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ロルフィング体験記 R.F.さま(女性)

 

ロルフィングの体験記をいただきました。

 

 

R.F.さま(女性)

 

 

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10月の終わり、とうとう最後のセッションが来てしまいました。ふと思い立ち、出がけに以前の記録をざっと読み返してみたものの、なんだか気持ちがソワソワと落ち着きません。ロルフィングがどういうものかもわからないまま、時に何ヶ月も間が空いたりしつつ、ここまで来てしまったなあ……そんなふんわりとした感覚のまま、岡田さんのところへ向かいました。上着は必要ながら、比較的あたたかく、穏やかな秋の日でした。
「最後ですねえ」「最初は、いつだったんでしたっけ?1年前くらい?」「うーん、どうでしたっけ?」「忘れちゃいました」……お互い、そんな感じです。「最初」が「いつ」だったか、季節さえ思い出せないなりに、最初よりもずいぶん素直に話せる相手になっていることだけは、確かに感じていました。

「前回は5月ですね」と確認され、5ヶ月も空いていたことに自分がびっくりでした。後半は随分ゆっくりペースになっていたのです。「その後いかがですか」「次はいつ頃にしますか」などのご連絡が一切ないのも、実に岡田さんらしいです。
お会いしていない期間も「セッションの間隔は人それぞれ」「間があいても(10シリーズの効果に)影響はない」という岡田さんの言葉を信じる気持ちがあったこと自体、今思うと、心配性の私の根っこをほぐし、「大丈夫」という栄養を与え続けてくれていたんですね。これってすごいことだなと思います。

セッションが始まってまもなく、足先から胸のあたりまで、一本の線が通る瞬間があったことを覚えています。毎回似たようなことが起きるのですが、毎回驚くし、不思議で、ほんのりと嬉しい感覚です。その後は眠ったり目覚めたり、意識があったりなかったり。岡田さんがロルファーとして触れてくださっていることは、もう私にとっては、自然すぎていました。緊張感はまったくなかったし、外から聴こえる小鳥のさえずりのほうが記憶に残っているのが、それを物語っています。
とても深いところから目覚めてまどろんで、このままずっと横になっていられそうでした。身体をゆっくりと起こす時には、幸福感に包まれていました。

ところが、ベッドから降りて椅子に腰かけると、勝手に気まずくなりました。何か振り返りやまとめを話したくなる自分と、そんなのどうでもいいよと思う自分と、やじろべえのようにゆらゆらするのです。前者のほうにやや傾き気味で、「最初の頃は……」と記憶を辿ろうとしました。それもそれ、なのですが、そうして過去のことを掘り返すことよりも大切なことがあるんだと、もう気づいていました。

10シリーズでお世話になった1年8ヶ月の間、身近な友人や夫も含めた誰よりも、私は岡田さんに、自分の感じていること、考えていることを、ありのまま、包み隠さず、素直に語っていました。「今」を感じ、次にやってくる「今」をまた感じる、生きるのはその連続だと思うと、湧き上がってくる想いをその場で受け止めてもらうことが、どれだけ有難いことだったかと思います。

その日の帰り道は、ちょっと真面目にあれこれ話そうとしすぎたな、とも正直思ったのですが、そんなちっぽけなひとり反省会なんて、どうでも良いことだった、と思うようなことが、その後、待ち受けていました。

軽井沢の自然の中で、極寒キャンプを体験した11月。
夫が流行りのものに罹り、3日後には私、1週間後には子どもたちと、家族で丸2週間、家に缶詰になった12月。
どちらも、意図せず人生観が変わった出来事でした。後者は首の痛みから始まり、立てないほどの高熱、懐かしい目眩、脚や胸の痛み、耳の奥の痛みとオンパレード。さらに嗅覚と味覚がゼロになり、喪失感に包まれながらも、周囲からの支えをシャワーのように浴びて、満たされて過ごしました。
家族との、これまでにない、これから先ないかもしれない、くらいの、とても濃密な時間でした。
夫は、社会復帰2日目になんとか参加したワークショップ先で岡田さんと出会ったそうです。神様は面白いことをするものですね。

物質的なことでは、結婚指輪を紛失。知らないうちに指から抜け落ちたらしく、見つからないのですが、不思議と落ち込んでいません。
身体はまだ回復途中で、じっくりと向き合っていくつもりですが、身辺整理をしたくなり、持ち物をどんどん手放しています。

