補足

私のロルフィング」ページで話が長くなりそうなので、こちらに補足として分けました。注釈みたいなものです。


構造が整う

 

ロルフィングは、10回で完結します。レシピが存在し、1〜10回までの各回に何をするのかが決められています。

 

 

 10回の”手順”を行い、変化を積み重ねると、、重力と調和する。

 

全身がくまなく扱われ、部分が忘れ去られていません。ある部分だけが変化するのではなく、全身のバランス点が重力と調和したところにシフトしますので、元には戻らないと言われます。

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※部分だけをマッサージして変えても元に戻るのは、バランス点が変わっていませんので、重力下で倒れないように、自然と元のバランス点に戻らざるを得ない、ということが一つあるでしょう。

※ 一方、ロルフィングは身体が統合されるので元には戻らないと言われます。各回の内容を絵で描いてみたページがあります。

  

 

 ロルフィングは”プログラム”であり、手技のことではない。

 

10回の内容が決められている、、各回の内容や目的を達成することが、ロルフィングです。その”手技”には、決まりはありません。各回に求められる変化を導くことができれば、手技に決まりはないのです。

 

 

 ロルファー(施術者)によって、使われる手技が異なる。

 

ロルフィングはプログラムであり、その内容を達成できれば”手技”に決まりはない。ですので、ロルフィングには施術者によって様々な手技のバリエーションがあります。強圧の持続圧を用いて変化を導くロルファーもいれば、軽く触れるだけの手法を用いるロルファーもいます。

 

 

 私のロルフィングは軽く触れるだけ、痛くない。服を着たまま受けられる。

 

わたしの手法は、主にオステオパシーのバイオダイナミクスやバイオエナジェティックの手法です。それは、また別の箇所で詳しく記載しようと思いますが、軽く触れるだけ、静かに待っている、、瞑想のような静かな施術です。

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※一般的に、ロルフィングの施術者で多数を占めているのが、強圧の持続圧を使う手法です。このタイプのロルファーさんが多いのは、ロルフィングの学校で習うのが、強圧の持続圧で体の組織を変形させる手法だからです。このタイプの手法は、痛いことが多いようですし、服を脱がなければならない、です。服を脱がなければならない理由は、肘や拳などで強圧の持続圧をかけながら皮膚をスライドさせて筋膜をのばす、というやり方をするからです。

※少数派ですが、軽く触れるだけの手法のロルファーさんもいらっしゃいます。(こういった方々は、学校卒業後もあらゆるジャンルの勉強を続けておられ、様々な手法を学んでいます。勉強は一生続きます。)このタイプの施術は服を着たまま受けられます。

※軽く触れるだけ、といっても様々なタイプがあります。その辺についても、また別の箇所で詳しく書こうと思います。※私の手法は、ロルファーさんでロルフィングに使っている方はほとんどいないのではないかと思います。

 

 

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10シリーズのプロセス

 

 プロセス、成長、学び、気づき、進化。

 

10回のシリーズに臨む。その、コミットがある方と、10シリーズの期間をご一緒する。そのプロセスを見てきました。人として変化していく。自然なあり方に近づいていく、、その過程で、思うことや、学びがあったり気づきがあったり、、ロルフィングってそういうもののようです。

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体の変容とともに、(過去の傷や歪みの解消とともに、)体に保持していた、歪みや衝撃のエネルギーは解放されていく。そして、それと同時に、、本来の生命の力に満たされていく、その10回のプロセス、、過程。

解放が目的ではありません。 解放には注意が必要です。解放して放置すると、崩壊するか、、あるいは、その何かが抜けていった跡に、別の何かが入ってきてしまう。 解放して放置せず、解放と同時に、、内側(自分の中心軸に満ちている生命の源、本来の姿)から本来の生命力で満たされてくること(=統合)が、必要です。

 

 

 この世って?この体って?

 

10シリーズのプロセスの価値。それは、存在を取り戻す、ということであるかもしれないし、わからなかったことがわかってくる、ことかもしれない。この世界の成り立ちは?この体の意味は?意識のレベルの違いとは?

 

 

 体の現実、この世界とは。

 

この世界ってなに?この体って何?それは、体の現実、体と感情と思考、意識、、それらの関係性、それの世界観。その外側に常に存在していたもの。しているもの。そういった世界観をボディワーカーの観点からお話しすることがあるかもしれません。

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少なくとも、私にとってこの世界観を知ったこと、現実がなんであるのか、、

心と体と意識と思考と、、外側の世界と内側の世界、我々を生かす力、繋がり、地球と我々がやってきた生命の源、、それらがリアルに身体感覚として感知できること。わかること。

この世界の成り立ちと、この私の成り立ち。生きることと、仕事をすること、一体何をしているのか、、。

それらはこの世界にいることの助けになってくれました。

 

 

 世界観、お話しできること。

 

お話しすることには、タイミングがあります。準備ができていないと、話はわからないし通じないし、そのときは、そんな話は出てきません。それには、体が変容していくこと、それにつれて理解ができること、話ができることがあります。10シリーズとはそのプロセスでもあります。

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書いたり読んだり話を聞いたり、、

”体が(=意識が)そうなっていないと、理解ができない。”

聞く、学ぶ、とは、体が(=意識が)そのようになっていないと、受け取れないようです。

私にも経験がありますが、、(ロルフィングに限らず)、、準備と進化のプロセスが、学びには必要のようですね。

 

 

 旅のようなものである。

 

10シリーズとは、一定の期間。その人生のうちの、一時期に、向き合い出会う場所。

それが10シリーズの醍醐味だと思います。

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人生で一度きり。変容の場所、旅のようなもの。

 

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 神経系から見たトラウマ

 

 

ロルフィングといえば、体を扱いますが心にも興味を持っている方は多くいらしゃるようです。こころとからだ、体からの神経系のアプローチでワークするトラウマワークに、ソマティックエクスペリエンスがあります。

 

 

 柔軟な神経系とは

 

外界で何かが起こっても、対応できる。適応力のある神経系。何か起こっても、安心安全な状態に帰ってこられる。

 

 

  適応力のない神経系とは

 

外界の刺激に対し、急激に緊張したり、フリーズしたり、、そしてそこからなかなか戻ってこられない。適切に対応できない。

 

 

 トラウマワークとは解放が目的ではない!

