私のワークと考え方


私の考え方

すべての人は回復する力を持っています。どんなに絶望的な状況でも身体の奥深くには健康になろうとする力が流れていると思います。それが表現できるように手助けすることが施術者の仕事であり、施術者が身体を治すのではありません。

 

  • 身体はそれ自体に回復への力がある

 

すべての人が持って生まれた、あらかじめプログラムされた純粋な回復へのプロセスのようなものです。身体の奥深くに流れている静かなリズムのようなもの。その深い場所では自己のヒーリングのプロセスが始まり本来の自己への調整が始まる。 これは発生学的な考え方から来ています。そこからさらに学びを続けるうちバイオダイナミクスの考え方に非常に惹かれています。

 

  • 変化は少しずつ積み重ねられる

 

急激な変化は身体に吸収・統合されません。急激な変化は一時的にはとても良い感じがしますが、むしろ逆効果となります。身体は少しずつ変化していきます。身体に流れる時間は現代人の日常と比べるととてもゆっくりです。ゆっくりゆっくり見守ってあげましょう。バランスが悪いなというとき、ちょっとしんどいときは焦りすぎているのかもしれません。大きな一歩で先の目標を追うより、今、着実に歩みを刻むのはいかがでしょうか?これはソマティック・エクスペリエンス(略して「SE」)のセッションを受けてきた経験から来ています。

 

  • 「場」の大切さ

 

変化の場と日常の場は異なると思います。日常の場では人はパターンの中で生きています。変化の場とは静けさの中で新しく何かが生まれるような場だと思います。現実に耳を澄ませ、今起こっていることに気づくこと。パターン化された過去の縛りを解いていく。日常の世界から少し離れ、普段は意識されない自身の繊細な身体感覚の世界へ入っていきます。そこでは身体との対話が始まります。

 

 

  • 誰かが誰かを「変える」ことはできない

 

基本的に他人がその人を『変える』ことはできないと思っています。それは良心からこうなって欲しいとの思いからその人を説得しようと、それは絶対にどう考えても正しいことであってもです。その人が(その人の身体が)一番わかっていると思います。他人にできることは、その方向への道、出口の可能性をお知らせすること。そしてその選択肢を実際に選択するかどうかは100%その人ご本人が決めることです。もし、その出口がその人本人が本当に求めているのならば、こちらが無理矢理つれて行くことはまったく必要ないことです。そのご本人はこれまでそれに飢えてきたと思います。ご自分で全力で進んでいくことでしょう。そのための変化はそのご本人が起こすことです。その出口をお知らせするとき、その選択肢の前でその人ご本人が100%の自由な状態であることが大切だと思います。その人がその場が安全であると感じられること。それには案内人の姿勢が大切だと思っています。ボディワーカー(施術者)とは案内人のようなものだと思っています。

 

 

歪みとは命の叡智により、そこに配置されたもの。全体を守っている。

人生の中で積み重ねられてきた歪みたち、大きなショック、感情的な、物理的な衝撃、、対処してきた身体。衝撃をそのままに受けてしまうと、全体が崩壊してしまう、、それら衝撃のエネルギーを一点に凝縮し、歪みとしてそこに配置した命の叡智。

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『全体を保護するために、生命の叡智によって作られた』歪みたち。かつて役に立っていた歪み、今はもう役目を終えているそれらは、準備ができたものから去っていくことができます。その歪みをそこに保持するために消費され続けていたエネルギーは、解消とともに全体に還っていく。活力を取り戻していく。それはバイオダイナミクスの視点です。歪みとは表層の現象にすぎない、命の叡智とは、、『静けさ』がそれらを保持している。

 

原因にたどり着く

歪みとか痛みとか問題とか、それらは表層の現象にすぎません。その原因にたどり着く、、そこには、それらを保持している『何か』があります。それは、、生命力であり、命の力。そのかつての衝撃から身を守るために、歪みを配置したその力=『健全さ』にたどり着きます。

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原因とは、現れている問題ではなく、、その源にあるのは、命の力=『健全』なのです。そこからしか問題を解消できないのだとしたら、、目に見えているものをまっすぐにする、という視点では本質からの解消が起こらないことがわかります。問題にフォーカスを当てるのではなく、その出所は、原因はどこか、、そこにある健全さが問題を解消していきます。それはバイオダイナミクスの視点です。

 

体のフロー(流れ)が治療する

施術後、しばらく変化が継続していきます。施術者が治療をするのではなく、体それ自体の機能が回復することで、癒しがおこります。10シリーズ後、久しぶりにお会いすると、変化がさらに続いていることが、当たり前にみられます。体の流れが回復するからです。

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流れとは、いろんな側面で捉えられると思いますが、たとえば、血流、リンパ、細胞の代謝、など物理的な流れ。または、エネルギー的な流れ。呼吸の制限が解消される時、横隔膜や肋骨の動きが制限から解放される。その動きは、1日に何万回か。体はつながっており、全身にその運動は波及する。血流も、リンパも、髄液も、細胞の代謝も。