すべて、10シリーズを受けた流れが続く中で起こったものなのだと感じています。でも、「何が起きたか」「それらは幸か不幸か」「こうするべきだ」ではなく、目の前のことをひとまず受け止め、できることなら手放してにっこり笑って、ただ変化を見守ってみよう、と思うようになりました。そう、これが私には、なかなか出来なかったのです。相手をどうにか変えてやろう、こう感じさせてみたい、自分は絶対にこうしたい、あんなふうにはなるまい……そんな強い欲望と不足感が常にあり、ちょっとしたことで落ち込み、不機嫌になって。
それが、イライラすることは格段に減りました。毎日が愛おしく、子どもたちにも、光を感じるような変化が起きています。

この文章を書いているのは、2022年大晦日の早朝です。セッション10の後2ヶ月も経ってしまった、岡田さんをお待たせしてしまった、と申し訳なく思うこともできるし、色々あっての最適なタイミングに書けてよかった、と思うこともできます。どちらでも選べる、そんな余白があることを、今静かに祝い、感謝したいと思います。


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全10回、本当にありがとうございました。
来年も、たまにひょっこり、受けに行くと思います。
どうぞよいお年をお迎えください。

 

 

 

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《9回目までの各回の感想》

 

 

体験セッション

(体験)
目眩から始まり1ヶ月半ほど体調が優れず悩んでいたところ、友人からの紹介で岡田さんのことを知りました。初めて伺った日は、衝撃的な体験をしました。
心臓がドクンッと何度か波打つような感覚があったり、触れていただいている足の方から首のほうまで何かが流れる感覚、これまで何も感じたことのなかった耳の奥にじんわりとした痛みが生まれたり、また、長らく痛みを感じていた部分と左右反対側のところに違和感を感じたりと、次々と不思議なことが起こりました。
眠ってもいい、とはじめに言われていましたが、驚きと緊張の中で、深呼吸をするのが精一杯。「何?」「今、ここをこう感じてるんですけど」「えっ」「面白い…」などと、(聞かれてもいないのに)呟いていた気がします。岡田さんは「そうですか」「うん」と、ただ受け止めてくださって、「どうしますか?続けて大丈夫ですか?」と確認してくださり、安心感をもって受けることができました。
最後に頭部に触れていただいている間は、感情の変化がありました。あたたかく、やさしく、うれしいのに、恥ずかしいような切ないようなありがたいような。
終わってから、感じたこと思ったことをたくさん喋りましたが、分析癖のある私は今思うと「答え合わせ」をしたかったのです。でもやはり岡田さんは「そうでしたか」と、時ににこやかに、時に真顔でおっしゃるだけで、そのフラットな姿勢にハッとさせられました。ジャッジしたり答えを教えたり、正しさへ誘導したりを、一切しない方なんだ…。そうしてただ受け止めていただいている中で、だんだん自分の話す言葉が薄っぺらく感じてきました。私は今回の体調不良以前、子ども時代から様々なことに敏感で苦しさを感じやすかったため、様々なことを学んできたものの、結局「わかったようなつもりになっていること」ばかりです。実体験として腑に落ちたこと以外は、ただの知識であって借り物の言葉。そんな借り物の言葉どうしを掛け合わせて、正しさはこれ、答えはこれ、と判断し、振り分ける癖がいつのまにかついていたことに、この時気づかされ、愕然としました。

岡田さんには一度だけ「起こることや感じることは、問題としてフォーカスするとそこから抜けられなくなってしまう。すべては過ぎ去っていくものとして捉えて」というようなことだけ言われ、また目の覚めるような思いでした。

その日の帰宅後、家の中の空気が全くちがって感じたのが印象的でした。いつもは、やらなければならないことだらけで重たく感じているのに、明るくて軽くて、場全体が自分の味方のような感覚。心はとても穏やかで、家族にもとても丁寧に接することができました。
岡田さんとの出会いを、心から嬉しいと思いました。