 

トラウマワークのやることは主に二つ。一つは手段として、身体に残った未解放のエネルギーを”ほんの少しずつ解放”していくこと。しかし、解放自体を目的にはしていない、それは、必要なことですが向かっているのは、、本当の目的は、”柔軟な神経系を取り戻す”こと。解放は手段に過ぎない。

 

 

 トラウマ化する仕組み

 

神経系が高活性化状態で止まり、身体がフリーズしている。ここを説明するのにはちょっと話が長くなるのですが、、。できるだけ簡単にやってみます。神経系の活動を野生動物を観察したときに見られる状態からポリヴェーガル理論というものがあります。

 

 

 ボリヴェーガル理論

 

野生動物(哺乳類)には脅威(捕食者)に出会ったとき生き延びる手段が3つある。

・逃げる、闘う、死んだふり(フリーズ)する。

 

 

 神経系の活性化状態

 

神経系の活性化状態(エネルギーの状態)は、3つの領域に分けられます。

・安心安全モード(低活性化状態)

・逃げる闘うモード(興奮状態、活性化状態がどんどん上がっていく)

・フリーズモード(シャットダウン、死んだふり。最高の活性化状態。振り切れている)

 

 

 安心安全モード

 

哺乳類は他者とコミュニケーションとり、社会生活をしています。安心安全、対話したり、草食べたり、、。安心安全な状態。神経系は低活性化状態。もちろん、トラウマ化しません。

 

 

 逃げる闘うモード

 

敵が来た!逃げます、、あるいは、闘います、、生き延びるために!神経系はどんどん活性化状態を高め、、エネルギーは高まります。。逃げ切った!あるいは、戦いに勝利した、、。神経系はエネルギーを使い切っており、活性化状態は収まっていきます。やがて、低活性化状態になり安心安全モードに。トラウマ化はしません。

 

 

 フリーズモード(死んだふり)

 

逃げる/闘うに失敗したとき、、野生動物は最終手段として死んだふりします。フリーズ。。(捕食者は死んだ獲物は食べないかもしれない、、興味をなくして去っていく。)逃げる‥逃げる‥逃げきれない!神経系は活性化状態を高め続け、、やがて、焼き切れるように、、その興奮状態を押さえ込んで、固まります。シャットダウン、、フリーズ。このとき、何が起こっているのか、、。活性化し続けていた交感神経を、副交感神経の一つである背側迷走神経がさらなる高活性化状態で交感神経を抑え込む。つまり、アクセル全開でかつ、ブレーキ全開状態で動きを固めているのです。もう、むちゃくちゃ。激アツな高活性化状態(交感神経)をさらに抑え込む高活性化状態(背側迷走神経)、でフリーズしています。フリーズモードの時、トラウマ化する可能性があります。

 

 

 トラウマ化しないとき

 

野生動物は脅威がさった時、、死んだふりから日常に帰ってきます。そのとき、神経系に溜まった高活性化状態のエネルギーを全て解放してから帰ってきます。解放の際には、手足をばたつかせたり、大きなため息をついたり、体を震わせたり、、涙を流したり、、してゆっくりとエネルギーを放電します。エネルギーを解放し終わったら、日常に帰ってきて何食わぬ顔で人生(?)を平然と歩んできます。

 

こちらの動画が参考になるでしょう。

 

 

 トラウマ化する時

 

トラウマ化する時は、フリーズした状態の高活性化状態のエネルギーを解放し損ねた時です。死ぬほど、、それ以上のエネルギー状態を常に抱えたまま日常を生活していく、、これはしんどい。常に危機状態にある、、緊張が抜けない、、ぼーっとしてしまう。対応できない。神経系の活動が損なわれています。

 

野生動物は脱活性化して日常に戻ってくることは失敗しませんが、人間は大脳が発達しているため失敗することが多々あります。たとえば、コケた、、はずかしいから、、そのまま立ち去る。手術の麻酔、、。などなど。脱活性化の機会を失うことで、トラウマ化が起こっているようです。

 

 

 健康な神経系と、トラウマ化した神経系

 

神経系の柔軟性について、簡単な例を。

 

カフェにいて、、座ってる。バタン!何か物音が、、(交感神経活性化)。。ああ、人が入ってきたのか、、(徐々に脱活性化が自然と起こる。。)普通に楽ちんにもどる。日常をすごしていく。・・・柔軟な神経系。

 

カフェにいて、、座ってる。バタン!何か物音が、、(交感神経活性化、、急激に上がる!)。。もういっぱいいっぱい!!。。ずーっと、いらいらしてる、、あるいは、ずーっとぼーっとしてる。。なかなか戻ってこられない。・・・トラウマを多くもった柔軟性を失った神経系。

 

フリーズ状態なら、もう動けない、、一日中ただ、寝ている。ただ、座っている。だれとも会わない。爬虫類のように、、冷たい感覚の世界。。

フリーズほど高くはないが、高活性化状態でうろうろしてるなら、、イライラしてる、塞ぎ込む、、吐く、目が痛い、、きゅーっとなってる。など。程度による。

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※トラウマのない人などいません。何らかの衝撃を身体に持って人は生きている。

 

 

 健康な神経系を取り戻す

 

柔軟な神経系を損ない、不安定な状態で翻弄されている。それがトラウマ状態なら、それから回復するとは”柔軟な神経系を取り戻す”ことです。それは、本来の姿。元々あるし、そのように帰っていけるもの。その手段として、必要なのは、少しずつ少しずつ、、神経系を巡っているエネルギーを少しずーつ、解放していくこと。そして、柔軟な神経系を手に入れていくこと。

