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知覚する(海外と日本の違い)

 

 

日本帰って来て、しばらく経って、、だんだんどよーんと染まって来てしまった。日本人になっちゃって、これまで何度か海外いって帰ってくる度に思ってたこと!日本はなんかどよーんとしててもやーっとしてる。風通しわるいなー、もやーん。。というのがなんでか理由がちょっとわかった気がする。

 

なんかどよーん、とするの、考え事、自分の内側に入ってしまって思考とか感情とかのもやーんに包まれ籠ってしまう、感じ。なんでかなー、知覚が違うんよね。日本で歩いてると周り見なくても歩ける。危険はないし、周りを把握するような必要ないから、自然ともやーんの中に入っていく。海外だともやーんとしてたら危ないし、常に知覚を外側に向けて周りをしっかり見てる。聴いてる、などなど。もやーんとしてる空気に包まれて全員でもやーんとしてるのが日本人。そんな感じする。

 

で!なんかだんだんもやーんとして変な感じするし、しんどなってくるから、外側の知覚を試してみると、これまた使い方が違うんですよ。たんに知覚を広げる、というとそれはゼンゼン違う。広げるていうより、、もやーんとしてると、ドットが抜け落ちて眠っていく感じ。テレビやモニターの画面が小さなドットの集まりだとしたら、そのドットのほとんど全部が眠っていって、99%使わず反応しない。内側でもやーんと生きているみたいに。知覚を生き返らせ、海外にいる時みたいに元気に戻るには、知覚を広げるというより、その眠って機能してないドットを目覚めさせる。すると、何を見てるかというと、、もちろん色々見ているけれど、"背景"を見てる。ひと、とか、もの、というより背景。しかも、自然界をみてる。とくに昼間ならわかりやすく、太陽の光。そして、葉っぱ、木、とか、風とか。知覚してる。

 

ても!しばらくしてると、それだけでもなんかうまくいかない、眠ってくる。なにがキーかというと、自然界を知覚してると同時にしていることがある。日本にいてはそれは意識的にしないと難しい、自然界の背景にある原理原則、背景で生命を動かしている"超自然界"。海外なら、インドとか、なら自然ともうそこに流れているような、、。祈りだったり、河だったり、神様だったり。それを知覚してると、元気になる。外に出て、光を感じること、風を感じること。その背景に存在するものに、意識を合わせること。

 

日本のもやーんの原因が少しわかったような気がする。知らんけど。