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内観する←→目を開き、世界を見る。

 

 

ちょっとややこしいかもしらんので

絵で描いてみよう〜。

 

 

 

 

ちょっと前の投稿で、

祈りが必要、、自然界の背景の。

自然界に満ちていて、その原理原則を司る超自然界、、。

 

 

満ちていて、我々を生かし

育んでいる力。

 

 

それが、見える。

目を開いていると。

 

 

 

木々の背景から射してくる太陽の光に

それを、見ることもある。

 

 

 

 

それは、人の個性、”わたし”の範囲の外側、といえる。

一方で、わたしの内側にも満ちている、んだけど、

それは、我(=わたし)ではない、そのもっと背景にある、たとえば生命の力。

 

 

 

 

我=わたし、の世界では、

私の認識し、把握している世界。

 

それは、嘘の世界、、まんま世界を知覚してたりはしないし

幼少期の記憶やら、社会通念やら、家族の歴史やら、国やら、、いろーんなものの

歪みや教育のもと、作り上げているパターンの世界。

 

それは、あるがままではないし、あなたの作り上げた世界。

 

 

 

それが、個性。我、エゴ、わたし。

 

 

 

 

その世界にいる限り、世界は正しくは見えないでしょう。

歪んでいる。

 

 

さて、目を瞑り

ワタシを感じる。

 

 

 

あるいは、世界のなかで

考え事をする。

 

あるいは、ワタシが感じていること

希み、願望。その中にいる。

 

 

とき、

 

 

 

何感じてるんでしょうか?

 

 

それは、閉じた世界、

あなたの世界。

 

 

真実の世界ではない。

 

 

あなた(=我、エゴ)の世界は全てこの中の世界。

 

 

 

 

あなたの世界、我の世界とは、

肉体、感情、思考の世界。

それが”個性”の世界。

 

 

 

まあ、ここでやってるかぎりは

世界は見えないし、

世界にあるつながりも見えない。

 

 

 

あるのは、ワタシの世界、

つながりは、その世界のもの。

 

 

 

 

目を瞑る、と、

我の中に入り、そこからなかなか出てこられない。

 

 

だから、瞑想も難しい。

 

 

瞑想したり、真実を感知するためには、

その土台となっているやり方を

知らないと、いつまでたっても

ぐるぐる回り続ける。

 

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想、

ただ目を瞑って、感覚を追っていくのだけれど

気をつけないと、危ない面もある。と思う。

 

 

自己の内側に入る前に、

その我の前に存在している

自然界、生命力の源

透明なところにつながり、そこから外れたら、

また戻ってくる。(ヴィパッサナーでは外れると常に呼吸の感覚に戻り、また初めます。)

常に立ち位置が、エゴの外。

 

 

それが大前提。

 

 

 

目を瞑る、自分を観察する、

想いに耽る、

 

ぜーんぶ、

エゴの渦に巻き込まれやすい、

 

 

前提となる、

個性の外側から

内観する必要があると思います〜。

 

 

 

目を瞑る、内観する、、は難しい。

まずは、目を開き、

外を見る。

 

そこにある、光を見つける。

すると、

 

自分の中にもその光と同じものがあり、

そこでは

エゴの外側にあるつながりが

わかる。

 

 

 

さーて、旅に出よう!(しらんけど。)

 

 

 

 

 

 

つづく。