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※解放は手段であり、目的ではない。解放したら、楽になる、、というわけではありません。解放のやり方には注意が必要です。

 

 

 解放は少しずつ

 

トラウマの原因は、神経系に溜まったエネルギーです。解放のために、強い刺激を加えると、、逆効果。トラウマの追加です。ですので解放ワークにはご注意を。

 

 

 危険な解放ワーク

 

トラウマの解放を謳って、叫んだり、過去を思い出させたり、物を殴ったり、目を見つめさせたり、、そういったことは危険です。すべて神経系を活性化する方向に向かいますので、トラウマ化がひどくなります。そのときはよくても、あとあと余計にしんどくなっていく。回復は、すこしずつが早い、とされます。本当の変化とは、わからないほど少しずつ、、。これが神経系のトラウマワークの原則です。

※神経系の側面からだけの原則ですので、生命の原則など根源に向かうほどその原則も変わってくることはあるかも、しれませんが。

 

 

 トラウマからの回復

 

以上のように、トラウマからの回復は”解放”ではない。解放は手段であり、目的は”柔軟な神経系を取り戻すこと”です。

これはボディワークの世界観とも似ているところで、解放が目的ではなく”統合”が目的、ということです。また別の箇所で書きたいと思います。

 

 

 ロルフィング

ロルフィングといえば筋膜、、というほど筋膜を扱うことで知られています。筋膜にはトラウマが溜まる、といういわれ方もするようで、ロルフィングに興味を持つ方々もいらっしゃるようです。

 

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ボディワーク

 

 個人的なこと

 

オステオパシーのバイオダイナミクス、バイオエナジェティックを9年間をかけて学んでいます。そこにあるのは、生命への姿勢、いきること。全てに共通する何か、があると思っています。

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  わたしにとって、この世界にいることは結構しんどい時期を結構な期間過ごしてきたように(もう思い出せないけどね。)思います。(いまはまったくそんな感じはありません。たまにはしんどいこともそりゃあるけどね。)この世界に、居づらい。というのは、ある種の繊細な方は持っている感覚かもしれません。それは、なんだったんだろう?いまなら、いくつかお話しできそうです。いくつか。。(大丈夫になっていく、ということは。当たり前にできます。その辺の世界観をいくつか。。)  

いろいろあるなあ、、何から話そうかしら。。

 

 

 体がそうなのだ

 

トラウマワークの話題で少しお話ししましたが、”トラウマとは出来事にはなく、身体に残った未解放のエネルギーである”ということが、いわれてますね。これを、ボディワーク的に観ると、”物理的であれ感情的であれ、外界からの衝撃が身体に保持され残っている”という状態。ボディワークができることとは?

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トラウマとは 過去に起きた”出来事そのものにはない”。いま、ここに保持されている過去の衝撃のエネルギーが、本来の柔軟な生命活動を妨げている。‥ただそうなのだ。

ただ体がそういう状態なのだ、ということ。
だとしたら?

それは、あなたのせいでもないし、過去の記憶や出来事のせいでもない、誰かのせいでもない、かもしれない。

ただ、今の体がそういう状態なのだ。

(だから、過去を掘り下げたり、分析したり、感情や思考でマインドで解決しようとしても、、そこにはない。かも。)

 

 

 体と心はつながっている?

 

誰しも体の状態と心の状態はつながっている、と感じているのではないかと思います。こころ、ってなんでしょうね?どうやって、そこにアプローチするのか。体の状態と心がつながっているとして、、トラウマは身体に残るとして、、そこにアプローチするにはどんな方法があるのか、感情や思考、考え方を変える、とか、上書きする、とか。そういうのはあまりうまくいかない気がしてます。

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脳の構造として、脳幹(身体感覚)、辺縁系(感情)、大脳(思考)という進化の段階に応じて発達してきた部位があるらしいです。外界からの刺激が意識に上ってくる過程は、身体感覚(脳幹)→感情(辺縁系)→思考(大脳)の順、つまり、思考がある時は感情が必ずあり、感情があるときは感覚が必ずある。感情や思考からトラウマにアプローチするとき、、言葉や感情や考え方、、脳の上位の部分にはアプローチしてますが、トラウマが残っている脳幹にまで届かないらしいのです。だから、ソマティックエクスペリエンスでは、脳幹、つまり、身体感覚を通してトラウマに対してワークがされます。

では、ボディワークには何ができるのでしょうか?体を整えることは?

(ロルフィングやボディワークはこころを扱うことはしません。体を扱います。心理や精神は専門外なので専門医などに行ってくださいね、ここでは、からだの話をしています。)

 

 

 体の世界観

 

完全な姿、歪み、生命力、光、、すこし(?)わかりにくいかと思いますので、ボディワーカーはどんな世界観にいるのか。壮大な世界ですので、その辺りはまた別のテーマに分けて書いてみます。

 

 

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構造の前に

 

体は物理的な構造、の以前に、生命です。生命の成り立ち、それはどのようになっているのでしょうか?

 

 

 構造以前のすべてのこと、我々の存在。

 

構造以前のすべてのこと、我々の存在。そこにアプローチしているのが、オステオパシーのバイオダイナミクスやバイオエナジェティックだと、思います。

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我々の存在とは、体の構造だけではありません。肉体、感情、思考、スピリット、、そして他者との関わり方、世界と自分の関わり方、もっと遠い、、祖先からの流れ、地上の歴史、宇宙の動き、星々の位置、、月、太陽、、全てのものとの関わりの中で生きていて、この世界は、この体は、この私という存在は、いったい何なのか?なぜ、生きているのか、、この生命の力はどこからやってきているのか?