セッション1

(10回コースのセッション1)
体験からセッション1までの間は、引き続き耳の奥に嫌ではない程度の痛みを時々感じることがあったり、怒りと悲しみの感情が噴出したり、落ち込んだりしました。目眩はいつのまにか消えています。
岡田さんへの信頼があり、初回に比べて私の気持ちはリラックスしていました。セッションが始まると、前半は咳がたくさん出ました。そして(すっかり忘れていましたが)、数日前に痛かった膝のあたりに、もやもやと変化を感じ、そして消え去って行きました。それはとてもやさしく、幸福感さえ感じる体験でした。「自然治癒」という言葉がありますが、まさに自分の中にある治癒力を、岡田さんが引き出してくださっていることを実感したのです。
その後はスーッと身体が沈んでいくような感覚が何度かありました。多分眠っていたのですが、普段の睡眠とはまったく違っていて、目覚めた時に「起きていたような気もする」というのが不思議でした。
岡田さん曰く「かなり深いところに行って帰ってきた」という様子だったらしいのですが、自分ではよくわかりませんでした。
終わって腰掛けると、前回の時のように色々喋りたくなるかと思いきや、何か喋ろうとすると、ただただ頭の中が真っ白で、何も出てこないのです。頭が真っ白と言うと、気まずいシチュエーションで使うことの多い言葉ですが、この時は不安や焦りは感じず、少し黄色がかった白い光で包まれている、本当にそれしかない、言葉がない…ただただまっすぐに白い。それ以上でも以下でもない…。ある意味、放心状態でした。
少し経ってから、動かない頭をむりに動かそうとする自分を感じました。また分析や答え合わせをしたくなったのです。でもそれは、いつものような強烈な欲求ではありませんでした。
知りたい、掴みたい。まあいいか。もやもやするなあ。でもいいんじゃない。
ぼうっとする中であっちとこっちと行き来して、よくわからないまま、セッション1を終えました。
今回はセッションから帰宅まで時間があったためか、帰宅後に前回のような「家の中が違って見える」ということはなかったのですが、鏡で自分の顔を見ると、いつもは険しくなりがちな目つきが、やさしくとろんとしていて、別人のようでした。苛立つ場面もありましたが、全身燃え滾って怒る、ではなく、不思議と目の奥は座っているというか、自分の中に安定した呼吸とリズムのようなものを感じました。



セッション2

雨の降る冷え込む日でしたが、到着するとお部屋をじゅうぶん温めておいてくださって、それだけでホッと緩みました。
前回から今回までの間には、自分の中に大きな気づきと、深い穏やかさがうまれていたことと、身体的には首の寝違えがあったもののすぐに治ったことを伝えた後、安心感の中で施術が始まりました。
前半は、まず胃のあたりがポンッと動いた感じ。その後、お決まりの咳。喉のところで粘液が絡むような咳でした。
ぐるぐる考え事がやまず、なかなかリラックス状態に行けない時間が、前回より長かった気がしますが、ふと気づくと、下に下に沈み込む感覚を覚えました。呼吸も深くなっていたと思います。意識がとんで、眠っていたのかもしれません。が、起きていたような気もします。考え事はとまっていて、感情も「無」のような状態でした。
途中、突然歯がカチッと音をたてて、驚いて我に返った瞬間がありました。一度だけでしたが、何かのスイッチが押されたような不思議な感覚を抱きつつ、また目を閉じ、いつのまにか沈み込みました。
頭部に触れていただいている時には、岡田さんの呼吸が聞こえました。だからどうということもなく、心が乱れることもなく、「ただ、聞こえている」。
自分も含め「人間が呼吸をしている」という事実だけを味わっていました。
そのうち、前回と同じく左側の後頭部が痛み出しました。前回は手を触れるとそこに吹き出物ができていたのですが、今回はなかったです。
そういえば、できてはひっこみ、また別の所にできてはひっこみ、を繰り返していた頭部のあちこちの吹き出物は、ここ1週間ほど、すっかりなくなっていました。

施術後、静けさの中で思うことをぽつりぽつりを話し、聴いていただきました。自分を満たしていなければ人に優しくはできない、とはよく言われます。でも「満たす」ということが、「あれをすれば満たされる」「これを手に入れれば満たされる」と、どんどん加えて広げてという方向に行きがちだった私。この時に、そうではなくて、「引き算していくこと、削ぎ落としていくほうが、自分を満たすことにつながるのではないか」と、ふと思いました。
岡田さんのおかげで「素」の自分を引き出されているのかもしれません。ただ生きているだけで、充分だ…という心地がしてくるのです。その想いじたいが、自分に豊かさをもたらしてくれます。
自分の中に、もう充分、ある。
悲しい、嬉しい、といった感情ではなかったのに、涙が出てきました。最初は左目だけ。そのうち両目から。「頑張ることをやめたい」という本音が、ぽろりと出ました。
終了後の半日は、身体が手足の指先までずっと身体がポカポカと温かく、就寝まで持続していました。


