり、過去の出来事を思い出させたり、、それらの解放系のワークは、逆効果となります。なぜなら、、トラウマの状態とは、神経系の高活性化状態(交感神経の高活性化状態+それを無理やり押さえ込む背側迷走神経の高活性化状態)です。そこにさらに神経系を活性化状態にするようなワーク(昔を思い出させたり、叫んだり、なぐったり、、)は更なるトラウマを追加しています。自由な感じとか解放された感じがするのは、、神経系が限界を超えてシャットダウンした状態に入ってしまっているからです。
このように、『トラウマとは出来事そのものにあるのではなく、神経系(体)を巡り続けている未解放のエネルギーである。』というのが神経系の科学的な考え方です。このベースにあるのが、『ポリヴェーガル理論』です。
過度な負荷をかけたり、無理矢理な解放は、自分であるということの壁、自分と世界を分けるための殻を、吹き飛ばしてしまう。扉を破壊して吹き飛ばしてしまう。すると、どうなるか?自分というものが、社会の中で機能しなくなる。人はオープンに、解放して、開けばいいというものではない。ひつようなのは、状況によって、開いたり閉じたりすることができること。閉じることも大切な役割!なのです。
↓ つづきを見る
自分の居心地の悪い場所、危険を感じる場所では、閉じておくことが大切です。電車に乗って満員電車、、そんなところで開きっぱなしだと、、いろんなものを受けてしまう。閉じておくことが必要です。大丈夫なところ、自然の中、、本来の自分に戻る時には、開くことができる。周りと調和して、エネルギーの循環の中に帰ることができるように。両方ができるように、必要な壁を吹き飛ばさないように。
あと、そういいう解放ワークの場であるのは、、「腕を組んだり、足を組んだり、、そういう姿勢をとらないこと。コミュニケーションをとるために、開いておくためにも。腕や足でガードの姿勢をとらないこと。」と言われたりしたこともあります。姿勢は大切です。体の状態は、大切です。守る姿勢、防御の姿勢も大切です。大人が子供に怒る時、学校など、、目を見て話せとか、腕を組むな、とか、、いいますよねえ?それって、相手をマトにしたいからであって、その姿勢をとってしまうと、、言いたいことや怒りなどの感情をそのまま受け取らせることになる。。防御や間合いのない状態、相手はターゲット、にされている状態。そんな姿勢とらなくてもいいのです。見えないように、、拳をかためるなり、肩に力を入れるなり、、防御しましょう。体の正中線を相手に合わせず、すこーし、わからないようにでも、、ずらしておくのです。これで圧はかなり減らせます。相手の都合に乗ってしまわないでいいのです。
この話の流れで、、ちょっと言っておきましょうか。。対人、というときの人と人との関係性、、そこにある、エネルギーの流れ、、。それは、どこに立っているかで変わってきます。
人間の世界はどんな成り立ちをしているのでしょうか?私たちボディワーカーから見るとこんなふうに見えます。有限のエネルギーの奪い合い、吸った/吸われた、、の関係性。感情のやり取りの世界。
↓ つづきを見る
普通にあるのは、いいひととわるいひと、できる人とできない人、、認められる人と認める人、、普通の社会の関係性って、俯瞰してみるとどうなっているでしょうか?おかしなことーが、起きていますね。たとえば、、怒る人、怒られる人。これは、どちらが正義でどちらが悪、という関係性ではなくって、作られた正義と作られた悪、のような関係性。怒る人は、、怒られる人を、必要としている。そうやって、その場のフィールドを維持している。維持しているのは、エネルギーを吸い取られ、吸い取った側が立ち位置が高く偉いとされてたり、正しいとされている世界。
例えばそんな世界。吸い取る側の人は、その例えば会社から、吸い取られる人がいなくなっては困る、、やめさせない、やめられない。。やめることは、悪いこと、どこへいっても同じ、なんて言い方よくされます。でも、あるいみそれは事実でもあって、同じような関係性を、どこでも作られ、そこにハマって活動していくひとたち。怒る人は怒られる人がいなくなってしまったら、、またそのような同タイプのひとを補充して、またその世界を作り上げる。怒られる人は、怒る人のところにまた別のところでその関係性を作る。。ほかにも、同情を引く人、でそのフィールドをつくりあげていたり、、。恐ろしい世界ですねえ。でも、それが一般社会のなりたち、、それは、エネルギー的に見るとどうなっているのか?感情の世界、正しいと悪いの極性の世界、、そこにいる限り、そこから抜けられない。奪い奪われる世界、有限のエネルギーを奪い合う世界。
あらー。これはキツいですね。。