オステオパシーのバイオダイナミクス、バイオエナジェティックに出会えたことに感謝しています。それは、生きること、です。そして、その学びをつづけています。9年の過程をかけて学んでいます。

 

 

 量子のカラダ 

治癒の流れの一例を、エネルギー的な観点から。

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体の構造を 物理的に見て 重力と調和していくプロセスが ロルフィングですが、、。


物理的な肉体の背景には、 もっと精妙な体があるとして、 (それを ヨガとか、アインシュタインとか シュタイナーとか、いろんな世界の人が いろんな表現で語っていますが、 量子の世界、とか。チャクラ、とか。)


そういった、もっと精妙な体の世界を 物理的に骨や筋肉や構造的にいうのとは別に もっと感覚的に、比喩的に 語ってみようかと思います。 比喩ですよ?それは物理世界に対応した 感覚的な表現のことです。

手首が痛い、、。足が痛い、、。 あるいは、どこでも。

しかし、部分では無く、、我々ボディワーカーがみているのは、 体の全体、 体のシステム。


手首が痛かったら手をやるのか? それだけでは、解消のエネルギーは 枯渇してしまいますし、本質的な解決はムズカシイ。体の全体のシステム、、。


・まず、活力はあるのか??


そもそも、人間の体を持った我々の存在、 物理的な生命体として、活力がなければ、 治療も治癒も起こすパワーが体にない。 その物理的な活力は どこからきているのか、、。 体のベース、ベースチャクラである 尾骶骨。 ここに制限があると、 生命体としての活力が制限されています。

なんらかの衝撃、しりもちとか、覚えていない過去の出来事によっていたり、 あるいは、最近ですと ワクチンなどの介入により、ここの活力が消えている。

触れてみると誰でもわかるくらい (施術を受けていない方で)ワクチン打っていない方と打った方で違います。

ここの動きが回復すること。 すると、活力が生まれ この世に生きる力が取り戻される。

さらに別の治癒のための 余力が生まれる。


そんな感じで、 いろいろ、、体の全体を扱っていきます。

体の全体を扱っていく ロルフィングの10シリーズはそういう意味で よくできていると思います。

ただし、治癒には段階があり 施術者の思ったことをやりたいように治すということは 、、人間の意図で人を変えてしまう、ということは できません。バイオダイナミクスやバイオエナジェティックのアプローチなど 体の治癒の段階を尊重する、生命のシステムの流れに従う ことが、必要な気がしてます。

 

 

 体の存在、その世界観

 

またお話ししましょう。それは、この世界で生きること、仕事すること、存在にとって、すべてに共通するところ。

 

 

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たくさんの学びからのお話し

 

 

さまざまな学び、さまざまな手法や世界観、、それぞれに原理原則があり個々の世界をまとめ上げています。その全てを含む世界とは。

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たくさんあるな〜、何を書こうか、何からかこうか。。簡単なものをいくつか。

 

 

 さまざまな世界観

 

私が学んできたもの、その最終の全てをまとめるものがオステオパシーのバイオダイナミクスやバイオエナジェティックです。

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ロルフィング、トラウマワーク、神経系、バイオダイナミクス、バイオエナジェティック、、さまざまな世界でそれぞれの原理原則があります。 全てを含む世界の視点から見ると、それぞれの世界からみた原理原則は、そのレイヤーといいますか、どこの立ち位置からどの領域を見ているのか、によって変わります。 たとえばSE(ソマティックエクスペリエンス)の観点からみると、、神経系しか見ていませんので、、体の全体からみた、生命の活動の領域まで含めると、そういうことではない、ということもあるでしょう。より根源の世界(バイオダイナミクス、バイオエナジェティックの世界)に近づくほど全てを包括し、全てを矛盾なく包み込むことができます。

 

 

 それぞれの学び

 

存在のありかた、その世界観というのがあります。それを、より粗い領域の世界から、より繊細な領域の世界まで、この後書いてみようと思います。

 

 

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施術者の感覚世界

 

現象を繊細な感覚で受け取るには、身体感覚のリアルがたよりです。施術で大切なのは、リアルな情報をあるがままを受け取ること。”正しい”ものを作り出したり、イメージしたり、相手の存在を変えようなどとは決してしません。

 

 

  施術中に光が見える。。

 

我々の存在の現実をリアルに知覚しようとするとき、その世界は、、描写するには言葉ではなかなか通じませんので、それらは、比喩的に説明されたりします。たとえば、光が見える、我々の存在の中心から、光が満ちてくる、、というような表現をするとき、実際に太陽光や蛍光灯のような3次元的な光をみているわけではありません。それとは、別の、、現象を捉えているときに使う比喩、と思っていただければ良いかと思います。

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施術中に光を見るって?どんな感じでしょうか。(ときどき、受け手であるクライアントさまでも光を見る方はいらっしゃいます。) こんな感じで説明してみたらわかるでしょうか、、。たとえば、施術の始まる頃、途中、、さまざまなものが気付かされます。ごつい、かたい、、ながれがない、乾燥している、、そういったものが、施術により、、生命力で満ちてくる、、たとえば、固まっていたところに動きが出てくる、呼吸が全身に伝わり出す、、暖かさが出てくる、、気がつけば、ごつくて、暗くて、硬かった部分が、全体に溶け込んで、、繊細な均質さの中にいる、、やがて、施術が終わる。そのころ、私たちが見ているものは、光に満ちた光景、クライアントさまが光に満ち、部屋全体が光に満ちている、、かのような、繊細な空気感。それを、”身体感覚”で、感じています。イメージや想像は使いません、現実のリアル、というのは、身体感覚として捉えられます。  

この繊細な状態、呼吸が全身に伝わりブロックがない、、静かに、、波に揺られている、、。そんな光景を知覚する時、我々はそれをどう表現するか、、比喩的な表現になります。光に満ちている。。そんなふうにいつのまにか表現している。‥わたしも初めは光が見える、、なんて自分が言うわけない、と思っていましたが、、気がついたらそう表現している。そういうふうに言うしかない、というか、机を見たときに”これは机です”、と表現するしかない、、というように、自然と、こう表現してしまう。と言う感じ?  