セッション3

体験と1回目、2回目より少し間があいた3回目。
これまでは毎回、ひとりで静かに過ごす時間を持ち、ほぼ身体を動かすことなくセッションを受けるという流れでしたが、今回は仕事後(接客業)。特に職場が賑わった日で、身体も動かしたし、多くの人とやりとりをした後でした。
疲労もありつつ、ハイな状態で岡田さんのところへ伺いました。

いつもながら、シンプルなお部屋の中に入ると、とてもホッとしました。
半日たくさん動き、歩いてきた後だったのに、
改めて「歩いてみて」と言われて室内で歩き、
「どこか気になるところはありますか?」と聞かれた時に初めて、左の股関節あたりに音が鳴るような違和感があることに気づきました。

仰向けになり、深呼吸。
足に触れていただきながら、リラックスして身を委ねている自分がいました。
とはいえ、午前中の刺激が体内に巡っていることを実感。
しばらくの間、身体じゅうがビリビリとしびれる感覚がありました。
自分の身体で起きていることを、どこか客観的に感じる時間。
あらためて、今日私は頑張ったんだなあと思いました。
仕事後、そのまま帰宅していたら気づかなかったかもしれません。
しびれは、いつまでも続くかと思われましたが、ある時フッと意識がなくなったようです。
次に気づいた時は、とても深い眠り、休息から戻ってきたような感覚でした。

その後は、触れられていること、自分が起きていることを感じながらも、眠っているような?夢なのか?前日に気になってモヤモヤしていた出来事に関わるイメージが、見えていたりもしました。
また、突然右胸のあたりで「ポンッ」と何かが弾けるような音がしました。

だんだん後頭部中央に痛みを感じてきたところで終了。
起き上がり、しばし茫然。
立ち上がって、ゆっくり歩いてみると、重心がどっしりと下がっている。しっかり地に足がついている。施術前とは全然ちがう身体のように感じ、驚きました。股関節の音もありませんでした。

そういえば、毎回前半に必ず咳が出ていましたが、今回出なかったのは、午前中に身体を動かしていたせいなのか…わかりませんが。
また、口を開けるたびにカクカク鳴っていた顎関節の音が、最近気にならなくなっていることにも、今回終わった時に気づきました。

前回から今回までの期間、身体的にも精神的にもしんどいことが続いていました。でも3回目の施術を受け、最近の色々なことを振り返って、
こんなことがあったとか、
忘れたり流したりしていたけどそういえば、
などなど、
岡田さんに聴いていただいていると…
意識とは別のところで(内臓とか、神経とか)、自分の身体が「生きる」ために、排泄したり巡らせたりーそれは私にとっては痛みとか痒みとかで「嫌悪感」として扱うものになっていたけれどー大切なことをしてくれているんだなあ、ありがたいなあ、という想いがわいてきました。

めまいが始まった頃から2ヶ月ほど(めまいはもうすっかりありません)、運動も怠っていて、すっかりだらけた身体になっているのもちょうど気になっていたところ。
春だし、そろそろ動き出そうかなと、おかげさまで明るい気持ちになりました。

翌日から、しばらく感じていなかった右耳の奥の痛みが、時々感じられています。岡田さんのセッションの後、かならずこれが起こるのが不思議です。これもきっと、何かを調整している証なんだろうなと思っています。