その感情の世界、有限の世界から、、離れると。それは、人間の作り上げた世界、理論や理屈や社会のルールなどが当て嵌められる以前の世界、自然界、、。そこには人間の都合など受け付けられない。大自然の中では、人間の理屈など持ち込めない、生きていくためには、そこにある本来の自然のルールがあります。ネイティブアメリカンはどのように世界を見ていたのか?生かされているということ。再びそこに立つことができるのか?リスクを取り、人間のルールの世界から離れること、、。ある種の人は、もうどうしようもなくなって、それを実行に移します。僕もその一人。あるとき、日本を捨てて旅に出るしかなくなりました。。それが、今のロルフィングやオステオパシーのバイオダイナミクスに繋がっています。
感情の世界の外側に、自然界のそのさらに外側に、、そこに本来の自分の姿が現れる場所があり、それは、自分の中心軸に現れる。それらを覆い隠している、ものが、解消されていく。ボディワークってそういう感じかな。。
※吸った吸われたの世界は、『聖なる予言、ジェームズ・レットフィールド著』とかにファンタジックに描かれてたりしてる記憶が。。
※ネイティブアメリカンの世界は、『グランドファーザーの生き方、トム・ブラウン著』これはすごい。。
感情にフォーカスして、それをなんとかしよう、、というのはうまく行きません。永遠のループ、消耗。
なにか出来事があった、感情をもつ、、それにフォーカスする、、。ずーっと、アイツのことを考え続けている、、モヤモヤモヤ、、という感覚の渦に巻き込まれ、、それはひっきりなしにやってくる、、ずーっと、ずーっと。。巻き込まれている。出来事が過ぎ去った後、、周りを見てみる。何もない。それは、終わった、、のに、まだ、それに対して、ずーっと考え続けている。時間と距離はない。ずーっと、それに付き合い続け、消耗している。離れられない!
考え続ける、、アイツめ〜、、。感情にフォーカスすると、そのエネルギーは増幅し、混沌が増していく。自分はそこに引き込まれ抜け出せなくなる。自分を傷つけ消耗させる。
誰かの、感情に影響を受けてしまう。それは、感情には時間と距離がないから。そして、感情の領域に自分自身が立っているから。そこにいては、影響を受けてしまう。感情の影響のないところに行く必要がある。
怒る、怒られる。悲しむ、恨む、怒る、嘆く、心配する。。感情には、相手が必要。その混沌のエネルギーの向かう先に、相手がいる。混沌の中にいる時、自分自身もその混沌に影響を受ける。相手も、時間と距離関係なしに影響を受けている。
感情には向かう先があり、相手がある。相手がいなくなれば、感情は、、エネルギーを失い、消えていく。相手にならないこと、、相手にならずに済む領域に行き、引き返してこないこと。できる?
感情とは、引きつける力がとてつもなく強い。そこから、離れる、という選択と決意は必要。何かをあきらめたり、捨てたりする必要があるでしょう。それが、できる?できないのは、なにがあなたを引っ張っているのか。あなたが執着している、その感情には何が隠れている?生存のために必要だったこと、かつて。それは、今は必要なくなっている。でも、惹きつけられる。あなたの決断が必要です。それには、変容のエネルギーがひつようかもしれない。
感情や念のようなものから、クリアな状態に回復するところがあります。それが、自然界、、もっとその先の領域もあります。癒しはそこからやってくる、というよりそこに触れることで、回復が起こる。
ボディワークの観点では、感情や心の状態、というのは身体に反映されています。それは、たとえば代謝や液体的な雰囲気のようなもの、として捉えられる、といえましょうか。
感情にフォーカスするとエネルギーを与え混沌とする。感情をクリアにするためには?感情には感情の体がある、と仮定してみる。感情の体が混沌としたり、淀んだり、電気的なエネルギーをチャージしたり、ドロドロしたり、欠けたり、ズレたり、、。すると感情も影響を受ける。
感情の体がクリアになること、綺麗になること。。透明に、、。すると、影響は受けづらくなる。透明な感情の体が健全な状態だとすると、その健全な状態に近づけばいい。
トラウマの解消のアプローチ、いろいろなものがありますがトラウマを見つめる、とか、過去を見つめるとか傷に向き合う、出来事を見つめる、、みたいなやり方はうまくいかないと思います。そのときは、よくても、、回復とはどういうことか。
出来事があり、驚愕した、、恐ろしい思いをした、悲しい思いをした、、。それは、理性や感情の解放、では届かない体に残ったエネルギーの固着、、そのとき、起きた体の緊張、、横隔膜や呼吸の緊張、、それは、出来事が過ぎた後でも、、まだ体はそれに対処し、緊張し、固めて、、自分を守り、保持している。崩壊から守り、自己を守り続けている。
その、体の状態は、、今はもう必要ない、、出来事は去り、過ぎ去り、今はもうゆっくり平和な呼吸をしても、大丈夫。安心安全のなかで、警戒モードは解いても大丈夫、、。その固まった状態を、ボディワークは解くことができるのではないでしょうか?