 

 

  見ようとして見えるものではない

 

現実のリアルを捉えるには、イメージや想像は役に立たないです。邪魔になります。使えるのは身体感覚、、そこから、人により個性のフィルターを通して映像や音や感覚が出てきます。現実、リアルとはなにか、どう知覚されているものなのか。

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ここで脳の構成、意識の話をしましょう。脳の構成は、、脳幹(身体感覚)→辺縁系(感情)→大脳(思考)、、と進化の段階に応じて発達してきたそうです。現実のリアルをはじめに知覚している身体感覚、、元のリアル情報に直接つながっているのが身体感覚、、ここがキーとなります。その現実の知覚を、、意識にまで上ってくるまで、情報をフィルターをかけて、捨て、選び、、日常の意識に上がってくるまでにフィルターかけています。そうしないと膨大な情報に圧倒されてしまうし、日常生活で全てを感知していては生活できませんし効率悪い、なので、体は現実のリアル情報が意識に上がってくるまでに、取捨選択した個々人の”パターン”を作り上げます。それに従って、皆日常を生きています。個々人には知覚のパターン、個性があります。  

さて、現実のリアルを捉えるのは、想像やイメージではなく身体感覚だといいました。そのリアルをそれぞれの個人が知覚し意識に登るときにそれぞれのパターンがあり、得意分野やよく使う感覚がそれぞれ違います。その知覚した”リアル”を、どのように意識で捉えているか、、たとえば、ある人は映像として見える、という傾向が強い人もいるだろうし、皮膚感覚で感知するというのが得意な人もいれば、匂いや、音として知覚するひともいるでしょう。繊細な大元の情報を受け取るときには、そのように、リアルを受け取っています。  

ですので、他人が見たものを、自分も同じように見ようとしても、それはナンセンスです。それを、”見よう”と意図してしまうと、それをそこに作り出してしまう、ということが起きます。投影するのではなく、そこにある現実のリアルを何も邪魔せず、意図を入れず、ピュアな、純粋なあるがままを知覚すること、、が、施術者の仕事です。何かすごいものを見ようとしたり、すごいことを起こすことが仕事ではありません。

 

 

  幼い子供の頃、天使をみていた?

 

小さい子供たちは、、森の中に天使や妖精をみているかも?本当にトトロはいるのかも?ひとは大人になるにつれ、、見ていたものを見えなくなって、感じていたものをないものにしていくのかもしれません。忘れていた、失くした感覚。それを再び発見する。

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繊細な世界の現実をリアルに感知するには、、個性による感覚のパターンやフィルターのかかる前のおおもとの情報を知覚する必要があると、書きました。おおもとのリアルな情報は何か?日常意識では捨て去っていた感覚を、使い出す必要があります。なかったことにしていたもの、想像やイメージだと片付けていたこと、、。失われた感覚を使い出す。  

見えるもの、感じるもの、、なかったものをアリにする、、と?それが本当に、リアルな現実かどうか。。経験からだんだんとわかってきます。それが、本当か、、。その感覚をアリにして、施術をしていくと、、再現性が100%、、信頼度が100%、、だということに気がつくようになります。それは(現象ではなく、おおもとの純粋な情報をキャッチする手段として)リアルとしてよいかもしれません。(天使が本当にいるかとか言う意味ではなく、、いるかもしらんけど、、何らかのリアルな現象を比喩的にキャッチしている、と言う意味で。)大人より子供の方が本当はリアルな現実を見ているのかもしれませんね。。  

※もちろん、妄想やイメージや頭で作り出したものと、現実のリアルをただ受け取っているのか、の区別はちゃんとできないと、です。その区別の仕方は明確にありますが、それはまたいつか。。(それも身体感覚で判断することができます。)

 

 

施術の世界

 

ちょっとファンタジックかもしれませんが比喩を通してカラダの現実世界を表現してみようと思います。

 

 

 歪み

 

歪みはどのようにして、生まれたのか。。それをそこに配置し、作り出したものはなんなのか?

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神経系からみたトラウマワークでは、トラウマとは出来事にはなく、神経系を巡る未解放のエネルギーである、と見ていました。これと立ち位置やレイヤーは違いますが、同じようにボディワークの世界でもトラウマ、歪み、とは身体に残った衝撃と見ることもできます。

 

 

 歪みを作り出したもの=生命の叡智

 

歪みとは、健全(=生命の叡智)により、そこに配置され、全体を崩壊から守り、全体を支えている、、。必要なものとして、機能している。

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歪みが生まれたプロセス、、たとえば、こんな比喩で表現されたりします。何らかの衝撃を受けたとき、、それが物理的であれ感情的であれ、、体のシステム、生命の叡智は、、その衝撃により、全体が崩壊したりエネルギーが波及して壊れてしまわないように、その衝撃のエネルギーを一点に集約し、隔離し保持します。それが、歪み(病変)。歪みとは、健全(=生命の叡智)により、そこに配置され、全体を崩壊から守り、全体を支えている、、。必要なものとして、機能しているのです。

 

 

 歪みが去っていけるとき、、解消のタイミングとは

 

歪みは全体を支えている。施術者がそれを取り去りたいからとってしまったら、全体が崩壊してしまう、、。取り去りたいから取る、ではうまくいかない。

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身体には癒しのシステムがあり、、癒えていく、、かつては必要としてそこに配置された歪み、今はもう役目を終えたものは去っていける、そのタイミングがきたものは、施術で扱うことができます。どれを解消するのか施術者が決めるのではなく、カラダのシステムが決めます。施術者はカラダのシステムの声に従い、施術します。

 

 

 生命の叡智に従うのが施術者

 

施術者の基本姿勢とは、生命の叡智に従うこと。施術者の意図や理論、やりたいことをやるのが施術者の仕事ではない。

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施術者の意図や理論理屈は、生命の流れを邪魔してしまう。理論や理屈は生命の流れに従ったときに、現れ示される。それに従う。はじめに理論や理屈を持ってきて”正しいこと”を生命に当てはめるのは、、強制や矯正は、冒涜ですらあるのではないか。。人間はそんなに偉くない。