あたふたしないで、「そうなんだな」と見守れる姿勢を持てる自分が心地よいです。我が子に対しても、そうあれたらと思います。


セッション4

4回目のセッションは、多忙を極めた春の始まり、今思えばとてもありがたいタイミングに予約ができていました。やること満載で毎日ヘトヘト、怒ったり嘆いたりする時間さえ惜しく、こなしていくしかないという状況が、少しだけ落ち着き始めた日で、岡田さんのところに伺うのがとても楽しみでした。
前回からの間は、カラダのことに気持ちを向けることがあまりなく、岡田さんと向き合ってから「耳の奥が痛むことがあった」「そういえば腰が痛い日があった」とぽつりぽつり、思い出していました。
最初に室内で歩いた時は、右側に傾いているような気がしました。
長らく頭の中が忙しかったので、前半はしばらくの間、したことやこれからすることなど、タスクがぐるぐる。前日は9時間ほど睡眠をとったので、今回はセッション中ずっと起きているかも、と思っていましたが、いつのまにか意識がとんでいました。
呼吸は落ち着いていて、咳き込むこともなく、気持ちのよい目覚めでした。とてもスッキリ感があり、心も晴ればれしていました。
起き上がって立った時に、重心がどっしりと下にあることを感じて驚きました。さっきまでは、ものすごく浮ついていたということに、その時初めて気づきました。頭ばかり使っていたからでしょうか。同じカラダとは思えないほどで、なんだか面白くて楽しい気分です。
様々な変化が起こった1ヶ月を乗り越えての新生活真っ只中。ふとセッション1の時を思い出すと、めまいをはじめ、精神的なストレスが強く、思い悩んでいたなあと、ほんの2ヶ月ほど前のことなのに、ずいぶん前のことのように振り返りました。
パートナーと「わかりあいたい」という想いが強すぎたこれまでの自分に、気づいてきたところです。白黒どちらかに決めないと気が済まない、という気質にも。
セッションを受けてきて思うのは、カラダはあくまで自然の一部なんだということと、そんなにはっきりとした答えをくれるわけじゃないし、正解もないということ。
岡田さんをただ信頼し、ゆだねることができる。そして起きたことを、ただ受け入れる。それ自体が私にとって贈り物のような時間だと思います。


セッション5

はじめに5回目ですね、と言われて不思議な感じがしました。「5」という数字が、少ないのか多いのか。10回のうちの半分ではある。岡田さんと初めてお会いしてから今日までの期間が、短いのか長いのか。どちらともとれました。特に意味もないようなことですが、なぜだか印象深いシーンでした。
あと半分で終わりと思うと、不安な気持ちを感じなくもないのですが、体験や初回の頃を改めて思い出すと、けっこう変わってきていることに気づき、少し驚きます。
子育てコミュニティだけで暮らしていると(そのコミュニティにいられること自体が幸せであるのは大前提として)、「もっと社会で自分を活かして役立ちたい」という欲求が満たされていないため、自分の存在価値に自信がなくなっていくような感覚がありました。
でも、社会の歯車の中にいてもいなくても、私の体は、日夜動いて、確かに止まることなく生きている。その生命維持の繰り返しの中で、実はすこしずつ色々な調整がされながら、思考も行動も変化していたようです。
これに気づくと、存在価値という言葉じたい、使ったりイメージしたりするのがナンセンスな気がしてきます。
前回から今回までは、あまり自分の体のことを気にしておらず、痛みや違和感などを感じることも、悩むことも、ほとんどありませんでしたが、自分よりも子どもや夫を優先することが多く、とにかく意識が向いていなかっただけなのかもしれません。疲れは溜まっていました。
セッションの始めはホッとして穏やかな気持ち。早い段階で意識がとんで、戻ってきた時にはとてもスッキリと、視界も心も明るくなっていました。どこかへ行って帰ってきたような、その間は体が透明になっていた気がしました。短く感じたのですが、実はこれまでより長めだったとのことで、意外でした。とにかく気分が良かったです。
セッションが終わると、どっしりと重心が下がって、踏みしめるような感覚が心地よかったです。ふと、「あり方」のようなものを少し考えさせられました。いかに自分が他人軸で生きているか、答えを白黒どちらかに決めたがっているか、といった癖を、痛感した時間でもあります。
誰かがこうだから自分はこうする、誰かがああ言うから自分はこう言う。相手がこうしたからこうなった、なんて責めたくなる。そこから抜け出したところに本来の自分がいるのかな、と思いました。その自分と深くつながる時間が増えていくことが、ラクに、そして「素直に」日々を暮らしていく、助けになるのかもしれません。


