からだとこころ

私の体験と、学びからの考え方。


変化には段階がある
  • 変化には段階がある。

人が変わっていく時には、共通する大きな変化の流れがあるように思います。

精神的な進化、というのが体と共に段階的に起こってくる。

 

あなたのせい? 選択の時期がくる
  • 『それは、あなたのせいではなかった。』という時期。と、『それは、あなた次第。』という時期がある。

この世を生き抜くのは大変でしたよね。人と比べて、人を押し除けて、自分が得しなければ、決定的な打撃を受けてしまう。自分が、まずは、得しなければ負ける。社会的に虐げられる部類にはいる。つねに、自分がより得なければならないし、自分の思いが優先され、願いが叶えられなければならない。そのように、この社会はできている。誰かから奪う、誰かから吸い取る。誰かから奪われる、誰かから吸い取られる。

 

・それは、あなたのせいではなかった。

 

人生の初期の頃、親や社会や文化、その影響を受ける。赤ちゃんは無垢、しかし、どんどん歪みを圧迫を受けて傷をつけてきた体。反応とパターン、そうなってしまう、体。たとえば、ポリヴェーガル理論という神経系の理論があります。神経系がトラウマのエネルギーを抱えているとき、常に、危機的モードになっているなら、休まらない体になっているのなら?この社会では生きていくの大変でした。そういう反応パターンになっているからだ、それは、意思ではどうにもならない。それは、あなたのせいではなかった。

 

・それは、あなた次第。

 

施術を受けたり、などなど、、体からトラウマのエネルギーは消えていく。ズレているものが本来の位置に帰ってき、本来の呼吸が始まる。本来のグラウンディングが得られ、地球とつながる。圧縮から解放され、ふわっと広がり自由になる。

 

しかし、その先がある。それは、あなた次第。という時期がやってくる。

自分のためか、他者のため、か。

 

 

自分のためか、他者のためか

この項目は、ちょっと意味わからないかもなので読み飛ばしてくださいっ。😆

 

  • 『自分のため』に生きるのか?それとも、『他者のため』に生きるのか?

変化のプロセスの大きな分岐点があります。『エゴの世界』か『本質の世界』のどちらの在り方を選択するのか?

「それは、あなた次第。」という時期です。

 

・「自分のため」と「他者のため」

 

「自分のため」というとき、あなたの想い、要求、自分が手にいれること、、。それは、『他者からエネルギーを自分に集めてくる行為』です。それは、あなたがこれまで苦しかったこの社会の仕組みの通り。あなたは、そこで苦しんだ。他者もそこで苦しんでいる。それは、エネルギー的な視野で全体を眺めて俯瞰してみると?有限のエネルギーの奪い合い。の世界です。

 

まだ、そこで生きていくんですか?

 

やめる?でも、怖い。コワイ。そうしなければ、生きていけないこの世界。

 

・「他者のため」

 

では、他者のために生きる?よく聞く言葉ですよね、他者のため。とか、奉仕。とか。でも、それは「他者の要求」のためになっていませんか?

他者の要求など、関係ありません。他者の要求のために、生きるとは?それも、エゴです。エネルギー的な視点で、俯瞰して世界を見てみましょう。他者に、わたしのエネルギーを与える。他者が、あなたのエネルギーを吸い取る。有限のエネルギーの奪い合い、と同じ世界です。

 

他者のため、とはそういうことではありません。

そんなことする必要は、ありません。

 

・「自分のため」

 

もうひとつ、よく聞くのが「自分のため」に生きるべき。他人を助けるためには「まず自分から」。。

その「自分」って?優先する自分って?「まず自分」というときの自分て?

