大きなものに
つながって、泣くのなら
涙はスピリチュアルな
行為となる。
切り離されて泣くのなら
それは痛みになる。
広がりと、感謝。
苦しみと、混沌、
『いかに泣くかを学ぶ』
「われわれはいかに泣くかを
学びなおさねばならない。
強い男は泣く。
ぐっと涙をこらえるなどというのは
弱い男のすることだ」
アーチー・ファイアー・レイム・ディアーの言葉
涙にはふたつの種類がある。ひとつは「しょっぱい涙」で、もうひとつは「甘い涙」である。前者は物理的精神的な「痛み」からくる涙であり、後者は「喜び」からくる涙だ。この二種類の涙を同一視してはならない。
強い人間というのは、男であれ女であれ、自分を知り、自分と自分を創られた偉大な存在とのつながりを確信しているものであるから、彼女、もしくは彼は、スピリチュアルな行為のひとつとして涙を流すことができる。人間の身体の仕組みからいうなら、それは泣くように設計されているものなのだ。
人間の身体をデザインされた存在を讃え、その作品のひとつであるおのれの身体を讃えて、当初の意図どおりに肉体を使いこなすことは、われわれの義務のひとつである。
ー 北山耕平 地球のレッスン ー