すると、何が起こるか、、その代謝、その流れ自体が、、増大し、制限から解放された動きが、それ自体で、、生命活動をより増大させていく、、それ自体が癒しの力を拡大していく。

かつて、歪みや硬さによりせき止められていた流れが回復すると、その流れ自体の力で、、さらにその先の邪魔をしている歪みや硬さを、流れそれ自体の力によって解消していく、、まるで水の流れ、川の流れがせき止めていた土砂を取り除くように、、静かな流れがその先々にまで届いて滋養を与えていくように。

フロー(流れ)が、治療するのです。施術者が治療するのではなく、フローが治療を継続していく。。

10シリーズから数年後、久しぶりに会うクライアントさんは、想定よりずいぶん変化しておられます。一般的によく聞く言葉は、調子いいので来る必要もなかったけど、このタイミングで来てみた。というようなこと。体の整いはもちろんのこと、精神的に参っていた感じの方、不安や問題に吸い込まれがちな方も、健全に、健やかに、、周りの人も元気になっていくだろうな、という雰囲気を纏って再会を果たします。

フローが治療する。施術者ではなく、体がそれ自体の癒しの力をもっているのです。

 

環を閉じる、完結。そして、大きな循環の一部となる。

施術では、解放や変化が起こりプロセスが進んでいく、、施術者の両手を通して。変化を起こして、放置しないこと。途中、、でバラバラにしたまま終わらないこと。われわれは、個と言う人間、、それは、全体に還っていく、、。大地と、宇宙の、自然の循環の中に、何も乱すことなく、その存在は、大地に溶け込んで調和のうちに、全体の奉仕の一部となる。人間は、世界を自然を大地を乱す存在ではなく、大地に奉仕し、大自然の一部として、大きな循環の一部として、還っていく。

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トムブラウンのどの本かにある一節が、書かれていて、、それが、施術の最後にその人が調和した状態で完結するように、という世界をよく表しているな、と思ったことがあります。

あるネイティブアメリカンの青年が、岩を持ち上げる訓練をしていた、、フィジカルだけでは達成できるものではなくスピリチュアルな世界の力を使わなければ持ち上がらない。そこで、青年は夢をみて、その中で訓練をした。夢の世界で、青年は大きな岩を持ち上げる、、。さて目覚め、現実の世界で岩を持ち上げよう、、、持ち上がらない。何度やってみても持ち上げることができない。そこで、青年は長老に相談した。

長老はニコニコしながら答えた、、「夢の中で持ち上げた岩を、地面に降ろしたかい?」持ち上げられた岩は、空中で放置されず、元に戻されなければならない、、すべてはサークル、環、、環は閉じられなければならない。循環として、完結する。

われわれは、すべて個として分離して生きることはできない、、分離とは力を失っている。全体への循環の一部とならなければ。そう生かされている。大地の循環宇宙の循環、大自然の一部としての循環。環は閉じられ、循環が始まる。大いなる循環の一部となり、サークルは完結する。

それは、ボディワークの世界で、施術が終わる時、、バラバラだった全体は、すべてと調和し、、セッションは閉じられる。それは、、施術の基本原理である、「施術者が治療するのではない、生命の力=健全の力が、治療をする、それは、継続していく。」ということと同じ。バラバラだった個人は、全体として調和し、、施術者の手を離れる。完結し、癒しの力は治療をそれ自体の循環の中で続けていく。

世界の中で、大自然と、大地と、宇宙と、、太陽と、、循環の中に、還っていく。治療はフロー(流れ)として続いていく。

 

奉仕、制限のない世界。

体の変化とともに、、自分のためにではなく、他者のために、、というシフトが起こった時、今までとは違う繊細なエネルギーに満たされ、元気になっていくことに気がつくかもしれない。奉仕とは、あなたの思い描くものとは違うかもしれない。奉仕とは、自由であり、、制限のない世界、、病変を解消し、混沌を浄化する、〇〇(ナイショ)だという。

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調和、それは、個としての内側のPeaceとともに、全体(ワンネス)に還っていくこと。(=全体性、自然の一部となる)。大地と、宇宙の、自然の循環の中に、、そこには、力が満ちている。(=分離から全体性への移行、太陽神経叢からハートへのシフト)

 

根源、死ぬこと。最後に残るもの、我々の本質。

最後に残り、きえないもの。それは『愛』というらしいです。愛とは、一般的に使われる”愛情”ではなく、感情や想いや思考や執着のない、、全て取り除いたときに残る、我々の本質の、、最も精妙な何も意味づけされない、何も存在しない、、存在、のことなのかもしれません。(=文字では表せない、、波動、エネルギー、存在、、意識)