 

 

 施術者には何もできない、、。

 

本当に生命の流れに従うのであれば、施術者は”何かができるひと”ではありえない。なにもできない、価値もない、、自信など必要ない、、

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ただ、すべてのエゴからくる意図と意思を捨てる、、そこにあるのは純粋な意図と意思、、それは、生命の叡智に従うという意図と、生命の光に従い感情や理論からはなれカラダの叡智に従うという意思。するとはじめて、施術の流れが流れ出す、、スムースに何の障害もなく、、美しく、、光に満ちて、、施術は終わる。生命を動かしている叡智の存在を感じる。

 

 

 エゴから離れる

 

生命の癒しの流れがあるとしたら、、それに従いそれに乗る、、。そこには癒しの流れがある。それを理論や理屈や感情から触れてしまうと、、邪魔になる。生命の叡智は、新たな異物、、介入に対抗しなければならない、、叡智は癒しの仕事をしたいのに。。エゴから離れ、謙虚に、ただただそれが施術者の辿り着きたい場所。

 

 

 エゴは消えない、消す必要もない

 

エゴは消えない、消す必要もない。エゴは必ずある、生きている人間だもの。施術はハート(謙虚さ)でやりたい、やるしかない。エゴは邪魔をする、、? 外界からの刺激に対し、、エゴが反応する、、対応はエゴに任せる、、わたしはハートの中心に戻り、、仕事を続ける、、エゴから離れ、、エゴはエゴの仕事、外界への対応をしながら。。エゴとの関わり方が変わってくる。。施術者としての、ありかた。

 

 

 健全

 

カラダの叡智、カラダのシステムを司るものの名は何と言う?”健全”と呼ぼう。

 

 

 施術者は健全を見つけ、健全に従う。

 

”病変は誰にでも見つけられる、健全を見つけろ”、、と言う言葉があります。施術のキーは健全を見つけること、それが、病変を解消し、生命力が満ちてくる力を持っている。

 

 

 歪み(病変)の解消、原因(=健全)を見つける。

 

病変(歪み)は健全によって作られた、、(歪みは全体を衝撃から守るためにそこに配置された)歪みを解消するのもまた健全。

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歪み(病変)は健全により作られ、、(つまり、原因は健全である。)、、健全によって維持されている。そこにあり続けるために、生命力のエネルギーを使っている、、。解消するときは健全からの力により解消される。施術者は、病変の原因、、(原因=健全)、、健全を見つける。のが仕事。

 

 

 健全を見つけ、健全に従う、、美しさと静けさ。

 

健全を見つけるとき、、施術者は身体感覚のリアルを使い知覚する。それは、、静けさ、、美しさ、、それを見つけるのが、施術者の仕事。

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健全は人知の範囲の外にあり、、感情や理屈や思考などの人間の世界の外側にある。それは、美しさ、静けさの、、性質を持っている。それは身体感覚を通して知覚される。

 

 

 美しさ、静けさで満ちてくる

 

硬い、ワイワイしてる、、ギラギラ、、もやー、、歪みの性質は、健全により解消され、健全が満ちてくる、、美しさ、、静けさ、、神々しさ、、空間が変わる、、部屋が静けさで満ちてくる、、。施術が終わる。

 

 

 

自然に還れ

 

生き延びてきた、、自己。特殊能力、、。繊細だったり大変な環境を生き延びていくために、、圧倒させる力、不思議な力、、思いを遂げる、生き延びるために、、。大変な時期を経て、繊細な、、それは特殊能力を得た。そういうひとは、”特殊能力”を持っているかもしれない。だとしたら、それを捨てること。そこから、本当のことが始まる。

 

自分に価値がある、自分に能力がある、力がある、、。そういうところは、とても危ない。。危険な世界です。本当に、真の自己を生きるのであれば、無価値になること、何者でもなくなること、力を求めないこと!!とても大切なこと。それを話してみましょう。

 

ここで、カラダの世界を書かなければならないでしょう。ファンタジックに比喩的に書いてみます。

 

 

 我々の存在とは、カラダとは。

 

ボディワーカーの感知している世界、そのモデルを比喩的に表現してみると、、。我々の体には密度がある、、段階があることを知覚できる。肉体(物質)、液体的なカラダ(感情)、気体的なカラダ(メンタル)、、そして、それ以前にある何もない領域、、。

 

 

 バイオダイナミクス

 

胎生学(受精卵から赤ちゃんになっていくまでの解剖生理学的学問)にバイオダイナミクスという分野があります。それは、遺伝的な発生学とはちがい、内側から外側に生えてくるように発生してきたのではなく、どこか外側から働いた力によって、受精卵は細胞分裂し、、それに従って体が形成されてきた、というものです。その力はどこかからやってきて、我々を生かしている。。大人になった今でも働き続けている。神の息吹、、。

 

 

 はじめに静けさがあった。

 

細胞が分裂し、隣り合う、、そこにスペースがある、スキマがある。細胞が分裂したから、隙間ができた、、のか?はじめに、スペースがあった。そこには、生命の光で満ちている、、なにもない、、透明な空間、、何かで満ちている、、。スペース。そこを指標として、細胞は分裂し、体は形成されてきた。はじめに、静けさがあった。それは、いまでも、そこにある。根源の光。

 

 

 重なり合うカラダの領域

 

中心軸から始まり、、同心円状に密度の異なる体が重なりあって存在する。肉体、液的なカラダ、気体的カラダ、、。そして、その背景には何もないスペースに満ちている根源の光。あるいは、何もない原初の砂漠のクリスタル。そこは、星の世界、あるいは、神の領域。

 

 

 個性と愛

 