セッション6

街がクリスマスに彩られ始めた11月下旬。久々のセッションは、いつもとは違うスペースでした。何度か出向いたことのある場所だったのと、不安要素は事前に岡田さんとやりとりして解消されていたこともあり、心から楽しみな気持ちで向かいました。少し早めに会場に到着したと思ったら、セッションルームの手前で岡田さんにばったり。明るい歓迎を受け、素直に嬉しくなりました。
前回のセッションは夏前だったような記憶でしたが、なんと5月…半年もたっていたとは。
その間色々なことがあり、子育てで行き詰まったので、立て直すために集中的に勉強したこと。親子関係が改善されたことでつい欲が出てしまい、いくつもの草鞋を履いて、再現なく頑張りすぎたこと。結果、軽い目眩や発疹などが現れ病院に足を運ぶも、薬を使うことがどうも納得できなくて、近所の鍼灸にお世話になったこと。ここまでの経過を、岡田さんに話しました。
それなりに深刻なエピソードではあったのですが、半年分を数分で話すという行為そのものが、実はすでに自分を癒し始めていた気がします。何より岡田さんが、しっかりと受け止めてくださりながらも、ふわっと明るい雰囲気をまとわれていたので助かったのです。ただただ「出来事」として取り扱い、安全に話すことができました。もし「それは大変でしたね」なんて言われたり、共鳴されるようなことがあったら、不必要な過去の感情をひっぱり出して、もっと揺れていたかもしれません。
こう書いて、不思議な気持ちになっています。誰かの悲しみや苦悩の話を聞く時、私自身は、共鳴しようとしてしまう人間です。表情も声も、ニュートラルな自分よりもかなり上乗せし、もはや演技がかった振る舞いをしがちです。そして疲れます。相手がそれを求めているはずとどこかで思っています。でも自分はというと、岡田さんの動じない、けれど受け止めてくださっている感覚は持てるあの感じに、安心しているのです。安心できるコミュニケーションのかたちが自分の内外で一致することって、大切なことなんだなあと思いました。

セッションの間はとても心地良くて、気付いたら眠っていました。頭部や顔面に触れられ目覚め、あたたかい気持ちに包まれていました。
終了後は安心感と幸福感でいっぱいで、「このタイミングで来られてよかったです」と、心の底からの気持ちとともに、1ヶ月後のセッションをお願いしました。
今回、岡田さんから、手作りのチンキのお話がありました。はじめの頃に、お部屋に並んでいるものを見て私がコメントした時には、あまり反応をしていただけなかったので(ご意思あってのことと思いましたが)、素直に嬉しかったです。でも自分で作るのはもう少し身体が整ってからのほうが良い、ということで、その日がくるのが楽しみです。


セッション7


セッション8

8回目の感想です。


前回からまた数ヶ月経っていました。この間、身体的に色々な変化がありました。落ち着いていた顎関節症が、ある朝突然悪化して口がほとんど開かず、食事が苦痛になったり、腰痛が再発したり。疑問を感じていた人間関係に見切りをつけたりもしたため、精神的に追い詰められるような感覚になることも多く、だいぶ疲れていました。

この日はセッションルームの隣で工事中。電動ドリルなどの音がすぐそばで聞こえている状態に少し戸惑い、緊張していました。この環境でリラックスできるだろうかと、不安な気持ちがなかったわけではありません。が、仰向けになりいつものように足から始まりしばらくして、左の足先の方から脚付け根、胸のほうにかけて何かが上がってくる、流れてくるような感覚があり、その後の記憶があまりありません。すっかり忘れていたのですが、そういえばセッション前に岡田さんの前で歩いた時、左の脚の付け根が動きにくい気がする、と自分で話していたのでした。

工事の音は聞こえていて、岡田さんの声も触れられている温度も憶えているのですが、かなり脱力していました。深いところと現実を行き来していたような感じです。眠くて眠くて動きたくない…と思うほど、安心して(甘えて?)休ませてもらっている状態でした。

ふと、どうしますか、まだ寝ていますかと声をかけられました。正直いつまでも眠っていられそうなほど沈み込む感覚で、まだまだ眠かったです。こんなに安心感と脱力感を味わったのは久しぶりでした。頭はスッキリしていたので、身体を起こしました。

立ち上がって歩いた時、スッと腰が伸びたような気がしました。

その後、話をしましたが、岡田さんから、実は(工事が)今日が一番うるさかったかも、と言われ笑ってしまいました。それでも関係なくセッションが進んだこと、何より私自身があんな音量の中眠れてしまったことが、不思議かつ可笑しかったです。

