バラナシに帰ろうかと思ってたけど
移動が深夜の時間になるとか遠い駅に着くとかで
メンドーくさいので、これまでは面倒臭くても移動してたけど、
飛行機で直接デリーに移動中ー。
ぼちぼち帰国します。
ところで
昨日のモヤモヤのつづき
その後いろいろ一部ハッキリしてきましてん。なので謎は少し残して彼の地にさよならを。(バラナシはまたこんど。)
さて、その話を少し。
菩提樹といえばー?そう、さっきまでブッダガヤにいました。
仏陀が悟りを開いた地です。
あのでっかい塔が建っているお寺、マハボディーテンプル。
スマホ持ち込み禁止なので写真も撮ってないし、宿にスマホ置きっぱなしだったのでほとんど写真とってない。ひとつだけ外から撮った写真があります。牛さんの写真もシャッターチャンスを逃してましたー。
あのでっかい塔の中には
部屋があって仏陀の像があります。
そして塔の反対側には仏陀がその下で悟りを開いたという
菩提樹が。
まいにちずーっとその下で過ごしてました。
昨日の投稿の葉っぱたちはその菩提樹からたまにはらりと葉っぱが落ちてきます。欲しー!瞑想どころではありませんでした、2日半くらいは。。
そんなこんなで、ん?と思ったことがいくつかありましてん。
それはお金とハート(スピリット)。
お金。。とハートがどう折り合いついてるのか?謎です。たぶん、ツーリストとしてはわからないことで、その世界に入って行かないとわからんのかな、と思いますが。
お坊さんからもお金を請求されることが何度かあって、例えば急にマントラ唱えられてお金、とか。ん?と思いながらもお金に対する文化の違いなんかな?まさかこの仏教の中心地、仏陀の目の前でそんなことはおこなわれないだろう??
あるとき、ブッダの塔の少し手前にある仏像の前で、掃除とかのお世話をしてるスタッフのおっちゃん。お坊さんではない。
バッと7、8、枚くらいの菩提樹の葉っぱを手渡されて、ホンモノの菩提樹の葉っぱ、あげる。ここのお世話するために働いててお金いる。と。
20ルピーを渡すも受け取らない。100ルピー、だって。そのまま立ち去ると別に追いかけてもこない。
隣にあるヒンズーの寺院に仏陀が菩提樹の下にいく前に瞑想していた石がある。そこから出てくると足の悪いお坊さんがマントラを唱えて、
そして、「脚悪いし、ご飯食べなあかんし、お金いる。」と。。
同じく20ルピーを渡すも受け取らない。100ルピー。そのまま立ち去るけど別に追いかけてこない。
ん?
客引きとかのセールスとかとは違う。お金に対する文化の違い?
また会ったら100ルピー渡そう。お坊さんの方はその後頭が軽くなったり、それまでなーんも別に感じんな、と思ってたけどいろいろ感覚するものが出てきたり。たぶんホンモノ。
掃除のおじさんと、その足の悪いお坊さんにその後出会ったのでお渡ししました。
さて、ある日ある朝、5時からお寺は空いてます。セキュリティーチェックがあったりするので大混雑。ですが、今はオフシーズンらしい。11、12月くらいになるとネパールからとか世界各地からの巡礼者がめちゃ増えるらしい。ダライ・ラマのティーチングの時は部屋代がヤバいんですて。
仏陀の像があるおくの部屋、ベトナムか台湾かの団体さん、仏陀の像はふだんはガラスの向こう。脇の扉は閉まってます。朝のこの時は、扉を開けてお坊さんがお世話してます。その日は、団体さんがビニール袋にいまとめていれた数珠みたいなのをお坊さんに渡してちょんちょんと仏陀の像に触れて返してもらう、ということやってました。
そのとき、順番に並んでいたわたくしに、もうひとりのお坊さんが、菩提樹の葉っぱを一枚くれて、お金。と、持っていたコインを渡そうとすると、日本円、紙。ん???1,000円渡すと、もう一枚だ、と。もう千円わたす。
モヤモヤ
仏陀の像は、座っていて手にはキラキラBOXがチョコンと乗っています。
そして、中にいるお坊さんにその2千円を渡し、そのキラキラBOXのなかにスススっと。ドネーションでした。
ついでに、何かないかな、と思って、さっき貰った菩提樹の葉っぱを団体さんの袋に入れてもらって仏陀の像にチョコンと触れてもらいました。
仏教の、祈りの中心地!