個性、エゴ、、このわたし、という領域は、肉体、液体、気体の体、、。そこから先は、何もない誰にも共通の命の原初の世界、愛の世界。肉体=物質、液体=感情、代謝、気体=自然界。そこから先の超自然界、命の動きの世界。

 

 

 愛に触れる

 

はじめに静けさがあった、その静けさ、そのスペース、、そこに満ちている生命力、愛。愛とは愛情(感情)ではない、なにもない、愛。大きな違い、愛情と愛、、。なにもなく、初めからそこにあり、我々を生かし、我々を生かし続けている何らかの力。そこに触れる、そこには、命の源がある、、それが、癒しの力。光に触れる、、、それは、この大人になった身体に、ある。それに触れ、、そこにシンクロし、そして、愛の世界に、光の世界に、、入っていく、、。ここは人間の意図が使えない世界、意図はない、、ただ、光に触れる、、満ちてくる。

 

 

 体にある、しずけさ。

 

それは中心軸にある、そのた、水平軸にある、、。受精卵に初めからあった隙間、、それにふれる。静けさに触れ、愛の空間にシフトする。。そこから癒しは始まる、健全に触れる。。

 

 

 もともと持っている生命の光、健全

 

誰もが備えている、生命の光、、それが、カラダの最も精妙な領域です。それは、手に入れたものではなく、はじめからそこにあったものです。何者かにならなくても、価値を手に入れようとしなくても、初めから、神の領域が、我々の体にはそなわっている、至上の次元がそこにある。

 

 

 力を手にして?

 

力を手にして何をするのか?直すのか?変えるのか?病気を歪みを消すことが、目的か?そのために、力を手に入れる?誰の何の?おかしな存在が入ってくる、、強力な力を手にして、代わりに何かを差し出す、、大変なことになる。意図を、力を手にしない。全て捨てる、、すべて、、何もなくなり、無価値になる。そして、我々の本性である、健全、生命の光が現れてくる。力、意図、感情、、それらは、より粗いレベルの次元の低いところで動いている。そこにアクセスしてしまうと、おかしな存在と繋がりをつけてしまう、、力をえる、、取り引きが始まる、、やめる、、やめる、、なにもなくなる、、本当の自分に戻る、、帰ってくる、、はじめからあった、今でも決して損なわれることのない光に、、それにアクセスできるのは、感情、思考、、人間界、感情の世界、取り引き、、2元性、、そこから離れたとき。どれだけ高次な存在であっても、存在の始まりからあるその生命の光の次元が最も高次な世界。それは、はじめから、我々のうちにある。そこに、触れる。

 

 

 自分の中に何者をも入れてはならない

 

それは高次の存在?神様?ほんとうに?自分の中に、何者であっても入れてはならない。取引してはならない。初めは利用しているようで、いつかは利用される、、。自分の中には、最も精妙な領域、生命の光、最も高次な存在がはじめから、あるのに。どれだけ力を持っていようと、それらの存在をいれてはならない。それは、力を求めて、力を使おうとしないということ。運命を、流れを、、あるがままの自然を、そのままに、従う。そこに美しさと静けさがある。

 

 

 意図がある限り命の光には触れられない

 

治したい、とか、良くしたい、とか、、人間の感情や意図が入っている限り、感情の体の領域から先へは進めない、、もやっとした、、本当の静けさや美しさがある次元とは違う、密度のある世界、、そこから先に入っていくには、、その密度に、より透明に、ならなければ。意図がある限り入れない、何かをしようとしたら、変えようなどとしたら、その精妙な世界から弾き出されてしまう。

 

 

 最も精妙な世界、命の世界

 

感情と取引、エネルギーの奪い合いの世界、有限の世界、、エゴの世界。愛、光の世界、、無価値の世界、、無限のエネルギーの世界、、何の役にもたたない、わたしに価値のない世界、、真実の姿の世界、、。どちらを選ぶのか、決める、、どちらをとるのか?

 

 

 バイオエナジェティック

 

 褒められたり、認められたり、感謝されたり、、評価されたり、、満足したり、満足されたり、、そういうことには、関係のない世界。そこでは、奇跡が起こる、らしい。何でも起こり得る。すごいことを引き起こそうとするのは、エゴの世界、感情と取引の世界、、そこではない。引き起こすことはなく、ただ、クリアに、自然に、、あるがままの本当の姿に戻っていく、だけ。

 

  •  運命

感情や思考の世界で、良い悪い、、二元性、、。病気を治す、ことが良い?歪みを取り去ることが良い?何が自然なのか、何がクリアであるがままなのか、、それは、我々人間の関与するものではない。わからない。マインドでは理解できない、その外側にある原理、真理、、。それを例えていうのなら、神様が決めている、道かもしれない。学びがそこにあり、その人の存在にとって必要なのかもしれない、あるいは、それから広がるあらゆる関係性のなかで、今必要なバランスをそこでとっているのかもしれない。

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それを、人間の感情や意図して取り去る、良いとか悪いとかの価値判断、人間の感情や理屈、、バランスがくずれ、どこかで混沌が起こる、、。あらゆる生命、命、星々、、わからない、とらえられない、、マインドを超えた、宇宙の摂理、、そこでバランスをとっているもの。変えてしまっていいの?感情や想いで、、。人間だから、どうしても感情があるし、それは引き寄せる力がとても強い、、でも、本当の仕事をするのなら、エゴではない”奉仕”をするのならば、、全てが透明で繊細な光で満ちていくように。それは、選択しなければ。エゴでやるのか、健全に従うのか。マインドではそれを治すことが、よいのか、、わからない。だから、自然の流れ、運命がその道をクリアに進めますように、、。何でも知っている、生命の光に、ハートに従う。そのように、施術はされる。そして、それが本来の道筋ならば、、奇跡のようなことも起こり得る。

 