その歪みは、出来事に対処した際の健全の反応。それは今のあなたを支えてきた。もう必要ではなくなったものから解消していける。、、しかし、ここでも大切なのが、必要なこと、体が準備ができているものから扱うこと、今はまだ必要な、その防御のシステムを、すべては一気に解除しては崩壊してしまう。その、体が今必要な解放と統合が必要な分だけそっと静かに行われることが、大切だと思います。
体の統合、、治癒には、、体のペースがあります。そのプロセスには、エネルギーが必要だったり、時間が必要だったりします。それは、人間の都合、人間のタイムスケジュールの通りにコントロールできるものではありません。解消を起こすこと、が、ボディワークの目的ではなく、、体が治癒していく流れを、、言い換えると、生命力が満ちていく状態に、施術をする。あとは、体が自然と、、自己治癒を続ける。。すると、いつのまにか、振り返ると、、全然大丈夫になっている。本当の解消、回復、治癒、とは目の前で一気に結果を出すことではない、というのが、ボディワーカーの立場です。
たぶん、多くのトラウマに取り組んできた方の考え方は、トラウマを全て解消したら、楽になる。とか、そのトラウマがなくなるとこの状態が解消する、みたいな直線的な考え方をしているかたが多いような気がします。でも、これはボディワーカー的な視点からしたらそれは的外れな気がします。
トラウマを全て消したら、楽になる。というのは、見当違いかもしれません。そもそも、トラウマのないひとなどいない。では、なぜトラウマを抱えていても大丈夫なひとと、しんどいひとがいるのか。もちろん、そのトラウマの数というのも、影響はあるけれど、それが本質ではないと思います。
トラウマって全て消えることはたぶんない。トラウマ=体に残る、とすると。完全にトラウマのない、緊張や傷のないひと、などいません。では、なぜ、、トラウマ、、傷の渦、、に巻き込まれているのか。それは、ボディワーカー的な考え方では、トラウマ、、たとえば感情的なエネルギーの渦巻く場所と、それはなく、とてもクリアで清々しい場所、というのが、体には同時に存在している。それは、3次元的に、同じ領域にあるというよりは、重なり合って存在している。その同時にここにある、2つの領域のうち、どちらに、、フォーカスがあるのか、あるいは、どちらに立っているのか、それが、トラウマの影響のある世界からトラウマの影響のない世界へのシフト、、トラウマからの解放、という感じに捉えています。
トラウマの数が減ると、もちろん感情的な渦も減り、よりクリアになっていきます。なので、トラウマ=緊張などの解消も必要ですが、それは解消自体を目的としているのではなく、、感情の渦巻く大変な状態の体の世界から、クリアで静かな清々しい状態の体の世界にシフトする際に通る道、手段、にすぎません。
この考え方は心理系のソマティックエクスペリエンスやポリヴェーガル理論とも似ていますね。→『解放そのものが目的ではなく、神経系が不健康に刺激に反応してしまうのではなく健康な柔軟性を持った対応力のある神経系に移行していくのが、目的。その移行には、溜まったエネルギーの解放も手段として必要。』
たとえば、トラウマの出来事を考えたり人に対する恨みや怒りを思い出してぐるぐるしている、、感情の領域にとどまっている。ここに立ち続けていると、、どんどん消耗しますね。もう今は起こっていない出来事に、ずーっと焦点を当て、今でもそれが起こってように影響を受け続けエネルギーを使い続ける。。ここに立つの?周りを見渡す、、太陽がきれい、草が花が、光が綺麗。。川の流れが澄んでいる、、風が優しくすぎていく、、。この現在、この今の現実、、感情の世界の外側、、自然界。ほんらい、われわれは何者なのか?
感情は、人を引きつける。そして、エネルギーを一対一のやりとりで、奪うか奪われるか。損するか得するか、怒るか怒られるか。。悲しみとその同情、、エネルギーのやり取り、有限のエネルギーのやりとりの永遠のループ。ここから離れられるのか?
体の中の歪みトラウマが解消し、生命力=自然界で満たされていく。体の中心軸がずれていて感情に振り回され、生命力が浪費されていたものが、中心軸がととのい生命力が透明に綺麗に流れ出す。体の中に自然界が現れ、大丈夫なわたしが、私の中に現れ始める。そのように、回復は起こるのではないでしょうか?
