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こらっ

 

 

 
恥ずかしさが私の内に広がって、息の詰まる思いがし た。しかし、拷問のようなそれまでの日々の苦しさは、容易に忘れられるものではなかった。私は思いきってスワミ にこう言った。
 
 
アシュラムの生活で
めちゃお腹空いてたらしい。
 
「先生、私は先生のお言いつけに進退きわまってしまいました。もし私が、自分の空腹を全く口に出さなければ、 だれも私に食べ物をくれる人は居ません。それでは私は飢え死にするほかありません」
 
 
 
「それなら死になさい!」厳然たる一言があたりの空気 を破って返って来た「死ぬほかなかったら死になさい。 ムクンダ、お前は自分が食べ物の力で生きていると思っているのかね? お前は神の力で生きているのだということを忘れてはいけない。あらゆる食べ物を創造し、われわれに食欲を与えてくださったおかたは、われわれが生命を維持してゆくことができるように、たえず配慮していてくださるのだ。自分の生命が、米や、金や、人間の力で支えられているなどと決して考えてはいけない。もし神が、お前の 生命の息吹きを引き揚げてしまわれたら、そんなものは何の役に立つ? それらは単なる神の道具にすぎないのだ。 お前の胃の中の食物が消化するのは、お前のもっている何らかの技術によるのかね? ムクンダ、よく考えてみなさい。目先の現象にまどわされず、根本の実体を悟りなさい」
 
 
 
 
この痛烈な訓戒は、深く私の肺腑をえぐった。幾世来、魂をたぶらかして肉体的欲望の奴隷にしてきた迷いは、瞬時にして私の中から消し飛んでしまった。そしてこのとき 私は、霊こそすべてを支えすべてを満たすものであることをしみじみと悟ったのである。後年、私の絶え間ない旅行の生涯において、多くの異国の町々を旅しながら、このベナレスの僧院で受けた教訓の正しさをどんなに実感したことであろう。
 

 
こらっ