すごいやーん。
(そして、「ここのお世話するために働いててお金いる。ギブミーマネー。」と、またこのフレーズ。。)
みんなに自慢したろーっと、と思い。部屋に帰って最後の貴重な材料、ウオッカの瓶に着けてチンキを仕込みました。チンキというよりエネルギー的に使うやり方にしようと思います。
実は今回の一連の旅はその各地のエネルギーを持ち帰る、というのがテーマだったんです。ですので荷物が重〜い。
ですが、材料がインドでは手に入らない。ガラス瓶が無いんです。もちろん、ウオッカもない。イギリスで手に入れたのが少し。ナゾなんですが、いくら物価が高いとはいえ、日本で千円くらいのものが、5千円以上しました。。(それを2本。どないなっとんねん。お金かかるわー。)
最後の仕込み、ウオッカの入った瓶に直接葉っぱを入れる。
使命は、終わり。
(この話にはつづきがあります。後ほど。)
話は変わりますが、街を歩いてたりチャイ飲んでたりするとインド人にめちゃめちゃ声かけられます。どこの街行っても同じですね。物を売りたい。
その中にはガイドの話しを持ちかけてくる人たちがいます。
結構近くと、結構遠くに観光地があります。
仏陀が6年間物も食べずに苦行していた遠くの山の洞窟と、結構近いその後苦行を止めるときに乳粥をいただいたスジャータ寺。
3人ほど結構(行く気全くない。勝手に話しかけてくる。)話を聞いたガイドたち。なぜか全員が学校の先生。学校の先生てだけでも珍しいのに。
ある日、ローカルの屋台でご飯食べてたとき、話しかけてきたガイド。若いお兄ちゃん。マハボディーテンプルでもよく見かけてたし、おいらもいっつもいてたから知ってたみたい。
(ちなみに、マハボディーテンプルはめっちゃでかい。敷地が広くって、訪れるべき場所が7箇所あるんですて。しらんけど。僕は3箇所くらいは行ったんかなあ?)
その後に夜、お寺でまたあって呼び止められ、なんか熱く語り出す。ガイドは趣味で、自己を達成するために、お金は工面してくれるサポーター(父)がいて、小さなグループの子供たちに無償で教えている。いつか彼らが良い大人になってくれればそれでいい。スポンサーがいてオーストリア人で月に100ドル送金してくれる。ワタシのためにではなく、彼らのために。ワタシは何も受け取ってはいない。
ヒンズーの家族に生まれたけど、ヴィパッサナーの10DAYSをやったり、いまは仏教に従っている。怒りが出てきたり、それが去っていき、、世界が変わったんだ。お金は生きていく以上必要だ。仏陀の像を見てご覧。手がボウルの形をしている。そこに食べ物をいただくようにまっているんだ。自己を完成させるためにはサポーターが必要。
(ちなみに、ブッダガヤではヴィパッサナーの話をよく耳にしました。瞑想の話になると必ずヴィパッサナーです。)
明日がブッダガヤで一日中自由に使える最後の日なら、一緒にスジャータ寺に行かないか?そこは行くべきだよ。大きな信じられないくらい大きなバーミヤンの木がある。樹齢2600年くらい。それらを見に行こう。これは趣味だから、自己を完成させるためのホビーだから、お金はいらないよ。ときどきドネーションをくれる人はいるけれど。
熱く話すし、日本人も、、個人でやってる施術者としても、お金は一つのテーマ。どう奉仕とお金の現実を折り合いつけていくのか、つけられるのか?