同情や感情では、回復は起きない、、自然界の静けさとクリアさが、我々をトラウマの外側に連れていく。
自然界、、。そこが本来の我々のすがた、本当の自分のいる場所な気がしてます。
ですので、、SEなどで言われるように「トラウマとは出来事にはない。」このトラウマがあるから、この症状/不自由さ/怒り/悲しみ/苦しみがある、、と、そういう直線的な関係性にはないように思えます。そうではなく、今の自分の状態がどのような有様なのか?ということ、ではないでしょうか。
出来事や人を思い出し、、それについて、苦しむ。。もうその時は過ぎ、いまは何も起こっていない現実。でも、苦しむ。その感情の渦のある領域に居続ける。時間と距離なしに影響を受け続ける、、感情には時間と距離がない、といえそうです。
感情には、取引の相手がいます。エネルギーのやり取り、、お互いがいて、成り立っている。あなたの感情のエネルギーは、相手にも、、相手の感情のエネルギーは、あなたにも、作用しているかもしれない。では、どうするか?あなたは、どんな選択をするのか?
感情の領域、、密度が濃くドロドロしていたり、、他者の感情の影響を受けてしまう領域。ここは引きつける力が強いが、そこから離れる選択をする。その外側には、もっと透明で浄化力があり、生命力に近い存在である自然界。ここは感情のエネルギーの影響を受けない。ここいることを、選択することができるのか?それには、ご自身の体がその自然界に近づいていくことが助けになるかもしれません。
ですので、トラウマがあるからこういう不具合があるのだ、という直線的な原因結果の世界ではなく、ご自身がどの世界に属してどのように心を持っているのか、という立ち位置のシフトのようなものが、大切な気がしています。(そのシフトが起こるのがボディワーク。)トラウマが多く抱えていると、その感情の領域に引きつけられる力が強かったり、そこからの浄化の力がまだ十分に伝わっていなかったり、その状態に影響している。ですので、このトラウマが解消したらこの症状が解消した、というものではなく、、自分の体の状態が静かにクリアに楽になっていくとともに、いつのまにか、いろんな想いが解消していた、いつの間にか忘れていく。トラウマの解消とは、そういった変容が起こることではないかと思います。
感情は取引の世界、時間と距離のない。。そこは相手の影響も受けてしまいますが、、相手には取引相手の自分がいてこそ影響がある。そこに、自分はもういない、自然界の力の満ちた静かな世界を軸足に、自分のありようが変わる時、、自然と相手も変わっていく、気がついたら驚くほど自然になっていること、コンパッション(慈愛)をその胸に抱いていることに気がつきます。
ボディワークでは、そのように体はクリーンに、静かに、清々しくなっていく方向にシフトしていくと言われます。実際に、そのように感じています。そこに中心軸の静けさが表現され、この世界に立っている。それを、引き戻したり、損なうことはあるのでしょうか?体の中心軸にその静けさが表現されてくるごとに、その生命の回復力は強くなり外界からの影響は受けにくくなるようです。しかし、、感情解放ワークなど、もとの感情の世界の波長にフォーカスを当ててしまうワークなどをあまりに受けるようなことがあると、また、そちらに戻っていく方もいるように思います。感情の世界ではなく、自然界へ。そのようにシフトしてきた逆を行くのは、あまりボディワーカーとしてはお勧めしません。。
感情の世界とはコントロールの世界、、コントロールの世界は幻想、、そこから離れ、自然界へ。自分の中の自然が現れ、普通にそこに住めるようになってくる頃、、。感謝ってしようと思ってするもんではないでないですか?努力して感謝だ感謝するんだとやってみるもんでもない。自然とそういう状態になっている、そんなふうに変化って起こるもんだと思います。変化って意図して起こすことはできない、、。そういう状態に、導く力の流れに乗ること。自然界の生命の法則に従うこと。
感情のぐるぐるの中にいるとき、考えること判断することは頭の中にしかない、、全ての要素は知っていることの範囲内。。しかし、この現実は?この世界は大地があって空がある、無限の要素があり、、知らないことばかりが世界を構築している。その中で頭の世界、感情の世界に入り込み、、個人の世界の中で完結しているものは、限界のある世界かもしれない。そこは個人の知っている範囲の世界、個人の考えの中の世界、そこには、個人のコントロールで世界が作られている。それは、本当の世界だろうか?
感情から何かを判断することはできない、 感情から行動することは混沌を生む、 というのがあるとして、 なかなか ムズカシイもんですが 感情というものは 個人の内側にとどめ、 可能性(?)を排除して 自分の世界に閉じ込める。 妄想の世界、 不安の世界。 正しい判断はできない。 心配とか恐怖とか あるいは その逆の感情とか この感情の介入はナシにして 感情の外側に出る。 自然界の中のあるがままの場所に シフトして、 あるいは、もっと先の 自分の中心がつながる軸があるように。 そういうところシフトしたとして、 そこには、感情の曇りがない 透明で広くてはっきりとしている クリアな世界。星が巡る季節が巡る、、それを動かしているものは何?知らないことがまだたくさんある、、その自然界の背景には、もっとおおきな流れがあるのかもしれない。
ボディワークでは感情やこころや精神を扱うことはしません。あくまで対象は体を整えること、です。皆さんの多くが経験されているように体とこころは連動しているように思えます。
つづく