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死ぬと、どうなるのでしょうか?ダライ・ラマのあるティーチングの動画を見ていた時のこと、たまたま人間の意識と転生について説明している場面がありました。人の意識にはいくつかのレベルがある、、最も粗い意識から最も精妙な意識まで、、日常レベルの知覚意識から、、無意識の最も繊細なレベルまで。無意識にもレベルの段階がある。死を迎えると、粗い意識や無意識のレベルの繊細なものまで、すべて消えて無くなる。。しかし、最も繊細なレベルの意識は、なくならない。感情、思考、理論、理屈、、思い、郷愁、情、、そういった意識の粗いものは消えて無くなる。もっとも繊細なレベルの意識、、それはいったいなんなのでしょうか?すべては消える。。(※カルマは我々の本質とは別のもので、次の転生までの間に巻き込まれてきて次の転生に向かっていくらしいです。)

すべてを取り払った後に残るもの、それが、本質、本性だとしたら、、それはなんなのでしょうか、感情や思考は、本当のものではない、かりそめの消えゆく、、浮き草のようなもの。我々の本質はどこにあるのか。

ボディワークの視点から、それは、ハート(物質ではなく、エネルギー)、、そして、より繊細なミッドラインにあります。

最後に残り、消えないもの。次の転生に向かい、進んでいくもの。最後に残り、きえないもの。それは『愛』というらしいです。愛とは、一般的に使われる”愛情”ではなく、感情や想いや思考や執着のない、、全て取り除いたときに残る、我々の本質の、、最も精妙な何も意味づけされない、何も存在しない、、存在(=文字では表せない、、波動、エネルギー、存在、、意識)、のことなのかもしれません。

 

太陽神経叢(自己)からハート(全体性)へのシフト

『愛』とは、一般に使い乱用されている「愛情」とは別のもの。愛、とは、他者への奉仕の状態、天と地と、大地と自然と、その循環の中で、個人の利益のないところ、そこにあるもののようです。「菩提心を起こし(ハートの状態)、有情(いきとし生けるもの)のために、自分のためではなく、有情(他者、大自然)のみのりやくのために、仏陀となれますように(ダライ・ラマのティーティングより)」というときに、あるものらしいです。そのとき、意図せず自分に与えらられるものは感謝を持っていただく、もののようです。

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体が変わり、太陽神経叢からハートへの移行とともに、この状態が体感できるとき、、そうでない時との差がはっきりと知覚できるようになるでしょう。自己のために生きるとき、、視野は狭く、知覚は狭く、籠もった状態で思考はめぐり感情は波打ち、、出口がない。他者から、世界から吸い続け、あるいは、吸われ、、他者を、世界を恨み続ける。ハートに移行し、全体の循環を視野に入れるとき、、空間は広がり、知覚は遠く澄み渡り、、それだけで、心地よい。自己を満たそうとしていた、他者から吸い取ってエネルギーを得ていたそのエネルギーとは違う、、繊細で無限なエネルギーに満たされていく。ここちよく、調和している。

自己のために生きているとき、それは、損だと感じることでしょう。でも、そうではないことが、わかってくるでしょう。

 

我々の覚悟

『ヒーラーへの道は困難で、ときに痛みを感じ、いつも孤独と向き合わなければならないので、私は誰にもこの道を進んで欲しいとは望んでいない。心に問いかけ、これが自分の命よりも大切なものかどうか確かめなさい。この道がいかに困難で、苦行生活や孤独を強い、現代社会の教えを全て捨てなければならないことを考えなさい。


お前は友達を失い、もう二度と昔の自分には戻ることはできないのだ。一度、この道を歩き出したら、お前は一生歩んでいくか、消滅するかのどちらかである。残りの人生を喜んでこの道に捧げるのか決断しなければならない。もはや、自分のための人生などないものと思え。お前という人間は死に、創造の世界に仕えるための架け橋となるのだ。この道を第一に考えなければならないし、自分や、また自分が欲し、必要とするものは二の次となる。というのも、この道と自分の両方に仕えることなどできないからだ』 〜ヴィジョン トム・ブラウン著〜


オステオパシーのバイオダイナミクスを学びはじめてから、
実感を持って、
そうだと思います。

 

何かを付け加えることはできない、、手放していくこと。。本来の姿へ。

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先日、ロルフィングの施術をしていて、、これから受ける方に伝えておきたい、と思ったことがあります。


ロルフィングとは、10回で構成されていますが、
回数を経る毎に、何かをこちらから付け加えていっている、のではありません。

どちらかというと、外していっている。


どんどん。いらないもの、こだわり、こわばり、がんばり、、おもいこみ、おわったできごと、もうやめていいこと、おわった防御反応、おわった攻撃反応、おわった恐れ、、、


そして、気づく。


失われていたものの発見、忘れていたもの、失っていたもの、もう大丈夫なもの、もうおわったのにまだ目を背けていたもの、


を、 取り戻す。


そして、全体としてのわたし、ひとまとまりの全体のわたし、に戻ってくる。

本来の姿に、、。


それが、ロルフィングでやっていることです。
何かを付け加えているのではありません。