植物療法やネイティブアメリカンの話、「好きなことを語る」ことについての話など、楽しく会話をさせていただいたセッション後の時間。「自然であること」とは…?と、この日から気になっています。
その影響か、今まで「こういうものだから」でスルーしていたようなことが、やけに引っ掛かるようになり、正直苦しくなる場面が増えています。でもこれは、何かに気づいたからこそのもの。無意識に蓋をしていたことが、次々と目の前にはっきりとした形で現れ、私自身に問いかけてくるのです。「それを私は本当に望んでいるのか」と。
考えるよりも先に姿勢に出るはずという話も、興味深かったです。

数日後、家の中の北側の、手付かずの部屋の整理に取り掛かりました。暫く、こんな部屋は嫌だ嫌だと思いながら手をつけられずにいた部分に、ふと切り込んで行きたくなったのです。変化の風が吹いています。


セッション9

セッション9の感想です。



しばらく行けていないとは思っていましたが、なんと半年ぶりのセッションでした。予約していた日に、息子の体調が気になり休ませることになり、私ではなく息子に岡田さんのセッションを受けてもらうという日があったのでした。私としてはセッションが受けられず残念でしたが…、息子は、言葉少ないながらに、岡田さんを信頼している様子が親の私から見てよくわかりましたし、身体に触れてもらい、お庭の草花を見せていただいたのも嬉しかったようです。めぐりがよくなり、顔色が明るく、ご機嫌になって帰りました。
私自身も、息子を通してあの場の空気を感じ取れたので、とても心地よく、明るい気持ちで過ごさせていただきました。

さて、そんなことがあっての、やっとたどり着いた9回目。
この日を迎える前、私には大きな心境の変化が訪れていました。
マインドフルネスや、セルフコンパッションというキーワードで発信をしている方とお話する機会があり、自分が追い求めていた「幸せ」の概念自体が歪んていたことをガツンと指摘されたのです。
何かができるようになったら、目標を達成したら、思い描くイメージを現実にできたら、私は幸せになれるはずだと信じてきました。でも、高揚感や自己肯定感は得られても、その条件のもとではあくまでも一時的なものに過ぎません。小さくても、今ここにあるものを見いだし、味わえたなら、例え部屋が片付いていなくても、体調がよくなくても、幸せを感じることはできるのだとわかったのです。
そこから芋づる式に、あらゆる気づきが次々にやってくるという日々。こだわりを手放し、かわりに新しいやりかたを取り入れたり、少しでも違和感を感じたら、横になって休息してみたり。その結果、心がどんどん軽くなってきていたところでした。
が、体調は低迷期。右手に現れてどんどん悪化している湿疹や、久しぶりに最初しためまいに悩まされていました。
このアンバランスさがまた、体調と精神状態は必ずしも比例しない、という気づきにもなりました。

そういえば、岡田さん宅に向かう時、なんだか今までと違う、と感じました。たとえば、電車内で目に入る広告への感じ方が違う。一歩一歩がどっしりと、地に足がついている感覚。

そしてセッションが始まると、ひさしぶりで緊張していたのか、期待しすぎて興奮していたのか…思考がぐるぐるとまわって、身体もどこか、こわばっていました。
でも突然、足のほうからスーッと一本、上半身のほうまで何かが通るような感覚があり、そのあと脱力して、意識が遠のいた気がします。
何度か意識が戻ったり遠のいたりを繰り返し、呼吸はそのたびに少しずつ深く。

終了後、ゆっくり起き上がる時に、あたりまえのようにめまいが起こりましたが、そのことに大して気持ちが揺れなかったのが不思議です。それはそれ、私は私、という感覚。今は、体調不良とともにあるけれど、だからといって全てがダメになるわけじゃない、と思えるのです。完璧主義で、理想に届かないことがあると不機嫌になりがちだった私には、このやわらかな感覚が新鮮でした。

椅子に腰掛けた時、これまでのセッションでは比較的ボーッとした状態だったと思うのですが、今回は早々に、自分に起きている変化を夢中になって話し、岡田さんにただただ聴いていただきました。
安心感の中で、感じたことを言葉にして自分の耳で聞く、というのもまた、自分にとって、さらなる追体験のようになったようです。受け止めていただいていることがとてもありがたく、嬉しい気持ちでした。

ここに来ることになったきっかけが「めまい」だったのを思い出しました。当初と比べて、その症状に対する気持ちも変わっていることに気づけました。「敵」ではない、ということです。



 

 

 

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体験記はこちら。