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エッセンスを覗き込む

 

 

エッセンスのいる次元は、

人の感情や理屈、Man Made(人間界)の世界から

影響を受けない、透明な繊細な、、次元。

 

 

粗い感情のエネルギーの波動は

影響されない、次元の世界。

 

 

 

ところが、

 

 

 

ホーリーエッセンス、のボトル。

 

 

 

エッセンスを保持しているのは、瓶。

それには、高純度のアルコールが入っており、

そこに、エネルギーは保持される。

 

 

 

植物の、鉱物の、場の、聖地の、エネルギーが

保持された、エッセンス。

 

 

 

そのエッセンス自体は影響を受けることはない。

 

 

 

 

が、

 

 

 

 

どうやら、そのボトル自体は、

変えられてしまうことがあるようだ。

 

 

 

 

 

 

そのボトルのエネルギー、

それを覗きにいくと、、?

 

 

意図を持って、あるいは、感情を持って、

それを、覗きにいくと、、?

 

 

 

どうやら、そこに保持されたエネルギーを

追い出してしまうことがある”かも”しれない。

 

 

 

 

あるいは、そこに保持されたエッセンスの瓶に、

その意図を、入れてしまう、混ぜてしまうことに、

なるようだ。

 

 

 

 

エッセンスを変えてしまう。

というより、

エッセンスを保持した瓶を変えてしまう。

 

 

 

 

そんなこと、やりたい?

 

 

 

 

聖地のエッセンス、

そこを我が覗き込み、人間の臭いを足跡を入れる、

感情が保持されたり、その圧で、、液体から本質を追い出したり、、

 

 

 

 

なぜ見にいく?

わかりたいから。。

 

 

 

 

頭での理解を

望む時、

感情で囚われたフィールドを向ける時、

その瓶は、変えられてしまう。

 

 

 

 

 

なぜ見にいく?

 

 

 

 

 

なぜ、そうしたい?

 

 

 

 

寂しさ、悲しさ、喜び、

執着。

 

 

 

その

モヤモヤのフィールドで本質を押しのける。

 

 

それが、

我のモヤモヤ、感情や知りたいこと、

知的な観察、がやってること。

 

 

 

。。

 

 

 

では、初めに戻り、純粋なエッセンスを保持した瓶があるとする。

そのエッセンスは、働くのか?

 

 

 

 

手に取ってみる、、あるときは

すぐにわかる。

こんな感じがする。

 

 

 

本質に、触れ、

それにシンクロする。

 

 

 

 

あるときは、、わからない。

ぜーんぜん、わからない。

だから、見にいく。

覗きにいく、、。

すると、圧迫し、瓶を変えてしまう。

 

 

 

でも、そういうとき

第三者がみていると

どうなっているか?

 

 

 

感情や知りたい欲で、見に行っている時、

もやーっと、フィールドがしてる。

 

そこからは、わかるわけがない。

 

 

 

わからなくてもいい。

わからなくてもいいんです。

 

 

それは、ちゃんと働いています。

エッセンスに、感応しています。

 

 

初めに戻り、瓶に触れる。

 

 

第三者から見ていると、

ただそのひとが瓶に触れた時、

明らかにフィールドが変わる。

物理的に、雰囲気が変わる、姿勢が変わる。

 

 

 

 

わからなくても。

 

 

 

 

もやーっとしたフィールド、

わかりたいフィールド、覗き込みにいくフィールド、知的好奇心によるフィールド、

そのときは、もやーっとしたフィールドに包まれている。

 

 

 

そこから、わかるわけはない。

 

 

 

 

第三者の、感情を纏わない、

一番透明な静かな場所からみてるから、大丈夫。

 

それは、あなたの中のエゴ(=我)の外側、

あなたの中の、静かな場所は、

エゴがどうしようと、迷おうと、覗き込もうと、わからなかろうと、

ちゃんと、あなたの中の静けさが見ています。

 

わからなくても、頭でわからなくても、

わからなくても、知覚で捕まえられなくても、

ちゃんとわかっているし、ちゃんと知覚しています。

 

 

 

いつかもっとわかるようになるかもしれないし

知覚できるようになってくるかもしれない。

 

 

 

 

わかっていようが、なかろうが、

エッセンスに触れることで、

その振動にシンクロし、自分の中のエッセンスは感応している。

 

 

 

聖地のエッセンス、

そこに、自分のエッセンスが反応している。

 

 

自分の、液の中の液、に記憶していく。

 

 

 

。。

 

 

 

エッセンスを摂って、

その反応が起こる、

それが、わかる、、だからなんだろう?

エッセンスは、どうも、

今知覚できて、わかって、反応して、効果があって、、というところはほんの表層の一部にすぎず、

そこに、こだわることも、価値を持たせることも、焦点を当てて分かろうとすることも、全然もしかしたら見当違いかもしれないよ?

 

 

聖地に触れた時、その場で感じることもある。

しかし、わからないところで

何かが、反応している。自身のエッセンスと、聖地のエッセンスがで会う。

 

 

 

そこに分析は不可能、不要、意味ない、、無限の彼方に広がるエッセンスを

わざわざ知的のせまーい範囲に閉じ込めることはない。

 

 

 

 

エッセンスに、ボトルにリスペクトがあれば

それを忘れなければ、

自然と、無限の世界につながるのだと思う。