もしそれが、自分の要求、欲求、自分のやりたいことをやる、、自分を満たすために。誰かから何かを吸っている、、とき。それは、もちろんエゴの世界。有限のエネルギーの奪い合いの、連鎖の中で、自分を巻き込まれている。

 

自分のために生きる、とはそういうことではありません。

 

・「自分のため」と、「他者のため」に生きるということ。その世界観①(エゴの世界)

 

「他者のため」というのは、他人の要求のために生きることではありません。全く逆。要求や、感情は、相手にしない。要求や感情というとき、そのエネルギー的な視野で俯瞰してみると?一対一の関係性、相手がわたしに、というターゲットにされてる。それは、エゴの混沌の世界。そんなところに関わることはありません。

 

同様に「自分のため」というとき、自分の要求や感情のために生きることではありません。そんなの無視、関係ありません。それは、自分にエネルギーを集めてくるエゴの世界、混沌の世界です。

 

・「他者のため」と「自分のため」が同じ意味になる世界。その世界観②(無私の世界)

 

「他者を助けるためには、まず自分から」というのは、本当です。しかし、その自分とは、自分の欲求ややりたいことで満たすということではありません。真逆。自分を捨てる、のです。すてる、といっても自分を蔑ろにするのではありません。真逆。

自分のエゴを取り払う、、ことはできなくても、エゴを通り抜けてその先にいく。自分の本質、自分のハートのエネルギーに。自分を捨てる、というのは、思考、感情、理屈を脇へ避ける。というか、通り過ぎて関わらない。その先へ行く。

 

すると?

 

本当の自分が現れてくる!すごい?それがどういうことかって?頭と感情や理屈の世界にいるうちは理解ができない。なぜなら、波長が違う。粒子感が違う。感覚が違う。なので、理解できない。ですので、まずそこに行ってください。

 

それが、できるようになるのは?たぶん、体がある段階にシフトした時です。

 

・「他者のため」と「自分のため」が同じ。

 

他人の要求でもなく、自分の要求でもない。他人の感情でもなく、自分の感情でもない。もう、エネルギーの混沌の世界からは、離れている。有限のエネルギーのやり取り=この人間の世界から、離れている。

 

もし、言葉でそれを表すのなら?「上と繋がる」とか、「ハートと繋がる」というでしょう。そこには、自分も他人もない。だから、本当は、昔の日本人はもっと生きやすかったでしょう。神道があり、神様がいたから。自分の中にも神様が、分御霊があり、他者の中にも神様がいた。自然界にみーんな神様を見ていた。それは、宗教という意味ではなく、感情を超えた、自然界にシンクロしていたということ。

 

それは、神を崇めるとか、崇拝するとかではない。

自然界の中に、『美』を見つけるということ。人の中に美を、人の中に自然界の美(※1)を見つけるということ。

 

(※1)自然界の美、ということについて。自然界には良し悪し、がありません。(良い悪いは人間の世界の話です。感情の世界。それは、次元の低い混沌の世界。)良い悪いの二元論の世界ではなく、なにも評価されない自然界の美をみつけたい。

 

・自然界の中に『美』を見つける。

 

自然界の中の『美』、そこでは誰の要求に従うこともない。ただ、自然界の秩序をみつける。『美』を見つける。。そのとき、その状態の自分は、美を見つけた自分は、何をしたらいいのかが分かる。進むべき道が分かる。自然界の美をみつける。

 

もし、自分や他人の感情や要求を優先したとしたら?美はみえなくなる。波長が違うから、、。もっとドロドロしたものになってしまう。人間界で人の感情や評価を集める芸術があるとしたら、それとは違う純粋な美がある。そちらは、他人の感情を集めてこない。人気がない、静か。分かる人にしかわからない。

 

『美』を見つける。そのとき、自分も他者もない。

 

そこに立つことができるなら?もう大丈夫。

 

・それは、あなた次第。

 

自然界の美を見つけ、それにシンクロする。そこに立つことを選択するか?それとも、自分の恨みや要求や満足のために、他者とエネルギーの駆け引きをするのか?どちらを選択するのか?

 

それは、あなた次第。そういう時期が、体の進化と共に起きてきます。

 

・ずーっとしんどい、抜けられない。繰り返す。

 

あなたは、何を選択しましたか?

 

感情は感情を引き付け、繰り返す。他者の感情と、エネルギーを引き付け無限地獄。もう、抜けようか?抜けられるか?引きつける力が強い、感情の世界。どちらを選択する?

 

 

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