  • イメージしない、作り出さない

マインドは人間の持つ最も高次な機能かもしれない、、イメージすること創造すること、、それがマインドでできるとして、、それは、バイオダイナミクスやバイオエナジェティックでは、決してしない。どれだけ高次な機能であったとしても、人間のマインドで作り出してしまうものは、調和を乱す、どこかで矛盾が起こる、、。調和を司るもの、生命を動かすもの、ハート、、神の息吹、、最も高次な根源の光、、それに従うのみ。作り出すことはなく、ただ、現実を受け取る、、次に何が必要か、指示を受け取る、、受動的立場。

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たとえば、解剖学を、、絵を思い浮かべてそれを体に当てはめたりなどとは決してしません。解剖学は役に立ちますが、そこに触れているときには、リアルな情報を身体感覚を通して受け取る、、意図せず、、すでにそこには解剖学が浮かんでいる、、という感じでしょうか。

生命の流れ

 

施術者の役割、治癒とはなにか。

 

 

 足跡を残さない

 

人に触れる、、何も変えない、、何も想いを遂げさせない、、。そこにあるのは、生命の本流、、源は神の息吹、 植物の花を咲かせるものは何か?木々の葉っぱが成長するそうさせる力は何か、、そこには、どこかからやってきて、働き続ける生命の源からの叡智がそうさせる。その叡智は、行く先を知っている。どう流れ、どう働き、どういうタイミングで、何が起こるのか、、完璧に知っている。

 

その生命の流れる向きを、人間の意図で、想いで、価値観で、、良い悪いで変えていいものではない。こうすることの方がいいから、という人間の意図で、”正しい”ことがおこなわれるとき、、混乱と混沌が起き、生命の流れは歪められてしまう。

 

人間の意図は使わない、”正しい”ことは当て嵌めない、、。そこにすでにある流れ、生命の流れを尊重する。施術者の足跡を残さない、、綺麗に、何も残さない、、そこにあるのはただ生命の流れ、、あるがままに。

 

 

 想いを遂げることはしない

 

想いを遂げる、こうしたい、こうなりたい、、治したい、治りたい、、そこから施術はできません。生命の純粋な流れが、もっとも根底にある本当のこと、本当に何をしたらいいのか、いま、このタイミングで起こること、次のタイミングでおこること、完璧なタイミングで完璧な仕事をする。それに従う、それが、ほんとうの”治療”。ここで、人の想いが邪魔になる、、治したい、うまくやりたい、、よくしたい、、そこで人の意図が生命の純粋な本流に流れ込み、、濁る、、邪魔に対して生命の本質は対抗しなければならない、、治癒が乱れる、、生命本来の仕事ができない。

 

人間の価値観、想い、、感情は生命の純粋なエネルギーの邪魔になります。叡智に従うこと、それが施術者の責務です。

 

 

 受精卵

 

バイオダイナミクスの語源でもある、胎生学、、受精卵からの発達。発達のタイミング、、たった一つの細胞からはじまる細胞分裂、、2つ4つ8個16個、、完璧なタイミングで完璧な作用が起こる、、命の意図、、どこかからやってきてそうさせる神の息吹、、それが常に働き続けている。。心臓は頭の上にあり、、それがあるタイミングで降りてきて、包まれる。。完璧なタイミングで完璧な出来事が起こっている。そこには人間の意図の立ち入る場所はない、、治したい?その意図が混ざるとき、、そのエネルギー、意志が入ったとき、、こんなに小さな細胞の、柔らかな純粋な存在に、、意図が入り込む”治したい””よくしたい”、、そのエネルギーは粗く、あまりに繊細なそのプロセス、その存在にとって、、致命的、、介入、、邪魔をしたとき、崩壊してしまう。。完全にしたがうこと、何も意図を入れないこと。命の流れを妨げないこと、尊重すること。それがバイオダイナミクス、バイオエナジェティックの基本原理。

 

 

 流れが治療する

 

木々の成長、、それをさせるもの、生命の叡智、生命の流れ、、純粋な透明な質感、、最も精妙な性質。それが流れ、、生命の叡智の流れにより成長発達が起こっている、、次にどこに行けばいいのか、次のどんな形になればいいのか、、流れに従う。透明な流れが木々に、葉っぱに流れている。そこに人間の意図が介入する、感情が介入する、、ここにトマトのみをつけたい、ここに星の形のコブをつくりたい、、自然の摂理から離れた人間の意図、よくしたい、治したい、、意図。そういう介入が入ったとき、病変(歪み)を作り、生命はバランスを取る、、衝撃に対して、崩壊しないように、そこに介入のエネルギーを一点に保持する。歪み。人間の価値観、人間の意図、人間の想いは、、自然の摂理を乱す、、介入はしないこと。生命の流れに従うこと、その純粋な流れが本来の道筋を通っていくがままに。。施術者の役割は何か?介入はしない、意図を入れない、、その自然の摂理に従い、、自然の摂理の純粋な流れが本来の姿を取り戻すことをする、、何をするのか?外部からの介入に対し、歪みが作られた、、タイミングが来て去って消えるゆがみを、生命の流れに見せられる、、その歪みのバランス点、、健全を探し、バランスをとり待つ、、ぎゅーっと圧縮され閉じていたところのバランス点、健全、、そこの通り道が開く、、流れが通り抜け始める、、綺麗な純粋な流れが、、バランス点から流れ出す、、その流れには癒す力がある、、その流れが通り抜け、、病変(歪み)はそのエネルギーにより、耐えられず、崩壊して消えていく、、流れが治療する、、病変は消え、流れが続いていく、、その先々に、流れは届き、更なる治療が起こっていく、、。どこまで届くのか。流れが治療していく。。本来の姿、、本来の道筋、、施術者の手離れ、、何も汚すことなく、変えることなく、、ただあるがままに。足跡を残さず、、去る。。施術が終わる。流れによる治癒は継続していく。。

 

 

 施術者は透明であれ

 

人間の意図は生命の本質の流れからしたらとんでもないもの。施術者は透明であれ。生命の流れが治療する。生命の流れは何でも知っている。

 

 

(編集中)