話しぶり、雰囲気、、どこか魅力的なエネルギーをまとう。喋り姿。
ま、一般的なガイド料くらいはお支払いするとして、いってみてもええかな、めんどくさいけど。大きな木と、スジャータにも興味はある。
その夜宿の主人に聞いてみる、一般的なガイド料はいくらくらいなの?ドネーションでいいっていうてはるねん。
オーナーさん、ハーとため息混じりにこちらを見つめる。(日本にもいたことあり日本語も結構できる。ブッダガヤにはカタコト含めて日本語を話すインド人結構います。コロナ前は結構な数の日本人きてたらしい。いまは、おいら一人だけ。だーれもいない。)
そして、あるシステムの話しをし始めました。
「スジャータ寺のそばには、学校がある。そこにガイドはついでに連れて行きます。親のいない子供達、可哀想に。と、学校に寄付してもらう。(本当は両親もいます。)ガイド本人は受け取らない。その寄付が、日本人の感覚からしたらまこれくらい、という現地の人にはかなりの高額、1万円、2万円、とか寄付しちゃう。本人はいいことしたと喜んでいるし、騙されていることにも気がつかない。彼らはプロフェッショナル、です。その寄付からマージンを受け取ることが目的で、ガイド料はなしでいいんです。日本人に忠告しても聞かない、いいことした。と、帰っていくだけ。
いいですか?学校が騙すシステムの場所になってるんです。
でも、彼らが悪い人というわけでもない。行ってもいいし、寄付してもいいけど500ルピーくらいまでにしておきなさい。(ちなみに、500ルピーは千円くらい。)」
なるほどね、ま、ありがちな話しやね。
けど、わからなかった。その人がそういう人かどうかの見分けがつかない。。
では、もう一つ質問があって、マハボディーテンプルあるでしょ?お坊さんにお金を要求されることがあるんだけど、あれは一体何?(そういうお金に対する価値観なのかしら?)
「(オーナーさん曰く)ニセモノがいる。格好はお坊さんの格好をしてるけど、ニセモノがいる。見たらわかるでしょ。ホンモノと、ニセモノの違いが。」
では、仏陀の塔の中の仏像、そこにはキラキラBOXが仏陀の手の上に乗っていて、そこにお金を入れるように要求されたんだけど、あれは一体何?
「長い間行ってないからよくわからないけど、ドネーションの大きな鉄の箱があったでしょ?あれは半年に一回くらいで開けてオフィスに入るんです。仏像の小さな箱はお世話係の人たちに入っている。」
そんな、あそこは仏教の中心地でしょ?
「中心地と思っているのはあなたたち。」
まさか、ブッダの目の前で、そんなことあるなんて。そんなことできるんや、ひとは。。
モヤモヤ
いろいろ考えてみる。モヤモヤ
すると、あることに気がつく。善なのか悪なのか、気のせいか気のせいではないのか、正しいか間違えているのか、あのひとはこっちなのかそっちなのか、、2極はひとつ。量子力学のように、箱を開けてみるまでは、決定されない。それまでは、どちらでもある。ふたつがひとつ。あのひとはどっちでもある。その時がきた時、どちらかに決まる。
仏陀の目の前で、世界の中心地で、行われていること。
、、でも、これは日本でもいつも行われていること。ビジネス。本当にピュアなままで、偽りなく本心のみで、ビジネスしてる人がいったいいるだろうか?なにか理由がある、この体をもって生きている限りは、しょうがないこと、人を惹きつけるためにやっていること、本心だけではないビジネスが。それがもっとシンプルに同じ形で行われているだけ。
バイオの施術をやっていくのにハートだけでやってる人がどれくらいいるだろうか?仏陀の目の前で=自分のハートの目の前で、やっていること。
しょうがないんだよ、生きている体を持っているんだから。綺麗事ではやっていけないんだから。あのデリーのトゥクトゥクの運転手のように。
仏陀は(自分のハートは)それを許してみている。どうするのかはあなた次第。目の前で。
(これにも後日談があります。後ほど。)
