ん⁉️
あー、なるほど〜。
この世のことわり
ということになると、
昔と比べると
いろいろ
わかってくること
ありますわー。
いろいろ
見てきたしー
学びも、ですしー
その中で、
あー、なるほどー、と
さっき(数時間前?数十分前?昨日だったかしら?)
思ったことがあって。
**
この世の理(ことわり)
ということに、皆さんの世界、
私の世界。
この人間界と
それを取り巻く感情の世界、
さらにその外側には、
静かな自然界、、。
そういう世界がある
ということに
気がつき出すと、、。それはいろんな分野に共通して存在していて
突き詰めていくとそこに皆たどり着く、
ということは
まあよく話すかもですが。
この感情の世界、人間界。
そこでのやり取りは
エネルギーの奪い合い、吸いあい、
強者と弱者
ここでやりとりするのは
得策ではない、、ということは
わかってる。
もう
うんざりや〜。
やね。
ふーん。
そこで、この世にいてたら
ちょっと困ったことがあるやん?
たとえば、
人の想いってやつ、
もうええわー、やめてや〜。
こっち向かんといてー、こっち見んといて〜。
て、思うやん。
そういうの、
どうする?
あるいは、、なんやろ。
恐怖、ってやつもかな。
、、あとはなんやろ、
目の前の人を助けたい!
てやつもやね。
、、ま、
感情のエネルギーがあるところ。
そこで起こっていることは
、、
ターゲット、奪うこと、想いを遂げようとすること、
目眩し。
感情、どうしよー!とか
わるいな〜、とか。
ぜーんぶ、意味は置いておいて、
人間の価値判断は一旦置いておいて
それは、何に見えるか?
粘性、エネルギー、色、、
独特のリズム、
それが、
どこかに現れ、
またどこかにいく、
どこかに現れ、意味を変えているけど
同じものが、そこに
活動している。
家族のこと、未来のこと、
個人の秘密のこと、
思いのこと、
すべて、解決、したとして、
またそのエネルギーは、
別の形で同じものが現れる。
また帰ってくる。
そこでやりとりしている限りは
解決したと思っても
また別の形で同じものが。
ねえ❓
怒り悲しみ喜び願い想い、
それを持つとき
『わたしは
十分ではない。』
と思わされている。
誰に?どこかで。
もう、本当は大丈夫なのに。
もう大丈夫だとしたら
不都合のある人がいる。
吸いたい人。
それを吸って生きながらえたい人は
その対象物である人を失うと
もう吸えない。
だから、大丈夫ではないと
十分ではない、と
その人に思わせている方が
得なんだ。
もう大丈夫でも
もう大丈夫ではない、と
思わせることに、価値がある。
それで、人間社会は回っている。
ほとんどは。
感情のやり取り、
取り引きの、世界。
そこでは、
”わたしは十分ではない”
と思わせることが大切。
あなたは十分ではない、
大丈夫ではない。
本当は、大丈夫なのに。
そうしなければ、
生きていけないと思っている人が
たくさんいる。ほとんどは、そうでしょう。
そこから、離れたところで
生きていくことを
選択するときもやがて来るのでしょう。
十分ではない?
もう大丈夫。
なんだけどね。
**
それは、ターゲットにされたときにも
そのようで。
怯えたり、苦しんだり。
その”脅威”のために、
エネルギーに晒されて、
苦しい、怯えたり憎んだり。
本当は、自分は大丈夫、なら?
怯えることもなく、憎むこともなく、
ターゲットにされていようとされていまいと
わたしは、大丈夫、だとしたら。
大丈夫?
大丈夫ではない、とはどういう状態か。
自分で立っていられない状態、
自分で立っていられない状態とは?
相手から吸う必要がある。
神聖なものに触れられては困る。
自分が自分で完全であることを知られてはならない。
ターゲットが必要、相手に相手にされる必要がある。
。。
大丈夫とはどういう状態か?
自分の中に、
神聖なものがあることに
気がついていること
それは常にそこにあることを
知っている
気がついていて
それにアクセスできること
すでに、そこにある。
それに、そこに、体にもう
現れている。
そこに触れる術も知っている。
脅威、恐怖、、
ターゲット、エネルギーの取り引き、
感情、、。
それは、自分で独立して
そこにあることはできない。
相手、ターゲットを必要としていて
相手にされないと
存在できない。
その”相手”
に、相手には、神聖なものがあり
そこにアクセスできること
いつでもそこにあること
それを知られてはならない。
自己のうちに神聖なものがいつもあり、
そこに、触れ。自分は大丈夫。
ということを
知った人。
その人はもう大丈夫。
**
そういえば
自然界、
そこに住む人、
身体がしっかりしているな。。