翌日、また夜明け前からお寺に行く。仏陀の像をお世話しているお坊さん。微塵も嘘はみえない。これは正しいことをしている。考えていると、二極が交互にやってきてどちらにもならない。直に体験してみる。感覚で。身体感覚で。すると、わかる。
このエネルギーにウソはない。
ただあの時仲介してくれたお坊さんのエネルギーはなんか変だった。エゴ、自分に集めてくるやり方する人の持つエネルギーだった。
やっぱりどの世界にも2種類いる。
ハートの無私の奉仕なのか、自分のためのエゴなのか。エネルギーが違う。お坊さんの中にも2種類いる。
あの脚の悪いお坊さん、その後何度か会ったけど、たぶんホンモノ。ただ、あの時請求された時は違うエネルギーだったな。。
熱く語っていたガイド、惹きつける、でも、エゴのエネルギー、人の魅力、エゴのエネルギー。魅力的、繁盛してる、人が集まってくる、、それにも2種類。
エゴのエネルギーか、ハートの無私か。
出発する最後の日、日の出前。今日は花を一輪買ってみる。仏陀の像にお供えする。やり方よーわからんけど。大きな塔の中、仏陀の像のまえ、見た目日本人ぽいお坊さん、どこの方だろうか。綺麗な英語で、褒めてくれる、ラッキーなことをしましたね。初めは気がつかなかった、話してみて、美しい。光を放っているひとでした。
その方にはそれっきり会わなかった。
ホンモノとニセモノ、単なるニセモノではなく情熱をまとったエゴのニセモノもある。見分けがむずかしいときがある。でも、共通しているのが、
エゴの情熱的な人を惹きつけるタイプのひとは、必ず向こうからアプローチしてくる。気がつくと引き込まれていて、それに気がつかない。
無私の奉仕の人、本当の人は、静か。インドの道端にいる牛さんの佇まいととてもよく似ている。
あのガイドはニセモノだったのか?真偽はわからない。ただ、その後会ってももう近づいてこない。すぐ近くにいても目を伏せてこちらを見ない。
そして、見てしまった最終日の午前中。あの初めに菩提樹の葉っぱをくれた掃除のオッチャン。菩提樹の掃除もしてたりして葉っぱは手に入れやすいのかな、と勝手に解釈してましたが、、。入り口近くの全然違う菩提樹の散乱している葉っぱを拾い集めている姿を。
あちゃー、
なんか変だなとは思ってたけど。まさかのやってくれてたな。ホンモノとニセモノが、混ざってしまってもうどれかわからない?他にも向こうから近づいてくるお坊さんが何人かいて、やっぱり葉っぱをくれるんです。それと混ざっている。そのお坊さんのもホンモノかはわからない、それと混ざってしまった。
そう、やっぱり向こうから近づいてくる人の、お坊さんも含めての、エネルギーがなんか変な感じがしたので自分が集めて置いた葉っぱとは、なんとなく分けて置いたのでした。
でも、この葉っぱたちはどうしよう。
でも、人間のやったこと、感情や作戦、人のエゴの領域の外側にいる植物の世界。この葉っぱたちはそのままいただいて帰ろう。どうやって使うかな?当たりかハズレか、欲しい人は運試し。
そして、あの塔の中の仏陀の像に触れた葉っぱのチンキ。あれは、どうなんだろうか?お坊さんにもらった葉っぱ。それもそのままに。植物の世界、人のエゴの外側の世界。ホンモノかどうか、いいものかどうかはバイオ仲間に見てもらおう。
そして出発までの時間で、とりあえずひとりで一度トゥクトゥクでスジャータ寺に行ってみました。大きな木はわからなかったけど。
とても小さなお寺で、スティルネスはありましたが、例の学校話を持ちかけてくるお寺の現地のひとが。ま、放って置いて、こちらには大きなガジュマルが。葉っぱが降ってくるので何枚かいただいてきました。その中に、2体の石像が。仏陀と仏陀に手を合わせるスジャータ。なんかその姿が印象的で、スジャータはスジャータから仏陀を見ている。そのリスペクトと、そのリスペクトをスジャータの中にも感じる。
ふと時間が経つと、フツウの石像になってました。
さて、最後の謎解き。あの仏陀の像が持つ、キラキラBOXは一体何だったのか?その答えが空港にありました。
それはまた次のお話。もう眠いのでねる。